認識のさんぽ道

ルドルフ・シュタイナーの著作を楽しみ、 認識の小道散策へ出掛けます
TOPスポンサー広告 ≫ 時は本当に失われたのだろうか?TOP未分類 ≫ 時は本当に失われたのだろうか?

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 | Comments (-) | Trackbacks (-)

時は本当に失われたのだろうか?

今日は用があって、田舎道を2時間ぐらい車で飛ばしました

とてもよく知っている道で、信号もあまりないので
運転していると、まるで自動人形のようになってくる
周りは、遠くまで見渡せる畑や田園風景で、その広がりの中で
体は運転していても、意識は色々なところへ飛んでいく

最近ストロベリーティーにはまっているけど
なかなか満足のいくストロベリーティーに出会えない
そうだ、もしも私が阿蘇に行って、紅茶にピッタリのお茶用イチゴを栽培するとして・・
それとも、自分であれこれ変てこなものを手作りして
インターネットで売ってみるのはどうかしら
昨日リサイクル店で見た若草色の着物を、薄く透けるような素材と組み合わせて
ティーポット用の座布団やカバーを作ってみるとか
等々等々・・
とりとめなく色々なことが浮かんでは消え、しているうちに
なぜか急に、子供のころ母が作ってくれた洋服についていた
ボタンのことが思い出された
ずーっと忘れていたけど
あのボタンは、スケルトンのプラスチックで、いちご色だった
その服の布地には、それこそいちごの種みたいに、赤い糸の粒々がついていた
そのほかにも、作ってくれた服があったっけ
たしか、フェルトみたいな生地の真っ赤なつりスカートには
黒地のチロリアンテープがついていた
白地に小さなグレーの水玉がついたワンピースには
胸のところに刺繍糸でピンタックがしてあって
ちょうちん袖だった・・
事細かに思い出して
ひとりで、そーだそーだと確認し続けた

すごくリアルに記憶がよみがえって
けっこうなスピードで走っているのに
目の前に、その服たちがあって、まるで手に取れるように感じられて驚いた

こういうこと思い出すのは、歳のせいかな・・
歳をとると、昔のことのほうが生き生きと感じられるのかもしれない?
このイメージは、いったいどこにしまってあったのだろう?
あの服たちは、もう無いけど
記憶の中には存在していると言えるのだろうか?

そういえば、最近母は、自分の子供のころの話をして涙ぐむことがある
今まで聞いたことがなかった思い出話を、急にしてみたり

季節がら、なんとなく気持ちは内面に向かいがちだし
それに、子供たち(母にとっては孫)が成長して
人生の節目と言うか、変わり目でもあるのかな
「今」を満たしたい気持ちで、「過去」から何かを流し込もうとするのか?
まるで「失われた時を求めて」みたい・・(ちょっと読んで、積読のままだけど)

もっと、みんなの昔話を聞いてみようかな?
母や夫や友人や自分の「失われた時」が、実は
「青い鳥」の「思い出の国」みたいに、どこかに存在しているような気がする
そして現在にも、実はいつも流れ込んできて、
影響を与えていると考えてみるのはどうだろう?

シュタイナーによれば
記憶の国と、死者の国や天使たちの国は
隣接しているようでもあるので
記憶の国の実在を確認してみることは
神秘学修行にもなるかもしれない
それに、記憶を共有することは
一緒に生きていることの確認と言うか
すごく必要なことなのではないかと思われる
それは神秘学的には、どういう意味があるのかとか
残り少ない今年の、テーマにしてみようかな












関連記事

Comment













非公開コメントにする
Trackback

Trackback URL

プロフィール

hasutama

Author:hasutama
神秘学徒hasutamaです・・なんてほんとうは、ただのおばさんです
シュタイナーの著作を読むこと、愛犬をかわいがること、音楽にかかわること、お庭仕事、友人とカフェでおしゃべりすることなどを楽しんでいます

FC2カウンター
FC2カウンター
現在の閲覧者数:
Powered
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。