認識のさんぽ道

ルドルフ・シュタイナーの著作を楽しみ、 認識の小道散策へ出掛けます
TOPスポンサー広告 ≫ 声楽の、存在の?・・悩み事TOP声楽 ≫ 声楽の、存在の?・・悩み事

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 | Comments (-) | Trackbacks (-)

声楽の、存在の?・・悩み事

先日の歌のレッスンで、先生に相談してみました

「音を出す」「言葉を一音ずつ響きにする」それを自分がすることに
すごく違和感があることについて

こういうこと言うなんて、ほんとは全然ありえないです
私は、まったく音楽的な素養が無いおばさんなのに
若い作曲家氏のピアノ伴奏で、素晴らしい先生のお声を間近に聞きつつ
とても情熱的、かつ優しく丁寧なご指導をいただいているのですから
これ以上のことは望めない、贅沢すぎる状況です

それなのに今さら、音を出すのに抵抗があるだと!?
自分のことながら、そりゃないだろ!的な・・
出来ないからって、努力しないのの言い訳に違いない

多分言い訳なのですよね

それで言い訳ついでに、自分の成育歴を振り返ってみて
核家族、一人っ子、引越し続き、親が仕事でいないとかいても忙しいとか、
そこで、ひとりで家で本を読む・・
何かさびしいイメージがあるかもしれませんが、それが普通だとあまり気にならないものです
別に親に愛されていないとか、そういうことではないのですよ

でも、こういう環境は、何かの世界に入り込みやすく
現実のほうに親しみが少なくなってしまいやすいのではないかと思います
シュタイナーが、ニーチェのアストラル体が空中にあったというのも
なんだかすごくイメージわきます
そういう意味で考えるなら・・
何がどうなっていたのかわからないけど
自分が、本当の意味でちゃんと地上に存在できるようになったのは
けっこう最近ではないか?と思っています

存在する、させるって、すぐには出来ないこと・・
いったいこれどういうことなのだろう??

そこまで抽象的なことは話していませんが
そんなことちらっと話したら、
それすごく分かる気がするって先生が言ってくださいました

ただ、ついでにエピソードとして話されたお友達の話は
優等生タイプだったのにリストカットを繰り返して
今は教会で賛美歌に癒されていらっしゃるというもので・・

うむ・・いや私はそこまで悲劇的なことを言いたいわけではなく
ただそういうあり方にはそれなりな、理由や必然性があって
積極的な意味だってあるのかもしれないけど
そこに、自分が音を出すことに、うまく繋がらない何かの要素があり
それが何なのか?ということに、私は興味があるということで・・

食べることも楽しいけど、おいしいけど苦痛・・みたいに
歌うことも、嬉しくて楽しいけど苦痛・・な部分がある

存在することとか、させることの苦痛・・
言ってみれば、このがさつさやうるささ・・
音そのものと言うよりも、その余韻が空気の中に漂っていく行く末
その染み入ってゆく気配をこそ、私は愛しているというのに・・

でもそこで負けててはいけなくて、それを美しく
より精神的にしていく・・べきなのか・・

なんて、音を出す努力をしたくない理由を、理屈を付けて大げさにしてしまいました
だって、もう、ほんとにうるさいんですよ、頭蓋骨に音が響くって~
まるで、仏壇の前のあのチ―ンとなるやつを、頭の中でどんどん鳴らしているみたいです
きっと、まだまだ修行が足りていないからなのでしょうね・・

先生がご自分の生い立ちを話してくださいました
いつもいつも音楽が大好きなご家族で
だれかが歌うとすぐにピアノやバンジョーやいっぱい集まってくるような
先生は一人ぼっちでいるときも、ひとり言まで歌って踊りをつけてみたり
そんな、まるでミュージカル家族だったというお話でした

だから先生にとって音楽はすごく自然なものなのですね

そして先生にとっては、一生懸命歌を洗練させていくことが
ごく自然に、生きがい、生きる喜びへと直結している
ご自宅にある、音楽を愛していらしたおばあ様から受け継いだピアノで伴奏しつつ
歌うことは家族的な、血の中で感じることも出来るような楽しさなのですね

でも、だからといって自分の生い立ちに意味が無いとは思わないというか
私には私の、必然性があるのではないかと思うし
それを大切にしながら、いったいどこまでチャレンジできるのか・・
また、そうすべきなのかどうか?
でも・・そんなふうに、めんどくさくしないと取り組めないということ自体が
先生にとって、私が音楽と距離を持っていることと思われるだろうしな~

だったら、私はもっと自分が自然と行えて、
努力することが、生きがいに直結することをしたほうがいいのではないか?
私自身は、いったいどんな積極的な価値を受けついだのか?
あるいは、もっと言えば、どんなことを行うべきカルマを持っているのか?
そして、何故今音楽的な出会いを持ったのか?

このことを意識しつつ、しかしとりあえずなるべく無心に・・
頭蓋骨に音を響かせてみます




関連記事

Comment

生い立ち
編集
hasutamaさん、こんばんは^^

あぁ、個の物語を聞いているのだな、と思いつつ拝読いたしました。シュタイナーがシュタイナーになった背景が知りたくて、自伝を読んだことがあります。今ではかなり忘れていますが、やはり人それぞれの生い立ちがあって、自己を自己たらしめているのだと思います。そして、自分自身が惹かれる世界は、魂との因果関係があることを深い部分で気付いているはずです。そのことの意味を考えることよりも、その経験を通じて超克することが目的なのだと思いますが、あまりに深い声なので、意志に変わるのに迷いを生むことがあるのだと思います。
カルマは途切れることがないので、続きのドラマを演じていく他ないのでしょうか。きっと自らの存在意義も含めて、引き寄せるエネルギーと出会いの場のエネルギーが絡み合って昇華するようになっているのではないかな、と感じます。
僕は後天的な、それこそ生い立ちによって学習した宿命から、子供たちには個々の宿命の壁を高くしないように、同じ轍を踏まないように、カルマを解消出来たらと考えて生活しているところがあります。結局、愛や思いやりや優しさといった他者へ向けられるエネルギーによって、自分自身も癒され、同時に新しい知恵が身に付いていけるように考えています。
hasatamaさんの意識と魂が、音楽によってさらに自由な世界へ開けていくことを希望しちゃいます。かなり、勝手気侭に綴ってしまいましたが、軽く受け止めて頂けたら幸いです^^
2010年12月18日(Sat) 00:32
はなさかすー様
編集
わーいi-185

こんな、おばさんのうだうだを、丁寧に聞いてくださるだけでも、私としては深く癒されてしまいましたのに、たくさんの心に染みるお言葉、本当に有難うございます

今、自分としては過去のどんなことも、現在にとって必要でなかったことなど無いような気がしています 

つい最近読んだ二ーチェの著作中の「運命愛」にとても共感を覚えてから、自分はそう思っているのかも・・と、気がついたばかりですけど、なぜそう思うのか、まだよくわかりませんi-201

でもそれ、ずうずうしい感じ方なのかな?とも思います・・人から見て、そんなに素敵な人生だったということもないのに、馬鹿みたいですし・・

完全に自分の人生だったと、思えれば何でもOKなのか、そうではないのか・・??こうするべきこと!みたいなこと、そういうのあるのか・・

年とともに怠惰になり、めんどくさくて、すべてOK!OK!って言っているだけなのかもしれませんi-229

2010年12月18日(Sat) 20:29












非公開コメントにする
Trackback

Trackback URL

プロフィール

hasutama

Author:hasutama
神秘学徒hasutamaです・・なんてほんとうは、ただのおばさんです
シュタイナーの著作を読むこと、愛犬をかわいがること、音楽にかかわること、お庭仕事、友人とカフェでおしゃべりすることなどを楽しんでいます

FC2カウンター
FC2カウンター
現在の閲覧者数:
Powered
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。