認識のさんぽ道

ルドルフ・シュタイナーの著作を楽しみ、 認識の小道散策へ出掛けます
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魂=風景

このところ頭はいつも混乱している私です

もし脳みそを開けてみたら、ザクザクとお宝が
ではなく、はてなマークがこんがらがっているでしょう

よくショッピングセンターなどでやっているクジの装置
あのぐるんぐるんと回して、コロ~ンと玉が出てくるあれ
なんていうんでしょ?

脳みそが混乱してぐるんぐるん回って
でも、いつか何かのタイミングで、
コロ~ンと、玉が出てくるんじゃないか?

そう信じているとしたら変でしょうか?

今ちょっと、面白く思っている本はこれです↓


ナバホへの旅 たましいの風景ナバホへの旅 たましいの風景
(2005/07/15)
河合 隼雄

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ナバホはアメリカのネイティブの方たちです
いわゆるインディアンと呼ばれてきた民族で
私はこの方たちの世界観には、すごく共感できます

でも今それをうまく説明できません

私は原発事故以来、今の社会の出来事に
関心を持つよう努力しているつもりなのですが
でも、やっぱり一番心惹かれるのは「神話」や「伝説」の世界です
どうしてそんなものが好きでたまらないのか?
何でなの~!?と思うのです

それに対しこの本はヒントを与えてくれます

世界のとらえ方というのは、いろいろあるのだということ
解釈というのではなくて
存在の仕方・・というか・・

例えば、「所有」ということ一つでも
土地、空気、水
誰のものだなんて言えるのだろうか?と思います
立証し、損害を補償・・

ナバホの人たちにとって、風景は魂でもあるようです
風景への思い・・と対象化するというより
「風景=魂」なのではないかと思います
そして魂=私なのでしょうから
だとしたら、魂に対する損害の補償はどう立証する?
「風景の土地は私のものではないかもしれないけど、風景は私自身なの!」
でもこれは、非常にすっきりする訴えです だって本当にそうなんだもん!

世界が神話的に存在するとしたら

いや、世界というのは神話なんだ・・って
私はそう存在している
私は、私を含めた神話の「中」に暮らしている
でもって、その神話世界は、私自身の(中にある)魂でもある
・・のではないかな?

この表裏一体感が生きるということではないのか?

 ?  ?  ?  ?

よくスピリチュアルの世界で言う
ワンネスとはこの感覚かしら?

実は神秘学徒の条件にも
「自分を世界の一部であると考える」というのがあります

内界と外界の一体感がもし感じられるなら
外界を汚すことは自分自身の魂を汚すことだと
「感じる」ことができるのだろうけどな・・

言葉の隙間から抜け落ちていくものの大きさ
でも神話や伝説はそれを救い上げて
想像力豊かに抱きとめてくれる気がし嬉しくなります
まるで魂のゆりかごのようです

しかし、いったいそれを社会に向かって訴えるすべはあるのでしょうか?
禁断の実を食べたイブ・・蛇は狡猾にささやく・・
世界は蛇の思うままじゃないのか?

自称神秘学徒としても焦ります

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Comment

編集
i-241こんばんは。
風景=魂=私。……

ナホバインディアンの人々などの考え方は、きっと、今のアメリカを
中心とする、目にするものすべて、極端に言えば、ひとの心さえも
金銭価値に換算して取引材料にしようとする経済のあり方と、
対極にあるのでしょうね…
深い深い哲学があるだろうと思います。
彼らにとって、自分たちがもともと住んでいた大地、自分たちそのもの
である大地が、白人たちによって核によって汚される。
気の遠くなりそうな長い年月の間をかけてアメリカの地下に
溜まってきた雨水…中部アメリカのオガララ帯水層の地下水は、
大規模農家の灌漑用水として汲み上げられ続け、場所によっては
もう枯れ果ててしまっているところもある…
そういうありさまを見て、どんなに悲しいことでしょうね。
日本は、本来、ナボホ・インディアンと同じように、自然と一体化した
暮らしをしてきたと思います。ところがいつの間にか、そうでなく
なってしまいましたね。この、自分たちが仮に住まわせて
もらっているに過ぎない大地を、海を、空気を、取り返しのつかない
汚し方をしてなお恥じない…。
日本も、八百万の神の国だったのにね・・・。

いま、私も考えを纏めようと勉強しています。^^
2011年10月29日(Sat) 21:01
彼岸花様 ♪
編集
いつも有難うございますi-80

このところ不思議に思っているのです
私はどちらかというと感情表現しない方で、自分の感情を排除する傾向があるように思うのですけれど、最近は感情を体感・・身体的に自覚することがあり、何なのかしら?とあやしんでいます

どうしてそんなことを言うかというと、彼岸花さんにいただいたコメントを繰り返し読ませていただくと、なぜかじわっと悲しくなってきて、ちょっぴり泣きたくなってきます 実を言うとちょっと涙が出てしまいましたi-201

記事に書いた本は愛読、勉強させていただいている方のところhttp://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2011/09/post-7fde.htmlで紹介されていたのですが、「ナバホであるとはどういうことか?」「ナバホの谷でとれたものを食べるということだ」という話が紹介されていて、私自身の愛国とは何か?と考えていたときだったので、その言葉は非常に胸に刺さりました ナバホの土地は今は悲惨なことになっているようですね その土地で取れたウランは、日本にも運ばれているのか・・i-227でも今では日本も、土地で取れたものを安心して食べることは出来なくなってしまった・・それが日本人であるということ?

私の好きな論理・理念・・それと魂・・どうつながればいいのか、そのつながりの無さが、論理的に魂を虐げているのではないか?なんて神秘学徒としては考えてみるのです それはきっと私自身が感情を抑圧することにも関連しているのだろう?などと妄想もしてみます 

西欧的なもののとらえ方は、どう転換しなければならないのでしょう?お金という数字に、世界を換算することの暴力性を、どう説明できるのかと考えますi-201どんなところもお金儲けの材料とされてしまう、漫画みたいな世界に対し、神話的な考えが、そう滑稽であるとも言えないと思うのですが・・

私自身の解決を、世界自身も待っている?と神話的に思考して頑張ってみたいです・・i-179
2011年10月30日(Sun) 10:15
ありがとうございました♪
編集
あれれ コメントをいただいていたように思ったのですが・・

いただいたつもりのコメントにお礼(^^/

自我は不思議なものですね
意識はなぜあるのか・・ 意識があるから孤独もある ですが意識の連続性、独立性・・は、たくさんの誤謬の可能性と共に、未来への可能性を持っているのでしょうね それはまだ確立されたシステム的なものではなく、創造されていく過程にあるものだから、試行錯誤があるのでしょうかね 

誰のものでもないものは、みんなに与えられたもの・・謙虚、感謝というと月並みですが・・でも経済原理からすれば、そんなことどうでもいいこと・・文脈が違うとき、狡猾なほうが勝つという現実に、世界は滅びていくのか?と残念に思います ですがそれにどう対峙するかという選択に対し、個人の心のなかにだけは、自由はある・・?もし世界が意識を洗練させるためにあるとしたら・・この状況はすごい修練となりますねi-201

ほんとうに、学ぶほどにわけがわからなくなる私です
どうぞ叡智あふれる皆様のご加護を~i-179



2011年10月30日(Sun) 14:52
す、すいません!
編集
今日、コメントの一部を訂正しようと思って、手直しして再送信したつもりだったのですが・・・。
消えてしまっていました<(_ _)>
なんだが、とっ散らかってしまってすいません!

そうですね、hasutamaさんが言われているように、生きる社会ではいい意味でも、悪い意味でも、制限がどうしても生じているのが現状なのだろと感じます。

でも、そうだからといって、自分自身の心まで不自由になる必要なんて本当はないんじゃないかなって、ここ最近はとくにそういったことを考え、感じている私です。

また伺わせていただきます!

2011年10月30日(Sun) 16:11
神話
編集
hasutamaさん、こんばんは^^

神話は今も生まれていると思うのは
楽天的でしょうか。

こんな狂気の時代にこそ、神話は生まれるの
でしょうね。ナバホもイロコイも、生き方を変えず
に生活している人もいます。心と暮らしがバラ
バラになるから、病むのかも知れません。

輪廻思想とライフスタイルが鍵だと思います。
hasutamaさんの魂、深いですね^^
2011年10月30日(Sun) 20:42
fusa☆様 
編集
大丈夫ですよ! それより、コメント有難うございますi-80

そうですね、良くも悪くも・・それを材料にまた気づきも深まるのだからその全体に感謝でしょうかね
日本もアメリカにくっついていってシロアリのように世界を蝕んでいきながら自滅するのか踏みとどまれるのか?と心配ですが、私などには何も出来ないのだろうな・・霊の世界をもし信じるのなら、この世でのぼろ負けの死も、屈しない魂が闇の勢力に勝利したのである!・・っと正反対の物語になるのかも!?

せめて想像力の世界で踏みとどまれますようにi-179

fusaさんのブログ、いつも楽しみにしています♪
2011年10月31日(Mon) 12:53
はなさかすー様 ♪
編集
すー様、コメント有難うございますi-239

バタバタしていて遅くなりごめんなさい!それに、すー様のコメントは、不思議と考えさせられてすぐには言葉が出てきません ポロッと、玉が出てきてくれるまでに時間がかかる・・(??)

あ~私自身は、これって能天気というか?・・すべて神話ととらえているのだと自分で気がつきました

合理的(何が合理?)な考えと、超合理を並立していても人に迷惑をかけないならいい?i-179

それをすぐに宗教的な考えに還元してしまうのはちょっとつまらなく思い、それぞれが個人的に神話的思考というものを持ってもいいのではないかと考えます 自分の神話と世界とのコラボ(共時性?)を感じれば、どのような狂気の時代にも、自分を見失わずにあるべき方向性を神話の脈絡から見つけることが出来るのではないか?って・・この効能としては、見つけるかどうかより、その過程を生きることが面白くなります (時代の狂気に対抗する狂気だったりしてi-229

社会の社というのは、地域で同じ価値を共有するための集いの場?っと何かで読んだ気がします
しかし、私が思うに、これからは共同体的な社ではなく、個人的な脈絡を最大限に尊重できるようにならないものか?と思います それが自分勝手とならないためには個人の成熟が必要ですが 人の神話ではなくその人の神話が成就する、一つの人生を超えていくその脈絡をお互いが尊重し合えることを夢見ます 病というものも、魂の文脈の中でのヒントとなるものなのだと考えると、人生を越えた過去と未来がそこからつながって行くのかもi-239私ってアナーキストなのかしら?個人を尊重するとバラバラ・・とも限らないですよね?成熟した人間どうしによる共生・・夢かな~
2011年11月02日(Wed) 08:46












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hasutama

Author:hasutama
神秘学徒hasutamaです・・なんてほんとうは、ただのおばさんです
シュタイナーの著作を読むこと、愛犬をかわいがること、音楽にかかわること、お庭仕事、友人とカフェでおしゃべりすることなどを楽しんでいます

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