認識のさんぽ道

ルドルフ・シュタイナーの著作を楽しみ、 認識の小道散策へ出掛けます
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運命愛?

星野道夫さんの本を読みすすめていたら
シュタイナーが言っていた
「自分自身の考えに、文字として出会って」いるような、
ずーずーしくも
またそんな気がしてきた

どんな言葉かというと

どんな植物も何らかの力を持っている
もしその力を得たければ
心を静かにして近づいてゆくこと。

目には見えない‘たましい’の力を
感じることはできないだろうか。

自然は時折、物語を持った風景を見せてくれる。
いやそうではなく、きっと、
僕たちをとりまく風景はすべて物語りに満ちているのかもしれない。
ただ、人間にそのパズルが読めないだけなのだ。

私たちには、多くの選択など無いのかもしれない。
それぞれの人間が、
行くべきところに、
ただ行き着くだけである。


この最後の言葉は、いったいどんな気持ちで発せられたのだろう?
彼の最後を考えると、よけいに重く胸に迫る言葉です
その死の残酷さから、こんなことを言うのはとても不謹慎というか
いけないのかもしれないけれど
この言葉の中に、諦めや、絶望を感じるというよりも
ニーチェが言っていた、運命愛に似たものを感じます

意志を持って、それから・・勇気と知性と愛とをもって
自分の道を自ら選び取って進んでいったように見える彼が
なぜこのように感じたのだろう?

シュタイナーも、その自伝の中で
もし自分が、まったく違った環境に生まれていたとしても
必ず今の自分になっていたということを、びっくりするほどはっきりと述べていた

これは何か、カルマみたいなものと関係しているのだろうか?
それとも、カルマを抜け出たからこのように思うのだろうか?

ここに至ることは必然だったのだと
そう感じたのなら
そこに至ったのは、
自分自身の、内的な理由によったのだと
そう確信したからではないかと思えます

えっと、これつまり
偶然も、そうでないものも
意識したことも、してないことも全部
自分を超えた自分の、必然性によって、
必要であるからそうなるっていう意味での
宿命と、それに対する愛というか・・
ん~?それってまるでカルマへの愛みたいな?
あ~ごちゃごちゃしてきました~

自分の人生の意味をはっきりと自覚したときには
自分が何者であるかが分かったときには
言葉でなかったとしても
その感覚に出会ったとき
宿命というか、現にある、人生そのものに対する愛を
感じるのではないだろうか?

運命愛について、もう少し考えてみたいです



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hasutama

Author:hasutama
神秘学徒hasutamaです・・なんてほんとうは、ただのおばさんです
シュタイナーの著作を読むこと、愛犬をかわいがること、音楽にかかわること、お庭仕事、友人とカフェでおしゃべりすることなどを楽しんでいます

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