認識のさんぽ道

ルドルフ・シュタイナーの著作を楽しみ、 認識の小道散策へ出掛けます
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Jack Rabbit / 風の試練

先日、夫の野球観戦にお供したときに
球場までのドライブに「好きな曲かけていいよ」とのことで

座席の横にあるCDケースを開けてくれたので見ると
「REAL BLUE」というJAZZアルバムを発見した

それをセットしてから、おしゃべりし始めて
明日は反原発デモに参加するのだ~!と
昨今の腹立たしい出来事について息巻いていたのだが

途中、めちゃカッコいい演奏が流れて、しばし中断・・
あ、このピアノ、もしかしたらナントカ・ナントカさん?
(名前が出てこない



やっぱりね!
理知的ハチャメチャさが、カッコいい~

自由になっても薄まってしまわないのは
自分を固定的にとらえていないから?

寄る辺無いことを恐れるのではなく
そこでいかに自分のリズムを作り出せるか

混沌を楽しめる平静さ?

そう言えば 神秘学修行には
火、水、風の試練というものがあり
最後の、「風の試練」の目的は
「無条件な霊の顕現」を実現することらしい

「霊の顕現」なんて言うとお化けが出てきそう ですが
えーっと 多分そんなことではなくて
「霊」っていうのは・・スピリットとか、理念とか、
ある概念とか・・その生きた現れ、みたいなものかな

シュタイナー的には、そいつらの世界があって(霊界 or 理念界)
この世界にも、出たがっている
いや、ほんとはいつもそばにいるんだけど
人間は、見えないものは無いと思ってしまっているから
そんな風に、私はイメージしています

この演奏を聴いていると
きっと、風の試練を通り抜けることは
意外に楽しいに違いない!
っと思えてくる
題名の Jack Rbbit は「野うさぎ」という意味らしいし

なにしろ、彼の演奏はすでに
「無条件な霊の顕現」そのものなんじゃないかしら?って

↓追記 「風の試練」 byシュタイナー  MEMO

最後のこの試練には、どんな目標も感じられない。
すべては彼自身の手に委ねられている。

何ものも彼を行為に駆り立てようとはしない。

そのような状況の中で、彼はまったく独りになって、
自分で道を見出さねばならない。

この第三の試練にとって必要なのは、
速やかに自分自身を取り戻すことにある。

言葉のもっとも真実の意味で自分の「高次の自我」を
この試練の間に取り戻さねばならない。

すべての事柄において、
霊の呼びかけに応じる決意を速やかに固める。

もはやどのような意味でも躊躇、疑惑などに費やす時間はない。
ただの一分間だけ逡巡しても、
ここではまだ成熟していないことの証明になる。

霊の声に「従おう」とするものは、直ちに克服されねばならない。
大切なのは、どんな状況の下でも
霊の現存を「証明」することである。

今この進化の段階で完成させねばならないのは、この能力である。
これまで習慣的に持っていた態度や思考への誘惑は、すべて力を失う。

惰性的な態度をとり続けないためには、
自分自身を見失ってはならない。

なぜなら自分自身の中にこそ、
「自分を支えてくれる唯一確実な支点」が見出されるのだから。 

他の場合にもまして、日常生活が
この場合多くの人にとって神秘修行の道場になっている。

突然一生の大問題を迎えて、
おそれることなく、あまりくよくよもせずに、
すみやかな決断を下すことのできるようになった人物にとって、
人生は修行の場であったに違いない。

すぐに手を打たないと、
取引を成功させることができなくなってしまうような状況は
すぐれた道場であるといえる。

不幸が予想でき、少しでも躊躇したら
その不幸が現実のものになってしまうようなとき、
ただちに決断を下せる人、
しかもそのような決断力を自分の変わらぬ性質としている人は
意識せずとも、第三の「試練」を通過しうるところにまで達している。

なぜならこの試練は
「無条件な霊の顕現」を実現することを目的としているのだから。



この試練は神秘修行上「風の試練」と呼ばれる。

なぜならそこでは外的誘因という確かな地盤や、
準備と開悟の段階で認識した色、形などから生じる事柄を
拠り所にすることができず、
もっぱら自分自身以外に頼るものを持たないからである。


う~んと、これを読むと

「霊の呼びかけに応える」というのは
高次の自我=自分自身を取り戻すことで

自分自身の中に、
「自分を支えてくれる唯一確実な支点」を見出すことでもあり

これを、既成の概念とか、
あらかじめ決められた目標に従うのではなく
逡巡せずにズバッと行えるなら
それが「霊の現存を証明する」ことでもある・・らしい

なんとなく・・
生き神様にでもなるイメージ?
やっぱハービー・ハンコックでしょう?

おしまい





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Comment

内なる声
編集
hasutamaさん、こんばんは^^

高次の自我って、どなたにもありますよね。
ただ、その声を聞けなかったり、聞こえなかったり
しつつ、時間が過ぎ去っていくのでしょうか。
確かに逡巡せずにスパッと行けたら道は自然と
開けるのだと思います。何かに目が眩むと見えなく
なる世界です。

勉強になります。無条件な霊の顕現。それは、
とても大事なことですね。ハービー・ハンコック
もグー^^
2011年09月21日(Wed) 21:33
すー様♪
編集
こんばんわ!
人の意識は不思議なものですね
高橋巌さんの訳は、ちょっとものものしいのですが、言っている意味は別に特殊なことではなく、すー様などはすでにたくさんの「霊を顕現」させていらっしゃるのではないでしょうか?

私も霊を瞬間瞬間に「証明」出来るのか?
それ以前の修行中ですが、イメージはわいて来ました~i-239
2011年09月22日(Thu) 22:00
ハービーハンコック
編集
おお!youtubeの動画が貼ってあると思ったら、なんとハービー.ハンコックではないですか。しかもJack Rabbit。
hasutamaさんは、こんなDEEPな音楽を聴かれているのですねえ!

私は、最近でこそ原発の廃止のことばかりを考えて暮らしているのですが(苦笑)、実は…ご近所ではちょっとした音楽マニアとして通っており(笑)、世界中の音楽をこよなく愛している者です。
そして、数ある音楽の中でも私が特に好きなのが…スピリチュアル色の強いJack Rabbitのようなジャズなのです。

そもそも音楽というものは、もともとは「神への祈り」であり、また「天や大地への感謝」として始まったわけで、演奏をするということ自体が本来は霊的な行為として発達したのだと思います。
そして、ポピュラーミュージックの中でも、そういう色をより強く残しているのがジャズだと言えるのではないでしょうか?

キース・ジャレットというピアニストは、「音楽というのは、目覚めた状態、覚醒した状態に自分を置き、その知覚・意識・覚醒を認知し続けること」と言っていますが、即興演奏を通じてインスピレーションを表現していくジャズの手法は、ある種の宗教的アプローチにも似て、演奏する者と聴く者を高次元の精神世界へと誘っていきますよね。

http://www.youtube.com/watch?v=jUQRXOZK-YY&feature=related

ちなみに、キース・ジャレットは、ロシアの神秘思想家であるグルジェフの影響を強く受けていると、自分でも言っています。
ハービー・ハンコックも…創価学会を信じていて、「自分の音楽のインスピレーションは、日蓮聖人からの啓示を強く受けている」等の発言もしていますね。
(私は学会員ではありませんが、あのすばらしいサウンドのバックボーンとして、日本の仏教のエッセンスが効いているのだと思うと、何となく誇らしげな気分になります)

そう考えると、シュタイナーのお好きなhasutamaさんが、ハービーなどのスピリチュアルな音楽を「理知的なハチャメチャさが、カッコいい~」と思われるのは、ある種…当然の成り行きなのかな?とも思いました。

三度の飯よりも好きな…音楽の話でしたので、つい興奮して(笑)長々と書いてしまってすいません。
2011年09月24日(Sat) 18:30
うみそら居士様♪
編集
わ~!素晴らしいコメント有難うございます♪

そーだったのですか!!(ひとまとめしてすごく感動i-179

Jazzは好きですが詳しくなくて、でも聞くのは大好きです 友人が教えてくれたスタン・ゲッツさんもしぶくて好きだし、どこかに行ってしまいそうなゼロ二アス・モンクさんもいいな というか・・名前を知っているのは、そのぐらいでi-201 

お話をうかがい、ものすごく興味深く思いました まさかハービーさんがスピリチュアルだなんて、全く想像しませんでした!キース・ジャレットさんの言葉は、まさに「無条件な霊の顕現」にあてはまるものですね Jazzって不思議だと思うのは、タイトでありながら、ものすごく自由なところです
シュタイナーとの共通項を探してみると、なんというか・・人間的というよりも、宇宙的情緒を表現してくださるところ?

実は今日、筑波山神社というところに行ったのですが、境内の裏の山道を登ってみると看板があり、書かれていたのは、中世以前の筑波山での信仰スタイルについてでしたi-84 そのころは 信仰の儀式として「歌合わせ=かがい」が行われていたそうで、wikiによれば「若い男女が集まり、相互に求愛の歌謡を掛け合う呪的信仰に立つ習俗」とのこと 歌垣のことは聞いたことがありましたが、それが信仰に関係しているとは知りませんでしたi-203 

信仰、音楽、男女の出会い・・どれも宇宙的意図に繋がることよって、地球的な限界を飛び越えようとする行為なのかも?ほんとに興味は尽きませ~んi-239

2011年09月25日(Sun) 21:45












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プロフィール

hasutama

Author:hasutama
神秘学徒hasutamaです・・なんてほんとうは、ただのおばさんです
シュタイナーの著作を読むこと、愛犬をかわいがること、音楽にかかわること、お庭仕事、友人とカフェでおしゃべりすることなどを楽しんでいます

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