認識のさんぽ道

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私はエリヤだと思ったのかもしれない

パウロ・コエーリョさんという方の小説にはまったときがあって
彼はクリスチャンで、キリスト教的な話が多かった
その中で「第五の山」という小説があります
預言者エリヤが主人公です

どうしてかわからないのですが
このエリヤという人が大好きです

どうしてエリヤが好きなのか知りたくなって
エリヤのことを少し調べてみたらわかった気がしました

笑ってしまうような話ですが
自分では自分のことエリヤに重ねて考えていたのかもしれないです

本を読むときは主人公と自分を重ねることはよくあると思いますが
特別思い入れがあるときには、自分のカタルシスみたいな
普段自分が思っている意外な自分像みたいなのが
そういうことから見えてきて、面白いと思いました

でもそれならシュタイナーを好むことにも、それは言えている

一部の者だけが理解するものの元に生きて
まわりの理解の無さに苦労していく人

何したいんだ~自分~!?って
そんなヒーロー気取り!
だからこういう現実を迎えているのだと

それなら、もういいかげん味わっているから
少し違った展開が欲しいし

よくよく自分を見つめてみたいです
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Comment

あ~・・・
編集
ぼくは、本の主人公と、似ていること、そうでないこと、はっきりさせているなあ。
2009年11月21日(Sat) 22:43
ところで
編集

預言者と予言者はちがうんですね~

自分にそういう潜在意識があるから、そういう現実があるんじゃないかなと思いました
それは自分が選んでいることなのかな・・って
意識の持ち方の、そのスタイルのことですけど

2009年11月22日(Sun) 07:45
「自分が選んで」
編集
なにかの本にそう、書いてありました、「人生は選択の連続」だと。
2009年11月22日(Sun) 19:14
重ねて。。
編集
一日生きることが。。全て自分に帰結するんですよね。。
だから自分が知りたくなるのかもしれないですね。。これでよかったのかと。。
そしてこれから先の選択を間違えないようにと。。
2009年11月22日(Sun) 20:25
変かもしれませんが
編集
こう考えてみることがあります

自分が自分の現実を創造しているのかもしれない・・って

そこから逆算して、今度は

こういう現実を体験している自分は

そういう発想をしているのかもしれない

・・・とか

あまりまじになってそう考えるわけではないんですが

自己発見というか、自己認識の一つの遊びみたいに・・
2009年11月22日(Sun) 22:14












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プロフィール

hasutama

Author:hasutama
神秘学徒hasutamaです・・なんてほんとうは、ただのおばさんです
シュタイナーの著作を読むこと、愛犬をかわいがること、音楽にかかわること、お庭仕事、友人とカフェでおしゃべりすることなどを楽しんでいます

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