認識のさんぽ道

ルドルフ・シュタイナーの著作を楽しみ、 認識の小道散策へ出掛けます
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ときには天動説的発想・・

ご無沙汰しています
いろいろバタバタしています
夏休みで、子どもが帰省したり、旅立っていったり、
親が入院したり、お風呂のドアが壊れたり・・

今日はちび花お休みしましたが
先週は出かけていきました
ファミリーエリアなる場所へと流れ着いたら
一緒に「ふるさと」を歌いましょうというアナウンスがあった

内山節氏の著作によれば
「ふるさと」は、国家が古里観までも一律のものにしようとして
さくら観賞の習慣とともに、政策的に広められたもの・・ということだったので
ちょっと抵抗がありました

そもそも「国家」という発想は、ヨーロッパから発しており
近代、国家単位でものごとを進めようとしたのはなぜか?というと
それが一番、戦争するのに都合がいいからであると
内山さんは「ローカリズム原論」にて、述べられていました

内山さんがローカリズムを発信するのは
そうした国家単位の発想に歯止めをかけるのが
ローカルな発想だからということだと思います
国が、政策的にローカルな発想をつぶそうとした理由もまた
そこにあるということで

ですが、その国家的なエネルギー事業の方向性に反対するときにも
「ふるさと」が歌われるなら、皮肉な話で
肝心なのは、それが歌われるときの意味合いの問題なのでしょう

個人に重きが置かれない、人命軽視の発想と
一つの価値観、共有できる意味合い、情緒性、を重視するというのは
表裏一体なのか・・
もしそうなら?

たとえばオリンピックというのも、国家的なことかもしれませんね
テレビのドラマや情報もそうだし

全部が全部そうだと思うのではなくて、そういう面もあるという見方を
時にはしてみて
自分だけが知っている・・というようなことの価値が
時には国家的なこと、世界的なよりも大きいという発想をも
大事にしてみたいと思います

なんかうまく表現できませんが

これ、シュタイナーが言っていた天動説の話に似ています

天動説は、今では馬鹿にされているかもしれないけれど
天動説には天動説の意味があった・・という話です

天動説から地動説に、みんなの意識がシフトしたとき
一人ひとりの人間の価値、重みに
どんな影響があったのか?を考えてみると
地動説になったとき、
人間は宇宙の中心であることをやめたとも言えるわけで

「科学的」な、「正しい」発想に価値が置かれるとき、
人の人生の価値は、どのようなものなのでしょう?

宇宙全体のなかで、一人の人間の価値は
「科学的」「地動説的」には、
限りなく無に近いものかもしれないですね

おしまい

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Comment

こんばんは。
編集
ニーチェは、
コペルニクス以来「人間は動物になってしまった」。と述べています。シュタイナーに似ていますか?
2012年08月26日(Sun) 22:44
編集
こんにちは♪
これ、面白いですね。
特に『ふるさと』という唱歌についての内山節さんの考察は、はっとさせられますね。
私もね、『ふるさと』を紫陽花革命の一つのシンボルにしていくこと
を広めようとしていたわけですけれど、これ読んで、ちょっと心の中にあった
しこりの正体が見えた気がした。
実はね、歌はなんでもよかったんですよ。参加した人の情緒を刺激して、
一体感を盛り上げるような歌ならばなんでも。こうした、自由な意志による
集まりの場合には、なにかシンボル的なものがあると、結束が強くなると
考えていました。
ただ、世代によって知る人知らない人がいる歌では困る。…
『ふるさと』!なるほどね!あの歌なら大抵のひとが知っているし、
東日本大震災、原発事故でふるさとを失った方々のこころに寄り添うには
ぴったりじゃないか、と。

でもね、「一番の歌詞はともかく、2番の歌詞になると、これは使えないなあ、
…『志をはたして、いつの日にか帰らん…か!」って、何となく思ってた。
都会にいる者がただ懐かしむような甘いものじゃない、
帰れるふるさとではもうなくなってしまっている人々がいらっしゃることを想えば…
一番を繰り返し唄うしかないんじゃないの、とも。
よく考えてみれば、今、何気なく書いた『自由な意志による集まりの場合には、
なにかシンボル的なものがあると、結束が強くなると考えていました』
ということ。これ、国歌や国旗と同じ発想ですよね!(笑)
う~~~ん。面白いなあ。この皮肉と言いますか、
国家的事業に反対する者たちが、『ふるさと』という、いわば国家の
お仕着せのような歌をシンボルにするとは。フランス国民にとっての
インターナショナルの歌のようなものがあればいいんですのにね。

『たとえばオリンピックというのも、国家的なことかもしれませんね
テレビのドラマや情報もそうだし
全部が全部そうだと思うのではなくて、そういう面もあるという見方を時にはしてみて
自分だけが知っている・・というようなことの価値が時には国家的なこと、
世界的なよりも大きいという発想をも大事にしてみたいと思います』

ああ、これ。そう思いますね。
オリンピックの競技者たちは勿論素晴らしいのだけれど、そのあとの
あの銀座でのパレードには、私はずっと違和感を感じていました。
選手たちをほめたたえるなら、メダルをとらなかった人も褒めたたえるべきだし、
まだパラリンピックも控えているのにね。だったら、パラリンピックの
メダリストたちもパレードしてさし上げないと片手落ち。
結局あれは、そう言っては悪いけれど、『官』がオリンピックの勝者を
利用したようないやな感じが私はぬぐい切れませんでした。
無論選手たちには責任ないことです。

そうなの。『個』がもっと自分の直感や情感を大事にしなければ。
それを抑えつけようとするもの、一色に塗り替えてしまおうとする者には、
極めて用心しないとね。
hasutamaさん。思考が冴えてますね!(と私なんかがいうのも生意気だけど。笑)
でも、ほんと!思考は格闘ですよね。
SASUKEみたい、ってわかる気がする…
池ポチャしたりね、^^
なかなか大変で苦しい。

2012年08月27日(Mon) 16:02
kappamama様
編集
コメント有難うございます!
ニーチェの言う超人は、進化論や地動説をどうとらえるのか、とても興味深いです
ニーチェとシュタイナーについての、面白い資料を見つけました↓
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/139734/1/eda57_081%20.pdf
シュタイナーのほうでは、ニーチェと共通点があると思っていたようです
宇宙の片隅で、種の中におさまってしまうのではなくて、論理的な判断さえも脱皮して「個」対「世界」な発想を行えるかどうか?という点で、同じなのかなと思いました




2012年08月28日(Tue) 21:30
彼岸花さま♪
編集
コメント嬉しいですi-228

たまたま内山氏の本を読んだばかりだったので、いろいろ考えてしまったのですけど、まさか「ふるさと」に国家的古里観みたいな意図があるかもなんて、前は全然思ってもいませんでした 

そう言えば、松居直さんの講演会でも、国語について『なぜ「国」語と呼ぶのか?言葉は、身近な母から受け継いだ母語(mother tounge)であって、「国」とするのはおかしい。「命」を重んじる教育と言うのならば、命とともに受け継がれた言葉を、国のもののように言うのは矛盾している。』と話されていて、あたりまえのように使っている言葉のなかに含まれている発想があるということにすごく驚きましたi-183

食べ物に放射能が混じりこむように、言葉や歌にも知らない間に混じりこんでいるものがあるのに気がつかずに食べて、私自身がそれで出来てしまっているなんてことが、ホラーのようでいて現実なのだろうと思い・・自己点検したいですi-201池ポチャしたり、池で泳いだりしつつも・・i-235

デモも成熟、進化していくのでしょうね 「ふるさと」を逆の意図でぶつけていくのも面白いかもと思います 様々な方がそれぞれの考え、判断に責任を持って集まられていることに尊敬を感じるので、統一が、それを極力重んじるものであってほしいとも思います 色々な過程を経て、日本人全体が成熟、進化できるといいですね♪













2012年08月29日(Wed) 01:46












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2012年08月17日(Fri) 23:11
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Author:hasutama
神秘学徒hasutamaです・・なんてほんとうは、ただのおばさんです
シュタイナーの著作を読むこと、愛犬をかわいがること、音楽にかかわること、お庭仕事、友人とカフェでおしゃべりすることなどを楽しんでいます

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