認識のさんぽ道

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でたらめな考え事

夢みたいなことばかり話すと、「地に足がついていない」と言われる。言葉は元来抽象なのだと思うけれども、同じ言葉でも、比較的着地しているものと、浮いているものがあるということ。

これはいちごだ。

これは、ある物体を視覚、触覚、臭覚、等が感知し、出来上がった総合的イメージから、頭の中にあるデータを検索し、イメージ=「いちご」と判断した。

これなどは、地に足がついている。

じゃあ、いちごについて私が、「いちごとは大地の乳房だ」・・と言ったらどうなのだろう?

その根拠は何なの?と聞かれて、

それは、なにしろ色と形状が類似していますし、中身は白いので乳に似ています。
それよりもまず、イチゴ自身が、そのように自己を主張しているのが聞こえませんか?
 
そんなこと言っても、特に誰も認めてくれないでしょう。
この場合には、これは地に足がついていない、ということになる。

でももし私に、何か肩書きや権威があれば、ヘンテコなことを言っても有難がられ、ヘンテコなほどに天才扱いされることもありえる。

あるイメージが一般的で、誰が見てもそうだという共通認識があれば、地に足が着いている判断となる。
イチゴがそう主張しているとしても、それを聞く人が少なければ、地に足が着いていないとなる。
でも天才の場合には、感覚が優れているに違いないので、ある程度許容される。

そもそも、地とはなんなのだろう?私達が直接感知できるもの。知覚によって触れることが出来るもの。

では、抽象的な事象は、どのようにして感知されるのだろう?
もし「抽象的な事象」という「物」が存在し、それを何らかの知覚器官を使って感知するのなら、それが地に足が着いていないとするのは、地の範囲設定の違いということになる。

地の範囲が変われば、人間の知覚も変わり、知覚が変わるということは、人間自体も変わるのかもしれない。
天と地の間に生きる人間、人間の中で生きる人間・・共通認識が、地なのならね。

人間って「知覚する」ものだ。
何を知覚するかが、その人間だ。







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Comment

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ほんとね~~…
同じ言葉でも、子供が言ったら、
「何ぶつくさ言ってんの!さっさと宿題やっちゃいなさい!」なあんて
言われかねないのに、ダリや岡本太郎が言えば、
「すごいなあ!さすが芸術家は違うなあ!」なんて言われる…

でもそれって本当は変ですよね。
自分で考えてない。
共通認識は、この世に必要なものではあるのだろうけれど、
そればかりに頼っているととんでもないことになりかねません。
人がなんと言おうと、自分の目で…全感覚と全知性でもって認識しようとしてみる…
その心構えがほしいと思います。

共通認識とか『同調』ということを一概に否定は出来ないけれど、
ときに立ち止まってそれを疑ってみる、
自分が立っていると思える『地』が、人が設定した地なのではなかろうか、
ということを考えてみることが大事かもしれませんね。

飛躍するけれど、あのアルジェリアの惨事…。
なにが正しくてなにが間違っているのでしょう。
西欧列強によってアフリカの大地に勝手に引かれた国境線…
報道も、西欧諸国からのそれだけが正義のように、世界を駆け巡ります……
あそこで誰がいったい正しいと言えるのか…

無残な死と、家族の悲しみだけが、確実にそこにあります……

2013年01月22日(Tue) 14:23
彼岸花さん
編集
お言葉有難うございます!

同調と言えば、エーリッヒ・フロムさんの本に興味深い話がありました。
人間の根源的な、強い欲望として、何者かと合一感を得たいというものがあり、その問題を解決できないと感じるとき、人は強い恐怖感を持つと。そうした根源的な欲求や孤独への恐怖心があるので、たとえ民主主義であっても、何も強制されることなく、人は自分から同調していくというお話でした。

若い頃よく思ったのです。もし人と共通の価値観をいっさい持たないとしたどうなのだろう?上も下もなく、宇宙の暗闇にただ一人浮かんでいるとしたら?時にはそんな観点も、持つことが出来れば自由なのだけどな・・i-100

世界を舞台にして、今の時代の共通認識という神様が常に生み出されているのかもしれないと考えると、アルジェリアの事件も?と、勘ぐる気持ちになります・・と言っても、なんだか恐くてよく見ていないのですよ~i-201本当です、温かい血が、本当に流れ・・命が失われ、家族の慟哭がある、そのことだけはリアルですね・・

昨日ふとテレビをつけたら、自衛隊の女の子が芸人のような立場で出演していて、すごくびっくりしました。母がこんなことも言います「ねえ、知っている?最近の調査では、女の子に人気があるのは、制服姿の男性なんですって。制服姿の人って、きちんとしていていいわよね~。」それ、いったい何で知ったの?と聞くと「テレビで言っていたのよ。」i-201まったく・・ギャ~!!と叫びたくなりますi-201

自分から同調してしまう、人間の悲しい性・・出来事の本質を見極め、その根底にある醜さに気がつき、そんなものには同調したくない、もっと美しいもの、高貴なものに合一したい・・そう意志できるといいのですが・・

でもそんなこと言うの、まるで宗教でしょうか?今の時代、どんな価値観も人に強制することは出来ません。それぞれの人が、自分自身で認識、判断する・・それ以外に、道は無いですよねi-230

あら?なんかくそまじめな内容になっちゃったかも?お姉さまに訴えるくせがついていまして、お許しくださ~いi-80
2013年01月22日(Tue) 19:28
こんにちは。
編集
先日は、ありがとうございました。

ところで私は、とても地に足が着いた人、言って見れば農耕の民の保守的で、常識を尊ぶ部類に入っていることは間違いないと思っています。

多分、地に足が着くということは、狩猟の民より農耕の民に当てはまるのでしょうが、そういう環境からも天才と呼ばれる人が出ていることを思うと、一概に決めつけることはできませんね。

天才と聞くと大体のイメージを持つことができますが、大リーグのイチロー(スポーツ選手と芸術家の天才を並べることは適当かどうか)を評してある作家は、人の3倍も4倍も努力できて、その努力を維持し続ける力、それが天才というものだ。という意味のことを話してましたが、なるほどと妙に感心したことがありました。

努力というよりも異様な集中力を持続する力は、
芸術家の特性かと思います。
あの山下清にしても草間弥生にしても相似たところがあります。
そしてその言語は決して地上にあるものではないのです。
「あた、あたしの愛は永遠の水玉」なんて、なんでもない人が発言したら、即ち強制診断でしょうね。
そういえば発達障害は天才を生むという説があります。発達障害の有名な人、何人もいますね。まずピカソがその代表的な存在で、また少し外れるかもしれませんが、男優のトム・クルーズもそうだと言われています。
あとは失念してしまいましたが(笑。

まあ、私の小市民的にして硬化する一方の頭では、とうてい理解できないことです。

hasutamaさんの、哲学的な記事に触発されて、何十年かぶりに考え考えの文章を書く羽目になりました(笑。
もう疲れています(汗。

すみません、尻切れトンボのまま失礼します。

2013年01月23日(Wed) 10:44
NANTEIさん
編集
コメント有難うございます

え~NANTEIさんに、保守的なイメージは持っていませんでしたよ 保守的というより、周りの方を丁寧に思いやられながら、きちんと生活を楽しんでいらっしゃるんだなーと、お気持ちの優しさ&多才さに、いつも驚いています 

>その言語は決して、地上にあるものではないです

このお言葉でひらめいたのですが、言語の種類を分類できるかも?

霊と戯れる霊界言語(天)
ハートをつなげる人間言語(人)
数字、力、法則重視の地底言語(地)

地に足がついていない人がいるばかりではなく、地にめり込んでいる人もいるじゃないの!と、地に足のついていない私が非難するi-179

きっと、大事なのはバランスですねi-239
2013年01月23日(Wed) 17:35












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プロフィール

hasutama

Author:hasutama
神秘学徒hasutamaです・・なんてほんとうは、ただのおばさんです
シュタイナーの著作を読むこと、愛犬をかわいがること、音楽にかかわること、お庭仕事、友人とカフェでおしゃべりすることなどを楽しんでいます

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