認識のさんぽ道

ルドルフ・シュタイナーの著作を楽しみ、 認識の小道散策へ出掛けます
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お金と自由 vs ?

先日記事に書いた「ナバホへの旅 たましいの風景」という本は、
ユング派の河合さんが2002年に書かれた本で、
2007年に河合さんは亡くなってしまわれたのだから、
亡くなる五年前にあたる 

最後まで読んで思ったのは
河合さんはこの本を
グローバル化の中での日本文化の行く末を案じられ、
ユング心理学者として
日本人が自分の物語に気がつくようにという
願いを持って書かれたのではないかということ

彼は個人だけでなく「日本人」に対しても
自覚、意思を促す臨床心理療法を
行って下さろうとしたのではないかと思った

彼はその危機感と意図を持って
ナバホへの旅に出られたのではないだろうか?

まさに今日本に突きつけられているTPPは、
経済はもとより、日本の文化を、
もし日本人が自覚的に守る意思を持たないならば、
失ってしまう加速度を速めるものなのか?

それとも、自分の価値を再認識し、
世界に打ち出していくほどに(商品として?)
意思を強める可能性を与えてくれるものなのだろうか?

以前にも私は彼の著作にはまっていた時期がある 
そのころは、自分が好きな物語、昔話の魅力を
ユング派がテーマとして取り上げてくれていることが面白くて
夢中になっていたのだ

特に私が好きなのは「明恵 夢に生きる」という
夢から悟りを開いたお坊さんの話と、
「あなたが子どもだったころ」というインタビュー形式の本だ

なぜ印象に残ったのかと考えてみると、
それらの本はやはり
自分自身に与えられているものに対する自覚、
それを意思を持って生かしていくという作用を、
もたらしてくれたからだと気がついた

私が、個人として思索するときに、
自分という枠の外との関係性をどうとらえればいいのか 
それは外的なことばかりではなく、内的な自己に関しても・・

たとえば、偶然性ということをどう考えればいいのか?
というテーマを考えてみると面白いのだが・・

自分という枠組みをもし素直に眺めてみるなら、
それは、自己だと思っている範囲で閉じているものではなく、
内的にも外的にも、自覚できる範囲を超えた
「広大なものを含んだ自己」に気がつくのではないだろうか?

自己は宇宙大の連関のなかにあることを、
特に「内面的な外界」との交流に関して、
河合さんの著作から教えられるものは大きかったと思う

「明恵 夢に生きる」では夢の示唆するものが、
人の意識をより高度な感受性へといざなってくれるものであること、
「あなたが子供だったころ」では、
偉大な人が必ずしも良い親に育てられたのではなく、
それどころかとんでもない親のもとに生まれてしまって・・
しかし、その状況をどう生き抜いたかによって、
かえってその宿命がその後の人生を豊かに展開させていく鍵を与えてくれる
ということを教えられた

つまり、自分の物語は、どのようなものであろうと
これからの自分にとっての重要な何物かであり
それを何物にするかは、
自分がそこから何を見つけ、どう生かそうとするかにかかっている

外的偶然性を、内的必然性へと転換するには
内的把握力、創造的思考を必要としている

私という個人も、日本という国であっても
自分の脈絡を把握し、その必然性をもって
未来を選んでいく権利があると考えていいのではないだろうか
それが人の脈絡と異なっているときに
説明できるだけの自己把握力、自覚と意思が
個の確立なのではないか・・?

日本は自分の物語をどう自覚し未来を築けるのか
それともアメリカの、大企業の物語に巻き込まれていくのか・・

自分自身の物語に基づいたセオリー、誇りある理論武装を
導き出すほどに大人になれれば・・

ただ・・それが単に国の物語が個人の物語を踏みにじる形のものであるなら、
アメリカ、あるいは企業の物語を押し付けられるのと変わらないし・・

「ナバホへの旅 たましいの風景」は
「日本の課題」という最終章で終わっている↓

・・私は日本人はこの21世紀をどのように生きてゆくべきかについて考えていた。ハットン教授が、自分たちもアメリカ先住民に学ぼうとしているのだから、彼らが白人の文明を取り入れようとするのはいいことだ、と言ったとき、私はついてゆけない感じがしたのは、たとえば、ナバホの人が白人の文明に入っていっても、よほどのことがない限り、その下層に入ることになろう。その上、ナバホの場合は、生活のディティールがそのまま伝統的な思想、宗教に結びついているので、生活を変えるけれど、伝統的なものは保持するなどということは出来ない。生活を変えることで、すべてが根本的に変わってしまうことになるのだ。要するに、ナバホが西洋文明を取り入れるなどということは考えられない。むしろ、そのなかに埋没させられるだけである。

極端に悪い言い方をすると、アメリカ先住民の知恵は結局のところ、白人のなかに取り入れられ、アメリカ先住民たちは、その下層に沈んでいく、ということさえ考えられる。
 何もそのことについてそんなに馬鹿げた心配をすることはないじゃないかと言われそうだが、実は似たような悲劇の可能性を日本人についても考えているからである。

グローバリゼーションの波の強さのなかで、やはり最も強力なのは、西洋近代の考えを拡張した形で生きているアメリカ文化であるだろう。それは確固とした「個」をつくりあげ、科学技術で武装し、その考えの「普遍性」を主張してくるだろう。それが、すでに述べたようにキリスト教の倫理観によって抑制されているうちはまだよいが、それも弱くなると、それは無制限に拡張してくるだろう。もちろん、彼らに言わせるなら、それは無理やりにでなく、「法律」を守って公正になされるだろう。

しかし、「法律」の恐ろしさについて、あるアメリカ先住民が言った次の言葉は印象的である。「白人は法律によって罰せられない限り、自分を正しいと思っている。」つまり、法律の網の目をうまく抜けることのできた人間は「正しい」人間として力を持つのだ。その正しさによって、アメリカ先住民は実に多くのものを奪われてしまった。

このことを考えると、われわれ日本人はまだまだ伝統的なよさを保持しているものの、それだけを頼りにしていると、欧米の文明の力には対抗できないことがわかる。たとえば、日本のよさがあるにしても、それを外国人に外国の言葉で説明して、納得させるような強さを持たねばならない。そして、欧米の人々に対応できる「個の確立」ということが、二十一世紀における日本人の必須のことになる。このように自覚的に自他の文化をとらえていかない限り、われわれもまた、グローバリズムの名のもとに、西欧文明の中に埋没してしまうだろう。


「法律」=TPPに思われて・・

日本、西欧と言っても、日本もすでに西欧的物質文明を推し進めているのだが

文明というより、
経済、雇用、投資・・
お金、自由という言葉に、何を対抗させる?

そして、日本人の個の確立・・
出来るのだろうか?

おわり・・

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Comment

No title
編集
hasutamaさん、こんばんは^^

いつも素敵な思考ですね。
でも、長かった・・・・。僕は不真面目だから^^;

明恵上人の夢を生きるは、我が家にもあります。
読んだのは20代の頃ですが、すきな坊さんの
一人です。ユングも何冊か・・・。

難しいことを人々に伝えるため、如何に平明に
翻訳するかいつもない頭で苦心しています。
自分の身近にいる、例えば職場や地域、人たち
と自分の個としてのアーリマンがどう影響して
いるのか、そこに現実があると思います。

hasutamaさんのような理知的で優しい考え方は
やはり一部なのでしょう。日本人というとその平均
になりますから、最大公約数は個の確立を果たせ
ないでしょうね。最小公倍数しか。何故なら、今の
子供たちや若者たちが答えですから。

シュタイナーは教育を理論化して、素晴らしい教師
も育て実践しました。その辺をもっと勉強しようと
思います。

宇宙人、知的生命体が姿を現したら人類はいい
変化をするかも知れません。黒船みたい?^^
2011年11月05日(Sat) 20:14
すー様 ♪
編集
長いですよね!
考えながら書いたら延々と続いてしまった~
それなのに読んでくださり、申し訳ないです(汗~)

河合さんが亡くなられる前のことを調べてみると、文化庁長官でいらしたとき、奈良で壁画の保存が悪かったことを隠蔽していた文化庁としての謝罪をして回られていたのだとか・・

やるべきことをしないで、失敗を隠す役人の、謝罪の為に心身を疲弊されたのだとしたらと考えると・・あ~この国の命運もここに集約されるような気がして、げんなりします

うちの子供たちの中で個が確立しているように見えるのは、三人のうちの一人・・芸術に関わっている娘かな・・芸術表現は個を見つめざるを得ないところがあるからか・・シュタイナーが教育に芸術を取り入れたのは、個の感覚と宇宙に生きているという感覚が、同時に自然に身につくからかもしれませんね

私の職場の人たちを見ていると、ここはどこ?サルの惑星?と思うほど言葉が通じません 個の確立・・なんて、何万年後でしょう?ちょうどプルトニウムの半減期がおとずれるころに、個が確立するのかもしれません 楽しみです(^^:



2011年11月05日(Sat) 21:14
No title
編集
hasutamaさん。おはようございます。
素晴らしい論考ですね。何回も来ては読みかえしました。

『外的偶然性を、内的必然性へと転換するには内的把握力、創造的思考を
必要としている

私という個人も、日本という国であっても、自分の脈絡を把握し、
その必然性をもって未来を選んでいく権利があると考えていいのでは
ないだろうか
それが人の脈絡と異なっているときに説明できるだけの自己把握力、
自覚と意思が個の確立なのではないか・・?』

本当にそうだと思います。外的偶然性というのは、誰の前にも起こる。
しかし、こころの目が閉じていれば、内的把握力、創造的思考が
なければ、人はそれをただ素通りして、自分に連関したことだと
考えないんですね。そういう人ばかりだと、ほンとに、『猿の惑星』
状態に!(笑)

日本人は先進国中の先進国でありながら、残念ながら『個の確立』
ということではいまだ赤子のようなものですね。宮台真司さんなども
嘆いていますが、まず、自分で考えない。想像しない。強いものにお任せ。
だからどんな大変なことが起きても、何となく人ごと。いよいよ足元に
水が押し寄せ、お尻に火がついてから慌てる。
そして、自分の考えを述べると、日本では逆に社会ではどちらかというと、
敬遠されがちになってしまうような気がします。日本では、よく言われるように、
阿吽の呼吸というか、問わず語り、空気で会話をする。それを敢えて口にすると、
『空気が読めない人』になってしまう。だから、深い考えを持っている人も、
「それは違うんじゃないかなあ…』と思いつつ黙っているようになってしまいますね。。
大会社オリンパスのずさんな経理体質が、今、世界の驚きになっていますが、
あれなども、日本のそうした悪い、なあなあでものごとが何となく進んでいって
しまう習慣、体質が表沙汰になったということですね。
……だが、ああ、しかし、日本のそうした曖昧な物事の進め方が、
アメリカなどの理詰め、ルール一辺倒の、非情なやり方を知るにつけ、
なんだか懐かしい、いいもののように、TPP参加の前に
すでに思えてくるのは、私の想像力が先走りし過ぎているのかなあ!(苦笑)

ただ、本当に、アメリカなどの象徴するような、『法があるのだから、
条約があるんだから、協定を締結したんだから、そのルール通りにやって行く。
それのどこが悪いんだ!』という考え方のグローバル化の中で、日本人の
阿吽の呼吸、情の外交、情の商取引は通用しない。
日本はこれから、例えは悪いけれど大津波のように押し寄せてくる、アメリカの
ルールの押し付けを、どうかわしていくのでしょうか。世界に向けて
何を語っていくのでしょうか。語るべき何をいったい持っているでしょうか。
日本人一人一人が、自分たちの弱点を知って、自分の頭で考える、自分の足で
しっかりと立つ、そして自分の言葉で外に向かって語ることが出来る…
その訓練が必要ですね。日本型の『情』の会社経営などは、本当は
とてもいいものをその内に含んでいたはずなのですから。

日本の良き伝統と、西欧型の理詰めの正確厳正な物事の追究と…、
その両方をうまく融合させ、世界に日本の『個』を雄々しく
打ち出していく…そういう国になりたいものですねえ。
無理かなあ。i-201
2011年11月10日(Thu) 11:25
彼岸花様 ♪
編集
いつも有難うございます!

まとまらない話を丁寧に読んでくださり、申し訳ない気持ちですi-201

河合さんはユング派なので何事も深く掘り下げられていて感動したのですけど、実際どうなのでしょう!?TPP、実は単に目先の儲け話にすぎなかったりして・・ 東北の復興の話に、アメリカ企業も便乗させろ!みたいな?

河合さんの話で恐いと思ったのは、法律です 立法は国民の為に行われると安心していると・・国内で成立する法律でさえ、アメリカ?投資家?外国企業?に国民のお金を流すシステムと化してしまったりして・・

雁屋さんの「シドニー子育て記」で、子どもの友だちが家に遊びにきたら、家中を探索されて冷蔵庫や引き出しの中までひっくり返される・・なぜそうするのか?と聞くと、禁止しなかったではないかと反論されるとのことでした 禁止されないことはやってもいいこと・・i-201
彼岸花さんがブログで書いてくださっていたなかにも、そういうお話がありましたね!

そーいえば、ハーバード白熱教室ですが、あれに私は「ついていけない」ものを感じます 暗黙の前提で、言葉上はっきりしないことは無いも同然、発言の機会は平等に与えられたではないか?・・って、強迫的な空気が流れている気がして、だんだん焦って悲しくなってきますi-240

ナバホで最も重視されるのはホッジョーという「調和」の感覚なのだそうです それがもし全ての前提にあるとしたら、白熱教室は成り立つかな・・
まるでホッジョーは、未開の、間抜けな文化みたいですが、決してそうではないと思うのです・・

個の確立のもっと進化系は、ホッジョーである!
ホッジョーを重んじないものは罰する!なんて・・それこそホッジョーを重んじていないですね(^^:

2011年11月11日(Fri) 18:07












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プロフィール

hasutama

Author:hasutama
神秘学徒hasutamaです・・なんてほんとうは、ただのおばさんです
シュタイナーの著作を読むこと、愛犬をかわいがること、音楽にかかわること、お庭仕事、友人とカフェでおしゃべりすることなどを楽しんでいます

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