認識のさんぽ道

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市民権を得てきた超感覚的認識・・?

今日たまたま見つけた、日大大学院での「シュタイナーの超感覚認識に関する考察」講義?

なんとなく、今の自分にヒットする内容

東洋思想、井筒俊彦「意識の本質」、「認識の小道」も出てくる

シュタイナーの言葉の中で、ここを抜粋してくれているのが嬉しいと思うような引用のしかた
そーだ、私ってばよくシュタイナーおじさんの言いつけどうりにやっているじゃない?
シュタイナーもいろいろなことを言っているけど
ちょうど、自分的にはこれならやってみようかと思った部分を引用してくれている


面白く思ったのは、註のところに出てくる笠置浩史教授ご自身の考えで

シュタイナーの「超感覚的認識」とは、首尾一貫して思考のトレーニングによって得られるものであるとされる。となると、これは無文節へ向かうのではなく、徹底的に分節化された状態といえるのではないか。



というところ

「徹底的に分節化された状態」とは、抽象化されない現実の個々の存在ひとつひとつということだろうか
それすごく共感できる気がする
でも今すぐには、うまく説明できない

こんなの大学で講義しているのなら、シュタイナーの超感覚的認識も市民権を得始めてるのかも

あとでもう一回よく読んでみようっと

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Comment

ウキウキ
編集
hasutamaさん、とても興味深い記事をありがとうございますe-267
時間の都合で全部は読んでいないのですが、気になるところがありましたe-276

・・・

『私が直観によって得たものたちは、はじめは名前を持たずに、「直観内容」として心の中に生きていた。
私がそれらを人に伝えるためには、それらを言葉で表現しなければならない。そこで私はあとになって、言葉のないものを言葉で表すために、霊界(精神的世界)についての以前の文献の中に、そのような言葉を探し求めた。(中略)私は常に、自分の直観の中に内容が現れたあとになってから、このような表現の可能性を求めたのである40)。』

「言葉のないものを言葉で表す」と、前述のように“誤差”が生じることを免れない。そのことをシュタイナー自身痛感しており、そのジレンマの苦悩が窺える。
超感覚的研究によって明らかにされる事柄に比して、著者の表現手段がどれほどもろいものか、多くの箇所で痛感させられた。

・・・

私はこの引用されているシュタイナーの文章に触れた時の、シュタイナーから感じるなんとも言えない鮮明な意識とでも言いましょうか、霊的なるインスピレーションが頭脳を経由することなくシュタイナーの意識にダイレクトに届いたものであるかの、溢れんばかりの躍動感を感じました。あぁ、だからシュタイナーの言葉や表現はこうなんだろうなと・・・(もちろん日本語訳から感じているだけですがe-330

「著者の表現手段がどれほどもろいものか・・・」とありましたが、これも見方によってはそうなるのでしょうかねe-441

私なんぞは、シュタイナーの表現方法からもろさなど一度も感じたことないのですがね。。。

今に生きるインスピレーションを、過去の世界の言葉で表現すること自体がとても大変なことなので、それは誤差とうよりも、意識レベルの違い、もしくは次元の違い、もしくは意識振動数の違い?、、、なのではないだろうか?と感じましたe-390

私なんぞの言うことはともかくとして、このような形でシュタイナーが取り上げられるなんて、なんだかウキウキしてしまいますね!e-454

2010年12月09日(Thu) 01:35
ウレシイ!
編集
こんにちは^^

キャー!ウレシイ!(奇声をあげてスミマセン)
論文付きなんて。勉強させて頂きます。
確かに思考のトレーニングは、人の脳力を磨いて
くれます。まだまだ青二才ですから、hasutama
さんのブログは、刺激的です。理屈だけに傾いて
いませんし・・・・あのー、リンクしてもいいでしょう
?よろしくお願いします^^
2010年12月09日(Thu) 11:46
房様♪
編集
わ~い
丁寧に見てくださり、有難うございます!

一緒に興味を持ってくださる方に恵まれること、本当に嬉しく思いますi-80

これを印刷して、じっくり見始めたところですが、細かいところでは、房さんの指摘してくださったところを含め、そうかな(??)と思うところがいくつかあります

シュタイナーの表現方法は独特なのですが、確かあれはエーテル体に染みるようにだったか?三回繰り返しの形式を取っていたり、シュタイナー自身の気持ちを全く含ませず、読者自身の心から、その人の感情が自然に湧き上がるよう熟慮されていると書かれていたように記憶していますから、この教授が言っている表現のことについては、もう少し詳しく聞いてみたいですよね 

でも、やはりこういう形でまとめて下さっていると、この考察からさらに考察が広がって、色んなことが明確になっていくし、なにより大学教授ということで怪しさが薄まっていいです~ 高橋巌さんが大学教授の職を辞して、神秘学を紹介してくださったことを思うと、これまで日本にこうした流れを作って来られた方たちに心から感謝です

とは言え、私としては自分がどこで「え?」と思ったか、そこを大事にして、また細かく焦点を当てて行き、修行に役立てたいですi-239



2010年12月09日(Thu) 19:54
はなさかすー様
編集
え~!こちらこそキャ~ッ!ですi-237
こんなブログでよろしければ、ぜひ宜しくです
こちらからもリンクさせていただいていいですか?
もうリンクしてしまいますよ♪i-235

そう、その思考についてのところですが、私が思っていたのは思考が思考に終わるというより、思考が極められていくことによって、いつのまにか人間の自我か何か(?)を変質させて、より霊界へと参入しやすくしっかりとしたものにしてくれるというか・・そのへんはこの論文(?)には書かれていないので、思考がずっと通常の思考だということになりそうで、教授!それでいいんですか?と、うかがってみたくなるところです でも教授自身も、そこんところにはちょっと誤差が・・などと付け加えられていて、あーほんとに面白いですよね きちんと真剣に取り組むって、ほんとに楽しいです

2010年12月09日(Thu) 20:16
えへ(^^)
編集
神秘学徒の修行ばんざ~いe-460

なんだかそう叫んでみたくなりましたe-266
2010年12月10日(Fri) 00:59
うふ(^▽^)♪
編集
わ~いv-308 わ~いv-319
2010年12月10日(Fri) 07:17












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神秘学徒hasutamaです・・なんてほんとうは、ただのおばさんです
シュタイナーの著作を読むこと、愛犬をかわいがること、音楽にかかわること、お庭仕事、友人とカフェでおしゃべりすることなどを楽しんでいます

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