認識のさんぽ道

ルドルフ・シュタイナーの著作を楽しみ、 認識の小道散策へ出掛けます
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偶然に依存・・or 心の広場でのコラボ?

偶然・・必然・・共時性・・

自分がやろうとすることが
ほんとにそれでいいのだろうか?って
自分だけのことなら何も気にしないでいいけれど
人と関係することになると
どうしていいのかわからない

それにどちらかというと内向き志向なので
人とのかかわりを自分から作ったり
一緒に何かやったりするの苦手・・と
そう思いこんでいるところがある

そーゆーときに
ふと頭に浮かんだ人から
急に電話をもらったり
道でばったりあったりすると
あーこの方向性でいいのかも?と
肯定されたような気がする

今日はそんなことがあった日で
そうかこれでいいのかなと思った

もしやろうとすることに価値があるのなら
でもって、その価値にとって私に出来ることがあるなら
私を使ってくださいね!

考えも感情も意思も
自分のことなのに
外側から与えてもらう気がする

そういう、自分だけにわかる「サイン(?)」が
無いときには
物事は進んでいかないのだと
心の中でなんとなく思っているのかも?

偶然に依存しているのかな・・
偶然と共同作業しているのかな?

私の心を、偶然は知っているのか?
それとも偶然の心を私が感知する?

どちらにせよ
もし「心」が個人的なものでないとすれば
いろいろなコラボが考えられる
コラボとは共演という意味らしい
それならば「心」は舞台かな

心という舞台みたいな広場みたいなところで
何かに出会うにはどうすればいいのだろう?

思い出すのはシュタイナーの
「人が何かを肯定しないならば、
 人間にとって本当の出会いというものは訪れないのです」
という言葉だ

何を肯定するのか、どんな出会いをするのかに
責任を持たなくては?

おしまい













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Comment

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2011年10月06日(Thu) 13:52
Re: ご縁。
編集
丁寧なお心遣い、たいへん恐縮です

うまく表現することは出来ないですが・・
私としては、才能のある方が素晴らしく自己を表現される様子を拝見することは、喜び以外の何ものでもないと申し上げたい気がします

また、憧れや尊敬が母音で表わされ、反感が子音で表わされる・・というシュタイナーの言葉を思い出すとき、子音によって存在が形態を与えられていることの意味は何なのだろう?と考えます

形を持たないように見えるブログの世界でも、人の形は浮かび上がり生きて歩き始めるのだということ・・に対し、自称神秘学徒としてはやはり心からの畏敬の念を感じます

こちらこそ、素敵な学びを有難うございます

(追記・・URLを記してくださり嬉しいです またぜひお邪魔させていただきたいと思います)

2011年10月06日(Thu) 17:22
管理人のみ閲覧できます
編集
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2011年10月06日(Thu) 23:22












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hasutama

Author:hasutama
神秘学徒hasutamaです・・なんてほんとうは、ただのおばさんです
シュタイナーの著作を読むこと、愛犬をかわいがること、音楽にかかわること、お庭仕事、友人とカフェでおしゃべりすることなどを楽しんでいます

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