認識のさんぽ道

ルドルフ・シュタイナーの著作を楽しみ、 認識の小道散策へ出掛けます
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シュタイナーの言葉を吟味る ③

簡単に考えすぎていました
このお気楽ブログで、こんな大変なことをはじめてしまうとは・・
もう、この際なので、ゆっくりと、そして細かく見ていきま~す

総体としての現実は、我々自身の主観をも含めて、まず二元性として現れる。
我々の存在そのものがそのような仕方で条件づけられている。


はじめの二行、その前後の文がわからないですが
近い表現を見つけました

はじめは対応する概念なしに、対象だけが与えられる。
このことは対象に基づく事柄ではなく、われわれ自身の精神構造に基づく事柄である。
どのような事物の場合にも、現実は二つの側面から考察する者の前に現われてくる。
つまり知覚と思考の両面からである。
そしてこのことは、われわれ人間存在の全体的な在り方に基づいている。(P106)


二極性、二元性は、知覚された対象と、対応する概念、
知覚の結果把握できた事物と、思考の結果把握された概念
現実とはこの二つの側面を持って、考察するものの前に現れる・・

でも普通、一般的には、現実とは知覚された事物のことではないでしょうか?
概念まで現実として含めるって、あるのかしら?

ここは、シュタイナーらしく、面白いところだと思いました

でも現実が、このように二面性を持っている形で現れるのは
人間存在の全体的な在り方に基づいているって・・
何ですか?その、「人間存在の全体的な在り方」って(??)

つづく・・

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Comment

こころ
編集
hasutamaさん、こんばんは^^

妻も子供も寝静まり、雨音が激しいなかで、色んな雨音を聞きながら夜更かししています。
以前、幼い子どもたちと絵を描いていた頃、時々黒板にクイズ形式で字や絵を書いて遊んだことがあります。「ミミズは土の生きもの、魚は水の生きもの、鳥は空の生きもの。では・・・・人間は何の生きものかな?」と問いかけますと、いくつか答えが返ってきましたが、シュタイナーの考えと合うものはいませんでした。この質問は、きっと大人のためのものなんだと今は思います。シュタイナーは「人間はこころの生きもの」と表現したようです。
おそらくシュタイナーにとって“言葉”は、道具のようなもので象徴的なものでもあったと思います。(これはhasatamaさんの超感覚的認識・・・の資料のなかにも書かれてありました。いや、勉強させて頂きました)知覚と思考は両方こころのなかにあって、人間存在の全体的在り方は、そのこころのなかに言葉で表現し得ない次元が多次元的にあるのだと思います。人間存在というより、誰でも一人の人間の内面世界は妄想も含めて列記とした現実であると捉えてもいいのではないでしょうか?知覚と思考には個性がありますから、それらをひっくるめて日本語で言う“こころ”という風に分りやすく翻訳されたのでしょうか?つまり我々人間の心は、どのように在るかということを考察して、シュタイナー風に理論化されたように考えています。
それが真実、真理であるのか、不学な僕は勉強中であります。(答えになってへん??)

2010年12月14日(Tue) 00:42
うはぁ~(^^)
編集
がんばり屋さ~ん!のhasutamaさんへ。

>どのような事物の場合にも、現実は二つの側面から考察する者の前に現われてくる。

なるほど、なるほどぉ、ですね。
これって、現実が二つあるということではなくて、ひとつしかない現実が二つの側面を有しているということではないかしら?と思いました。

人間は肉体の感官を通して外部からのものに感応し、その感応したものを意識でもって認識している訳ですが、この意識での認識の時に、過去の経験やらなんやらを通して認識してしまう(判断してしまう、考えてしまう)と、知覚したものが歪められてしまうのではないでしょうか?そのため、心理的な反応が人ぞれぞれで生じてきますよね~。

でもって、この心理的反応は現実そのものを知覚したものではありませんから、結果的に二つの側面が生じてしまっている・・・的な?

こういった心理的反応が心と言われるものですから、心はいつも彷徨っている・・・などと表現される所以ではないでしょうかね?

こういった過程が、この世界の日常でありますから、「我々の存在そのものがそのような仕方で条件づけられている。」ということになるのではなかろうか?なんて思ってみたりしています♪

ですから、知覚したそのものを認識するのは、心理的反応の入れ物である心ではなく、意識魂なのではなかろうか?などと感じていたりもしまして、、、その意識魂でもって次の次元へと繋がっていく渡り舟に乗り込むのではなかろうか?なんて・・・。

う~ん、シュタイナーの意識魂の大切さを書いていたのが、どことなく・・・手前勝手なことを書きながらですがぁ、うん、うん、と感じられてきますe-267

・・・となるとその先にあるのは、(ん?先じゃないかな?まいっか)

宇宙の思考!これが一元!愛一元!
ウハウハe-349

あぁ~話がぶっ飛びすぎでしょうか・・・e-350

むむむっ、興奮してしまった私でした。ごめんなさ~いe-330

2010年12月14日(Tue) 01:57
はなさかすー様
編集
ありがとうございます!

花坂の地で、お休みなっているご家族の傍で雨音を聞きながら、同時に、シュタイナーの言葉から、その的確なイメージをとらえて、私のブログのコメント欄に表現してくださっていることを想像すると、ものすごく不思議な気がしてきます 

私にとってはまるで、時空を越えてプレゼントを運んできてくれるプチ・パパノエルみたいですよ~i-239

「こころ」という、日本人になじんでいる言葉でシュタイナーの人間観を表現してくださって感激です
ミミズが土に生きるように、人は心にこそ本来の場所があるのだとして、もしそのことを意識して大切にしてみたら、それだけでも、きっと色々なことは今よりも素敵になるような気がしました

それに、心を中心に生きることで、その「現実」の中で多次元的な自由さを生きることが出来るとしたら、なんて面白いのでしょう?

そう言えば和歌などには、そんな異次元が心という舞台でシンクロするような不思議さがありますね 日本人は本来はそういう素質を持っている民族なのかな・・と思ってみたり、話が大きくなりますけどi-201

とにかく、ほんとに目が覚めるようなコメント、ありがとうございます

シュタイナーの言葉を、ここまで真剣に考えてくださる方々に出会えるなんて、ほんとに私は幸せですi-179





2010年12月15日(Wed) 14:04
房様love♪
編集
頑張りやさ~んって、それ房様ご自身のことですよi-204

あ~、ほんとに皆さんクレバーで、まるで・・間抜けな司会者の番組に、優秀なコメンテーターが来て下さっている状態ですねi-237

あまりいっぺんに難しい言葉が出てくると、すぐに頭が休眠状態になってしまいますが・・えっとえっと、この文章に限って言うと、「主観を含めての現実」は、その人にとっての現実なのですかね?
それなら現実は、人それぞれ、いっぱいありそうですねi-201

ここで言われている「観察者にとっての」二面的現実を統合しようとすると、自分の内面の、この二面性を一段上から眺めることの出来る(?)意識魂の出番なのでしょうかね? 心という舞台を見つめるものがいてこそ、その二面を関連付けることが出来るのかもしれないので、確かにそうかもしれませんi-237
ラッキー!それならこの文の最後のところまで行き着きます♪

そこから宇宙へ、愛へと一元化するのか・・(??)
そこまで全然たどりつきません~~i-241

調べてみたら「自由の哲学」の最後は一元論となるようです
そこで言われているのがどのような一元論なのか、また機会がったらゆっくり考察してみたいです
多様性と一元論の関係ってどうなの?と、そのへんにも興味があるし・・

ほんと、私ってば、何が神秘学徒!?シュタイナー研究!?・・五里霧中の手探り状態ですi-201がこうして皆さんに教えていただきながら、やっと少し何か見えてきて・・すごく嬉しいです!

シュタイナーも見かねて、素敵な方々を私のサポートに付けてくれたのかしら? 
きっと、シュタイナーもすごく喜んでくれていると思いますi-239
2010年12月15日(Wed) 15:20












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プロフィール

hasutama

Author:hasutama
神秘学徒hasutamaです・・なんてほんとうは、ただのおばさんです
シュタイナーの著作を読むこと、愛犬をかわいがること、音楽にかかわること、お庭仕事、友人とカフェでおしゃべりすることなどを楽しんでいます

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