認識のさんぽ道

ルドルフ・シュタイナーの著作を楽しみ、 認識の小道散策へ出掛けます
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エーリッヒ・フロム「愛するということ」メモ

友人から本を紹介してもらって読むのは楽しい
感想を話し合うのが楽しみ
今日読み終えたのは
小川町で出会った方が教えてくれたエーリッヒ・フロムの「愛するということ」

気になったところ、考えてみたいこと・・

人間の努力のどんな分野においても、創造的思考のプロセスは根拠のあるビジョンとでも呼びうるものから始まる。

根拠あるビジョンの着想から理論の構築にいたる過程のあらゆる段階において、信念は不可欠である。

この信念は、自分自身の経験や、自分の思考力・観察力・判断力に対する自信に根ざしている。

根拠の無い信念というのは、ある権威、あるいは大多数の人々がそう言っているからというそれだけの理由で、何かを真理として受け入れることだ。

それに対して、理にかなった信念は、大多数の意見とは無関係な、自分自身の生産的な観察と思考にもとづいた、他のいっさいから独立した確信に根ざしている。



「自分自身の生産的な観察と思考にもとづいた、他のいっさいから独立した確信」・・
生産的なとは?

現代社会は、企業の経営陣と職業的政治家によって運営されており、人々は大衆操作によって操られている。

人々の目的は、もっと多く生産し、もっと多く消費することだ。それが生きる目的になってしまっている。

すべての活動は経済上の目標に奉仕し、手段が目的となってしまっている。

おいしいものを食べ、しゃれた服を着てはいるが、自分のきわめて人間的な特徴や機能に対する究極的な関心をもっていない。


自分のきわめて人間的な特徴や機能に対する究極的な関心とは?

現在のようなシステムのもとで、人を愛することの出来る人は、当然、例外的な存在である。

現在の西欧社会においては、愛は所詮二次的な現象である。

それは、多くの職業が、人を愛する姿勢を許容しないからではなく、むしろ、生産を重視し、貪欲に消費しようとする精神が社会を支配しているために、非同調者だけがそれにたいしてうまく身を守ることが出来るからである。


愛のことを真剣に考え、愛こそが、いかに生きるべきかという問題に対する唯一の理にかなった答えである、と考えている人びとは、次のような結論に行き着くはずだ。

愛が、きわめて個人的で末梢的な現象ではなく、社会的な現象になるためには、現在の社会構造を根本から変えなければならない、と。



愛という言葉が、恥ずかしいような気がして、
一見、やたら抽象的な、理想的なことを言っているような印象だけど・・

しかし、よく考えてみると、身につまされるような、現実的なことかも

利害を超えて個々の人を思う気持ちが否定され、
生産、貪欲な消費のみがよしとされる社会ならば、
そこで栄えるのは、愛の非同調者でしかない

命、人間の肯定と否定・・今ほどこの文の意味がはっきりわかる状況もないだろう





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神秘学徒hasutamaです・・なんてほんとうは、ただのおばさんです
シュタイナーの著作を読むこと、愛犬をかわいがること、音楽にかかわること、お庭仕事、友人とカフェでおしゃべりすることなどを楽しんでいます

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