認識のさんぽ道

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国よりも先生を信頼出来るかな

「現代と未来を生きるのに必要な社会問題の核心」 ルドルフ・シュタイナー著 より

われわれの公共生活の混乱は、精神生活が国家と経済に依存していることによる。

教育制度並びに公共の精神生活が中世において、それを占有していた人の手を離れて国家の手に委ねられたのは、近世の社会状況にとっては必要だった。しかしこの状態を今日も維持しようとすることは、重大な社会的誤謬である。

国家制度の内部で精神生活は自由を獲得するようになったが、完全な自己管理が許されないならば、これからの精神生活はこの自由の中で、正しく生きることが出来ない。

精神生活はその本質上、社会有機体の中で、完全に独立した分野として形成されることを求めている。



ふーむふむと、ここまでは思うが、

すべての精神生活がそこから発するところの教育制度、学校制度は、教育する人たちの管理下におかれなければならない。国家もしくは経済の分野で働く人がこの管理に介入することがあってはならない。どの教師も授業のために用いる時間を、自分が教育分野の管理者でもありうる程度に留めておくべきである。そうすることによって、教師は教育と授業に心を使うのと同じように、管理にも心を使うことができるであろう。

誰でも、生きた教育実践をしていない人は、指図してはならない。議会もそうしてはならない。かつて教師であったとしても、今はそうでない人もそうしてはならない。授業の中で直接体験したことを、管理の中へも流していく。そのような制度の中でこそ、自然な仕方で、事実に即した態度と専門分野での有能さが最高度に発揮されるのである。



こうなるとなんだか不安な気持ちになる
しかし、そうでないなら教師はただの駒でしかない
駒に育てられるものが駒に育つ
案外それこそが、国家の目的なのかもしれなくて・・
教師の、この力を応援し信頼することが、それをより素晴らしく生き生きとすることにつながり、
そうした教師に育てられる子どもが、より個として素晴らしく生き生きとなるのだ・・と、
それを想像できないなら、国家による介入、統制を素直に受け入れる羊となり、
自分の子どもを子羊として育てることになるのではないだろうか?


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Comment

こんばんは。
編集
「教師の、この力を応援し信頼することが、それをより素晴らしく生き生きとすることにつながり、
そうした教師に育てられる子どもが、より個として素晴らしく生き生きとなるのだ」
hatutamaさんのことばはうれしいです。
ひとりの先生の世界を信じること。
とことん子どもの可能性を信じて。
お互いに信じあってむすばれあうこと。

最近の大阪での先生批判には、うんざりです。大事なことがわかってないって!と思うのです。

2012年02月28日(Tue) 00:26
ひよっこさんへ(^^/
編集
コメント有難うございます!

実はこれはひよっこさんのブログの記事を読ませていただいて、
私もぜひ考えてみたいと思って書きました

大阪の状況がよくわかっていなくてごめんなさいi-201
もっと興味を持って知る努力をしたいと思います

正直、どんな教育を望むのか?を、真剣に考えたことがありませんでした 
子どもの学校生活では、先生に対して大感謝もあれば、大批判もありますが、
自分のこととしてどのような教育を望むのか?と主体的に考えてみたことがないのですi-229

今さらですが、自分の考えを持てるようにしたいですi-201





2012年02月29日(Wed) 08:41












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Author:hasutama
神秘学徒hasutamaです・・なんてほんとうは、ただのおばさんです
シュタイナーの著作を読むこと、愛犬をかわいがること、音楽にかかわること、お庭仕事、友人とカフェでおしゃべりすることなどを楽しんでいます

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