認識のさんぽ道

ルドルフ・シュタイナーの著作を楽しみ、 認識の小道散策へ出掛けます
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「自由の哲学」の一元論とは?②

シュタイナーは、「思考」を、たとえば目のような、感覚器官に近いある機能としてみているようだ
思考という、人間に備わった機関を通して観察する、そしてある事項に即した、概念・理念を見つけ出す

その時の、思考という目線は、勝手気ままな妄想の世界を見渡すのではなくて、「現実の系列に属する過程を辿っている(下記の原文より)」・・(うー・・この訳・・

概念・理念世界は、初めからちゃんと存在していて、本当は知覚される世界と一体になっているというのがあたりまえの現実なのに、人間はまだ、それをセットで見渡す感覚器官を持っていないので、知覚の不備を思考で補完するというやりかたで、初めて本来の現実の世界に触れることが出来るということらしい

一元論の主張は、思考は主観的でも客観的でもなく、現実の両側面を包括する原理なのだ、ということである。
思考を通して観察するとき、われわれは現実の系列に属する過程を辿っている。
経験そのものの内部における単なる知覚行為の一面性は思考を通して克服される。
われわれは知覚内容のための理念を見つけ出すことで、現実そのものの中に生きる

概念そのものは現実世界の一側面でしかない。
その側面は知覚には隠されている。
しかしそれが知覚内容に関係づけられると、現実的な意味が出てくる。
人間は現実世界の中に生きている。

この世界以外のところに、体験不可能な高次の現実を求める必要はない。
そういう確信を一元論はわれわれの中に呼び起こす。
そして絶対的な現実を経験以外のところにもとめようとするのをやめさせる。

一元論は経験内容そのものを現実であると認める。
そしてこの現実だけで満足する。
なぜなら思考がそのことを保証する能力をもっているのだから。


ここで言われている一元て、知覚される世界と、概念の世界が、別々のものではないという意味みたいですね
それが二元となるのは、人間の感覚器官の不備が原因だからで

だから超感覚的認識を持つとしたら、人間は高次の世界に生きるというよりも、より現実的な世界にたどり着くということで、霧が晴れてすっきりした景色が見えるとか、そんなイメージ?

高次の世界ではなく、この人生に、より現実的に関わる、そして完全に満足する
思考力がそれを保障する

あ~、シュタイナーてば、よくこんなめんどくさいこと言い始め、言い続けるるエネルギー保てたな・・
はからずも最後が、最近興味のある「運命愛」に近づいてきて、とても面白く思うし、
声楽の行き詰まりで気づいた、ちゃんと存在することの難しさも、ここに不思議とつながっていく気がして、
このシュタイナーの文のとおり、思考によって実際の自分の人生に、手ごたえや満足を感じ、それこそ一面的な現実から開放される気がするというか・・
(このことをどう声楽に生かせるのかは、まだ見えてこないけど)

これたぶん、まだつづく・・
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Comment

No title
編集
hasutamaさ~ん、こんばんは~(^O^)

シュタイナーの言う「思考」は、私たちが陥ってしまっている閉鎖的な思考というよりも、純粋なる思考とでも言いましょうか、「私」が思考するという「私」なしの「わたし」の思考・・・

なんだか意味不明なこと言ってすいませんe-330

「私」を超えた「思考」こそが壮大なる神秘世界を認識できる?というようなことを伝えようとしているのかなぁ~なんて感じていたりしています。

すべては二股になどなっていない、永遠にひとつのもの、全一体のもの、それが有であり、無であるのだと、そしてそのことは、「私」が不在である=無ではなく、「わたし」という唯一の有から繋がることなしには認識できない無なのではないだろうか・・・?

な、な、なにを書いているのでしょうか!

でも、感じていることを言葉にするとこんな感じにしか書けないのですが、肉体が分離意識(二元論)をこしらえる種になってしまっているのも、快楽などの欲求が先にたってしまっていることを常としてしまった、気づけない限定世界に完全を求めてしまっているからなのでしょうかねe-351

いやぁ~ん!

2010年12月29日(Wed) 00:23
房様 ♪
編集
とても深く、それでいてお茶目なi-228、素敵なコメントありがとうございます ♪

房様の深い思い、それは天才的な愛ですi-199

全体、そして個々の物たち・・分断はどこで生まれ、どうつながりあうことが出来るのか?

それを自分のこととして、真剣に向き合うことができるというのは、芸術家、天才、愛・・とにかく勇気の要るすごいことです!!

もしかしたら、自分という「場」を清らかに開け放っていくことで、その「舞台」の上で、ばらばらのものたちを結び付けてあげることが出来るのかな?と思います それは、会うという、愛という、I、ということ・・なんてi-179 ただの語呂合わせですがi-202

天と地、同じ地上に存在するものたちの交差点、クロスの中心、キリストとなれる運命なのでしょうかしら、私たち人間って・・!?

その愛に熱情を持つこと、動物性を滅し、宇宙的な花を咲かせること・・それが薔薇十字の象徴の意味で、また人間に与えられた宇宙的な使命なのか・・大げさな話になってしまいますが、とってもワクワクしてきます ♪

房さんといっしょに、これからも探求し続けてみたいですi-80



2010年12月29日(Wed) 13:35
魂ぬきの心理学よ、さよなら
編集
思考・・・
それは、頭脳という道具ぬきで思考できる魂の獲得・・・


魂がとてつもなく美しい感情と同化しても、それだけでは高次の世界に至ることは不可能・・・

薔薇十字神智学は、感情を刺激しようとするのではなく、霊界の壮大な事象を通して感情を目覚めさせようとするのです・・・

『薔薇十字会の神智学』でのこの内容は、まさに「クロス」の中心での思考──を語っているような!v-254

霊界の壮大な事象が、この内側に流れ込んだ時に湧き上がった感情、それは霊界の壮大な事象そのものが語ったもの(超感覚的思考)が感情に流れ込み、圧倒的な印象を与える・・・

物質的現実ではなく、高次の世界から獲得された思考内容への沈潜、すなわち、純粋思考の中に生きること・・・


わぁ~!
これが「個」の表現媒体と成り下がった思考、感情からの脱却ではないでしょかっ!

わぁお、言い過ぎたかしらん?

なんだかぁ~、とてつもなくでっかくて、やさしくて、満ち満ちていて、隙間なんて絶対ない、透明なものが、ぜぇ~んぶを本当は教えてくれてる、連れて行ってくれいるのかしらんv-254

と私は、私は爆裂e-329に感じていたりしてe-349

まっこと勝手にですけんどe-263
ワクワク爆裂!わぁお!

2010年12月29日(Wed) 22:54
ウキウキ爆裂です~ ♪
編集
はじめ、薔薇十字の象徴をくっきりと思い浮かべる修行の意味がさっぱり意味不明で、疑わしく思っていましたi-201・・
今でも、はっきりわかっているわけではないですi-201が、文を引用くださって、そーなのか~!と少し理解が進みましたi-239

その象徴の絵を思い浮かべながら、そこに働いている霊的なものたちのことを想像しているうちに、まるでその象徴が扉だったみたいに、ふにゃふにゃ~と世界の情景が変化して、シュタイナーの言う意味での、本当の現実にワープするとか?それはここなのですけどね?

シュタイナーの言う思考は、奥が深いですよね
思考、直感的思考、霊感・・それが一続きのものとしている?禅問答とかも、そういう通路を作ることなのかな?と興味があります
意識をはっきりと保った状態で、霊界とここを行き来する、というか、その本来はひとつであるこの世界に存在する

ほんと、世界はワンダーランドですねi-239
2010年12月30日(Thu) 10:58
編集
コンニチワ!

”シュタイナーは、「思考」を、たとえば目のような、感覚器官に近いある機能としてみているようだ”

きゃ~この感覚、ワタシと同じですぅ~。
(ちょっとあつかましいですが・・・・笑)
何か、ん~、何かがワタシを通じて
外と、ワタシを観ているよな感覚です。

高次に意識の手を伸ばすより、
このワタシにまず収束せねばならない事を
最近知りました。(ワタシの場合)

それから、ワタシの拡大を
始めて叶えられる道筋みたいです。
ワタシの拡大つまり、
結果的に高次と手を繋いでいた~!
な~んて事になっちゃってるミタイです。

高次となりうるは、それを目的にしては
ならない。
矛盾だらでだけれども、
ワタシの中では、帰結済みです。
今の所は・・・・笑。

散らばっていたワタシの意識たちよ~
ワタシに収束を!!!!

な~んてね~。

やっぱりhasutamaサマを
通してシュタイナサマの
お考えを知った方が
楽しいです。感謝!




2013年01月31日(Thu) 12:57
なりびとさん♪
編集
コメント有難うございます

わー、こんなところに来てくださったのですか!!
人間の意識は、自分で思っている以上にいろーんなことが出来るのかもしれませんね

シュタイナーさんは、人間の構造を目に見える部分とそうでない部分に分けて
細かく解説していますけれども、ワタシという部分ついては、とくに重視しております

ワタシはいろいろなことが出来るとのことです
まさに、なりびとさんによって実証されていることですね(^^

私事を申し上げれば・・私の場合のワタシは(笑)
去年から渦巻き状の模様を眺めていると思ったら
自分がその渦に入り込んでいて
それから渦の中心を通って、反対側に出ました
まるで、なりびとさんの魂胆の図の中に引き込まれて回ったり飛び出したりしているような・・

反対側では、拡散の状態で、ちょっとまだ今は眩暈がおさまらないので
定かではないのですが、こちら側においては、意識から創造へという流れがあるのかなと
もしかしたらその流れを受け入れることで、眩暈はおさまるのかもしれないと感じています
なりびとさんにめぐり合う幸せに恵まれましたのも、そうした流れのおかげかもしれないと感じます

高次という言葉は、どういう意味なのかずっと気になっていますが
最近少しイメージが定まってきました
宇宙と人間は、実は一つのもので、いっしょにある物語を作っているので
その流れを理解すれば、そちらのほうに向かうという未来の方向性があり
そこに向かうことは個人的なことではなく、宇宙のみんなの願いであるというような・・
え~っとえ~っとi-201
だから高次に向かうことは、もしかしたら責任であるのかもしれないとも思います
(とはいえ、それは楽しいことですね)

コメントいただいたので、いろいろイメージがふくらみました
ふっとわいたイメージを、言葉にまとめることも
拡大、収束に似ていますか?

まだまだ低次なワタシですが、宜しく御願い致しますi-100
2013年02月01日(Fri) 07:02












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プロフィール

hasutama

Author:hasutama
神秘学徒hasutamaです・・なんてほんとうは、ただのおばさんです
シュタイナーの著作を読むこと、愛犬をかわいがること、音楽にかかわること、お庭仕事、友人とカフェでおしゃべりすることなどを楽しんでいます

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