認識のさんぽ道

ルドルフ・シュタイナーの著作を楽しみ、 認識の小道散策へ出掛けます
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言葉の迷路で、迷子になる心のこと

職場のことを書いてみようかと思います

このごろよくミーティングが行われて
私はたいてい、書記を担当しています
今日も朝からミーティングがあり、
長年懸案だった問題に、初めて解決の糸口が見られた気がしました

以前はミーティングではなく「口げんか」とか「悪口」、「意地悪」などが
横行しており
最近になってやっと、徐々に言語化が行われています
これ、まるで動物から人間への進化過程のようです

そして、今日は非常に人間らしく話し合いが行われ
意志の疎通をきちんとはかって、前向きに協力していこうということに
なりました

それで私は、前よりは良くなったなと思って、少し嬉しく思いました

ところが・・私の大好きなFちゃんは、深いため息をついていました
どうして?と考えてみたら・・

たしかにな~
私は言葉が好きなところがあって、こころのモヤモヤが言語化されて
きちんとした形でやり取りされること自体に、嬉しくなるところがあります

でも、はじめからごく自然に相手を思いやり
信頼関係、優しさの中で仕事をしている人たちにとっては・・

そういう人はどちらかというと、そんなに自己主張するタイプではないし
もし、気持ちがあれば単純に自然に行えることが
なぜそこまでしなければ出来ないのかということに
ただただ、悲しい気持ちになってしまうというか・・
上手く説明できないですが・・

法律化する、形式化する、言語化する・・って、何か似ているところあるかな
その時に、抜け落ちてしまうものがあっても、気持ちがないなら
きっとずっと分からない、伝わらないことはあるのだろうな
でもそれで、終わりとか解決ということになってしまう

Fちゃんの、うなだれた肩や悲しい目を思い出すと
自分自身がちょっと嬉しく思っていたことも
出来事のうわべを見て、
言葉でかたをつけたように思っていただけなのかなと反省入ります

でも、それをまたこうして言語化しているのだからまるで迷路です
言語は、利便性のあるツールだけど
常に抜け落ちていく部分を見つける努力をしないといけないものなのかも

それに比べて、共感能力というのは
言語化しなくても、
たくさんの情報を、いっぺんに受け取ることが可能なものなのかもしれない

ゲーテは、測定の道具がなくても
真理は対象を愛することによって、おのずと明かされるもの
こちらに流れ込んでくるものと言っていたのだっけ?

そう考えると、よく言われるように
愛することは自分自身を豊かにすると言えるのだろうな

その点、全然まだまだな私です




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hasutama

Author:hasutama
神秘学徒hasutamaです・・なんてほんとうは、ただのおばさんです
シュタイナーの著作を読むこと、愛犬をかわいがること、音楽にかかわること、お庭仕事、友人とカフェでおしゃべりすることなどを楽しんでいます

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