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ルドルフ・シュタイナーの著作を楽しみ、 認識の小道散策へ出掛けます
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家畜的自由の考察

「ローカリズム原論」(by 内山節さん)を読んでみて
まず印象に残っているのは
国家と人の関係性についての考察です

きつねにだまされていた日本人が
きつねじゃなくて、国家にごまかされていく過程とでもいうか

とりあえず今日は、内山さんが「人間にとって主体性とは何か?」の章でとりあげてくださった
マックス・シュティルナーのことをmemoします

シュタイナーはマックス・シュティルナーについて
「ニーチェがシュティルナーを知っていたらな~」と発言していました
それ、どういう意味なのかしら!?

ニーチェもわからなければ、シュティルナーも知らない
そんな状況ではありますが・・
シュタイナーが、どういう意味合いでそう言ったのか?を
今後のテーマの一つとしてみたいのです

以下、「ローカリズム原論」からのまとめ

シュティルナーは、実存主義、アナーキズムの祖と言われる
主著「唯一者とその所有」

シュティルナーが問題にしたこと

近代の自由=「体制にのみ込まれた人の自由」
この自由を、自由だと感じること自体のなかに、
その時代の体制の「意味の体系」に呑み込まれた人間の精神がある

その時代の社会が作り出している意味の体系を承認したうえで成り立つ自由

承認させられていることに気づくことなく、自由を感じ、
そのことによってその時代の体制に管理されていく

これは、個人の主体性が信じられなくなっていく時代の思想である

人は誰でも自分の中に主体があると感じているが
それは自分が作り出したものか
時代の意味の体系によってつくられたものなのかわからない

そうである以上、自分の主体を信じることは出来ない

シュティルナーは
自分を包み込み、のみ込もうとする「意味的世界を拒否」しようとした
そうしようとすると、反抗することだけが自分を守ることになる

自分以外の何物も所有していない唯一者として、
エゴイスティックな自分でありつづける

「何物をも所有しない自己」でありつづけてみる

意味の体系から自由になり
「すべてを所有している自己」が現れてくる


シュティルナーの思想は、上記のような発想とともにあった


最後の、「すべてを所有している自己が現れてくる」というところで
発想がジャンプしていますね
これはシュタイナーと同じジャンプだと感じます

この発想のどこかが、ニーチェと共通性があり
どこかに、決定的な相違点がある
のだと思います

自己、所有・・考えてみたいです
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Comment

編集
これは難解です。

hasutamaさんの記事のとおりで、
仮に、シュティルナーとニーチェの類似性がわかったとしても、シュタイナーの言わんとするところが理解できないと意味がありませんので・・・・・・。

シュティルナーとニーチェに関しては、
自己⇔他者において、反社会的なほど同調しない点が、似ているのかもしれませんが詳しく調べないとわからないですね。
とりあえず「唯一者とその所有」を読んでから考えて見ようかとおもいます。

しかし、シュティルナーの翻訳本は中古でも高いですね。
2012年07月14日(Sat) 09:57
編集
こんばんは♪

「何物をも所有しない自己」=「すべてを所有している自己」・・・きっとこの意味が分かっていたら、ニーチェは狂わずにすんだのかも???などと個人的に感じてしまいました^^;

体制にのみ込まれた人の自由が成立するには、体制をつくりその体制によってその他大勢を管理する人の存在も必要なのでしょうね。

つまりそれって、意識的にせよ無意識的にせよ、自分の自由は自分以外の何かに管理されているということになるのかな^^

そうなると、それを疑わない人は、実は“籠の中の鳥”状態での自由を本当の自由だと誤認することになるのかな^^

でも、それを完全に拒否することは、自由を供給する「体制」に対してはエゴイスティクな姿勢となるのかな^^

でも、そのことによって人間本来の意識の自由を取り戻せることを深く探究していけば、人間の頭脳によってつくり上げられた体制による自由が実は不自由であったことが見えてくるし、それが見えれば見えるほど、そこから自由にどんどんなっていく・・・!

そういったことから「何物をも所有しない自己」=「すべてを所有している自己」ということになるのかなぁ~なんて、hasutamaさんの記事を読ませていただいて、そんなふうに感じちゃった私でした♪

本当の自分は、すでに持っている・・・そういうことなのだろうと感じました^^

2012年07月15日(Sun) 01:02
kappamamaさま
編集
お気にとめて下さり有難うございます!

外から押し付けられる意味体系を拒絶しきったのちの話のところに、シュタイナーを含め、それぞれの違いがあるのかも?と予測しますけれども、いかんせん知識が乏しいのですi-229

「唯一者とその所有」私も読んでみようと思います!とりあえず、図書館で借りようかな・・i-201 
2012年07月15日(Sun) 22:05
ふうりんさま(^^/
編集
ふうりんさん♪
コメント有難うございます

いただいたコメント、そう!そう!と納得しつつ読ませていただきました!

それではじめて気がついたのは、意味体系を拒絶するときの「自己」がエゴイスティックとみなされるのは、拒絶された側からの見え方としては当然だろうなということです

逆に拒絶した側の自己からすれば、意味体系に勝手に取り込んでおいてそっちこそ!となるかもしれませんね

絶大な力を持つ意味体系に向かって、独立した自己を対峙させてみるというだけでも、相当なエネルギーが必要だろうと思います

ニーチェはその地点で一人立ち続け、シュティルナーやシュタイナーは別体系にシフトしたような・・?

シュティルナーやシュタイナーが、どのようにして別体系を見出したのか、気になるところです

なにしろ、シュタイナーにおいては
「全てを所有する自己」=「キリスト」とまでなってしまうのではないかと思います
これ、ニーチェなら悪い冗談i-88て言うでしょう 

視点を決めて並べてみるとそれぞれの持ち味がわかって面白いです

追記

全てを所有する自己・・この「全て」が何か?も気になります
所有というより、全て「である」自己・・となれば
「自分=宇宙」となって、ミクロコスモス=マクロコスモス・・面白くなりますね~i-239










2012年07月15日(Sun) 22:56
気になります
編集
「自由の哲学」を読んでいる身としては、気になるテーマです。
でも、全然わからないv-11
5回くらい読んでみたけど、やっぱり難しい。
すんごい噛み砕いてくださってるんでしょうけど、
ため息出るほど難しいです。

近代の自由は「体制に許された自由」なら、
過去は「体制が押しつけた不自由」と言えばいいのかな?

何かに気付かずに飲み込まれてるのは、
「自由」とは言えない。それはわかります。
でも、何かを拒否しようとするのも、
基準点がその「何か」に縛られているなら、
それは「自由」とは言えない気がするのですが。

「ナニモノをも所有しない自己」っていう時の
「ナニモノ」とは、純粋にモノのことですか?
違う気がする。「経験」とか「考え」とかも含みます?
う~んう~ん…。
2012年07月23日(Mon) 01:08
オキツ様
編集
丁寧に読んでくださり、有難うございます

拒否→自由 のところ、私もわからないですi-201
また「拒否」という言葉は、シュティルナーが言ったのかどうかわかりません 内田節さんが選んだ言葉かもしれません

本の脈絡の中で見ると、この章以前ではいかに村の共同体が破壊され、国によって新たな刷り込みが行われたのかが具体的に書かれています さくらの木をめでる習慣さえもそのなかに入るそうで、あまりに一般的な楽しい行事なので驚きます

そういったことに気がついて、いったんは拒否してみる、そこから自由(何かからの自由=外基点)になってみる、するとその後にはじめて、自分の脈絡の中で重要なことを重要と思う自由(自分を基点とした自由)さに出会う・・今はそんなことをイメージします

「何物をも」と言っても、「自分以外の」なので、自分と自分以外の区別がどこなのか?も難しいですね

ナニモノは、ここでは社会的に外から価値付けられたもの、「意味付け」の全てということではないでしょうか?

オキツさんの抱かれたイメージに対し、適切なお返事が出来ていない気もしますが・・

内山さんはこの後の章では、シュティルナーを含めた「西欧的な個人」の主体性を否定し、小さな共同体の多様な関係性の中での人間を肯定していきます
それが「ローカリズム」の原点ということでしょう

自由の哲学で、シュタイナーが述べたかった自由は、どのようなものなのか・・(言葉を丁寧に使っていかないと、わけがわからなくなりますね)・・きちんと言えるようになることを目標に、考えてみたいです






2012年07月24日(Tue) 20:58
編集
たとえば、こういうことですか?
311以降、
「つながる」ことがとても大事だという風潮になってますよね。
私も、それを実感していたのですが、それからこっち、
あれこれやっている中で、
「もたれ合うことと、つながることは、簡単に混同してしまうな」
という風にも思えてきたんですね。

で、「つながるのが素晴らしい!」という風潮をいったん保留して、
「やっぱり、個人が一人で立つことが先決だ。
自分で立てば、必要なつながりは、必要に応じて生まれてくるから」
と、自分の文脈の中で考えたとする。

そしたら、その考えは、
最初に「つながるのは素晴らしい」と思ったものより、
一段階、自由に考えている、と言えますよね。
そういうことでしょうかね?

「自分以外のナニモノをも所有しない」
これも、線引きは難しいけど、
ものすごく潔くて、気持ちいい覚悟につながりますね。
村八分決定~って感じもしますが(^^;)。
小さな共同体の多様な関係性の中での「私」だと、
そういう姿勢も含めて、理解されるから、大丈夫なのかな?

こないだ娘(5歳)に
「なんで戦争が起こるの?」と聞かれましたが、
「自分以外のものを所有しない」という姿勢だと、
戦争も流行も起こらないでしょうね。

あ、そっか!
私が流行モノが苦手なのは、そういう意味だったのか~。
あれほど不自由な楽しみもないもんな~。
2012年08月02日(Thu) 05:10
オキツさま
編集
オキツさんの生き生きとした考察を、一緒に体験させていただくようで、楽しく拝読しました♪

「つながるのが素晴らしい」という風潮に関して、いったん保留・・自分の文脈を見つけて捉えなおす ・・一人で立つ中で、つながりが必要に応じて生まれる・・面白いです! 

自分の文脈を見つける、一人で立つ・・これは思考する場の出現とも言えますね
 
内山さんの著書によれば、国が国家としての連帯感を持たせるために地域ごとの小さなつながりを崩壊させる前には、それぞれの土地ごとに、田んぼのつながり、狩猟のつながり、お祭りのつながり・・等々がそれぞれ個性的に存在していて、一人の人が行動に応じて多様な共同体に複合的に所属していたとのことです

でも、これだと因習によって所属するグループが決まっていそうで、ちょっと抵抗を感じますけどね~

ただ、因習からのがれたつもりの日本人も、また別の、より大きなものの中に飲み込まれたにすぎなかったのかも?

自分が発見した脈絡によってつながりが出現するなら、それは何らかの意図を持って私達を飲み込もうとするものにとって、一番の打撃となるでしょうね!

ちょっと先走りすぎたかな・・

やっとgooブログにて「自由の哲学」ノート(http://blog.goo.ne.jp/hasutama)を始めることにしました よかったら遊びに来てください♪











2012年08月02日(Thu) 21:27
hasutama様
編集
まずは、自由の哲学をじっくり読んでくださるという嬉しいニュース!
hasutamaさんなら、もっと霊的な本も読めるでしょうに、
なんで、この本なんですか?
ちょっと不思議です。
でもすんごい嬉しいです!!

それから、お返事ありがとうございます。
自分で立つことでつながりが出現するのは、
なんらかの意図を持って私たちを飲み込もうとする者から見たら、
とても迷惑な存在でしょうね。

会社でも数字目標を持たされたり、
学校でも意味不明な規則(たいてい管理しやすさが目的の)を強制されたり、
はたまた、何かのイベントで盛り上がることを暗に求められたりします。

でも、何らかの意図を持って私たちを飲み込もうとする者は、
多少、相手を見くびってはいるものの
「こうしたら良くなるから一緒にやろうよ」
という気持ちを持って動くことが多いのかもしれません。
もちろん、そうでないことも多いでしょうが。

周囲は、あれこれと意図を持って飲み込みに来ますが、
私も、身近で子どもにいい環境を作りたいという意図を持って
周囲とつながりを作ろうとしたことがあります。

そんな時、自分で立たないで参加してくれた人に、
後でびっくりするようなことを言われたりもしました。
「イヤなら参加しなければ良いのでは…?」というような(^^;)。
その方にとっては、中身よりつながることが大事だったようです。

一人ひとりが一人で立って、
巻き込まれるんじゃなくて、自分の意志で動くことで、
結果的に同じ方向を向いて歩く人がヨコにいる、というような状態が、
強いつながりになっていくんだろうな~、と思えた出来事でした。

ともあれ今は、因習による所属グループが崩壊して、
自分次第で所属を選べたり、自由に作れたりするので、
今の時代に生きる私たちは、今の時代でもきちんと立てるよう、
それぞれで自分を立てて磨いていく必要があるんでしょうね。

あら、なんだか正しい感想文みたいでイヤだわ(^^;)。
2012年08月03日(Fri) 14:39
オキツさま
編集
う~む、淋しいから不安だからひまだから・・私自身も、そんな理由でつながろうとすることもあるかもi-202

シュタイナー氏が言っていたことで印象に残っている言葉に「人は何かを肯定することが無ければ、人生で本当の出会いに恵まれることはない」(言い方違うかも)というのがありました

肯定するというのは、案外難しく、勇気がいりますね 

私も子どもが小さい頃、小さな文庫を開いていたことがあります 色々な行事も行っていたのですが・・やはり、いろいろなびっくり事件がありましたよ~i-201 

今だに、他の方にとってそれが何だったのか?は不明です 何がどのように作用するかを、支配することはもちろん出来ないし、見届けることさえも難しいですね 

おぼえているのは、本をいっしょに楽しんだときの、お子さん達が見せてくれた表情とか、それぞれのお子さんが好きになる本を通じて、私もはじめてその本の魅力を発見できたこととか・・結局は自分ですかね(^^:

本が好きなので、本を通じて人と交流してみたいという願望は、ずっと持っている気がします

霊学系のシュタイナー本は、真剣な冗談のようで面白いですけれど、常にその話の根拠は不明のままにイメージを受け取るのみという読み方になってしまいます

自由の哲学はそうではなくて、理論を積み重ねてくれるので、きちんと石段を踏みしめていくような、手ごたえを感じることが出来るれるのではないかと楽しみにしています
この本はやはりシュタイナーの本の中で、特別なものではないかと思います

オキツさんのブログでちゃっかりカンニングしながら読めるので、気が楽だなi-235
2012年08月03日(Fri) 16:47
牛歩戦術で(^^)
編集
ふぉっふぉっふぉ、お気づきでしょうか?
私のブログでは、こっそり3章を飛ばしています(^^;)。
後で追い付いたら書こうと思いつつ、
追いつかないうちに忘れちゃった、というのが現状で。
(とは言え、追いついたら書くつもりですが)。
私は相変わらずアタマの回転が鈍くて牛歩なので、
hasutamaさんが早く抜かしてくださるのを楽しみにしてまーす(^^)/
↑本気です。

自由の哲学については、私も同じ思いです。
わからない世界のことは、信じてみるかどうか、という話になるけど、
自由の哲学は、自分が普段無意識にやっていることを
意識化して、コントロールできるようにさせてくれるような、
そういう本なんじゃないかな~と。

文庫されてたんですか! お仕事もしつつ? 
そんなことできるんですね~。
私も興味あって、こっそり絵本を集めたりしてるんですが、
子どもは友達と一緒だと、もれなく大喜びで騒がしいので、
静かにすること自体がムリそうです(^^;)。
2012年08月06日(Mon) 00:06
オキツさま♪
編集
いや・・それがですね
読み始めたものの、意味わからなくて愕然としています
実は、これがはじめての「愕然」じゃないのですけどね
前にもオキツさんと読もうととりかかったものの
一回挫折しているのですi-229

何年かかけるつもりでもいいかな
そのくらいのつもりで・・まさか?というくらいの
スローペースでやっていく自信あり!です

文庫は三女が生まれたあとで、一時体調をくずし
仕事をやめていたので暇だったのかな
どうせなら、子どもといっしょに楽しめることをしたいということで
大学生のグループが来てくれたので助かりました
落ち葉たきで焼き芋とか、竹で水鉄砲作りとか
クリスマスおはなし会とか
お母さんどうしでごはんつくって子ども達と食べたり
わーわーと楽しんでいましたよ
なつかしいな♪


2012年08月07日(Tue) 20:12
ステキですね♪
編集
文庫、ステキですね♪
自分のペースで少しずつ楽しんで行こうかな~と思います。
自由の哲学、私ももう一回、序の所、読んでみますね。何か書けたら書いてみます。自分で書いた時には何か分かった気がしたんですけどね…。どうかな。コワくて読めない…(^^;)。
2012年08月10日(Fri) 15:28
オキツさま
編集
オキツさん、有難うございます

一つめの「問い」で、しまいには、チンプンカンなドイツ語とも格闘していましたi-201

おかげさまで、だんだんとイメージが固まってきました!わーいわーい♪

今生中に終わらなくても、来世の楽しみがあっていいですかね?(来世があるなら・・)

冗談はともかく・・よいイメージがわくためにも、自分のペースってすごく大事だと思いますi-236




2012年08月11日(Sat) 23:37












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プロフィール

hasutama

Author:hasutama
神秘学徒hasutamaです・・なんてほんとうは、ただのおばさんです
シュタイナーの著作を読むこと、愛犬をかわいがること、音楽にかかわること、お庭仕事、友人とカフェでおしゃべりすることなどを楽しんでいます

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