認識のさんぽ道

ルドルフ・シュタイナーの著作を楽しみ、 認識の小道散策へ出掛けます
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だらだら自分のこと考えてみる

今はいろいろなツールがあって便利だ
個人がいろいろなことを発言できる
昨日はTwitterで、シュタイナーのことを語り合っていらっしゃるところを拝見してみた
シュタイナーに興味がある方の、いくつかの傾向がある気がする

自分的には、そーだなー・・
自分とシュタイナーについて
なぜシュタイナーに興味があるかについて
考えてみようかと思う

私は、将来はヘッセになりたいと思うぐらい、ヘッセが大好きだった
いや、正しくは、ヘッセになりたいのではなく「クヌルプ」になりたかった

詩人の心で把握できる世界は、通常の生活の世界とは少し違うところにあり
正確に言えば、通常の世界と同じでありながら、意味構造が違う・・みたいな?
どうも通常の世界の意味構造(勝手な造語)に居心地の悪さ、不満を感じていた私は
その詩人的な世界に住みたいと、とても強く憧れていたので
ヘッセがその片鱗を見せてくれるにもかかわらず
「片鱗しか」見せてくれないことに
ひどく落胆してしまうほどで・・

そのがっかり感は半端ではなかったので
いつも、ディキンソンさんが言っているような
「あちら側の世界」(多分この世界でもあるが・・)を、知り、
そこに住みたいという気持ちが
もともとの衝動としてあるのだろうと思う

でも、これってヘッセの思いでもある気がするので
ヘッセの思いを引き継いだということかな・・??(あつかましくも・・)
でもきっと、誰にでもそういう気持ちはあるのではないかと思います
だからヘッセや、ディキンソンさんが認められているのだし
世の中にたくさんの宗教があり、スピリチュアルブームがある

でもってシュタイナーは、私のその夢に手助けしてくれる最強なおじ様で
すごく頼れる彼だから、大好きなわけです

高橋巌さんが言ってくださっているように
ドイツロマン派の流れの中にシュタイナーをとらえることは
私はすごく納得がいき
そこにゲーテ的な視点を加えて
それを現実的なものとして捉える手ごたえを感じることが出来るなら
そこで見えてくるものは「神秘」というよりは
自分が存在している「現実」となるはずで

だから自分を、神秘学徒と言うのはほんとはおかしい
しかし、そういうことにしておけば
変なことを言っても聞き流してもらえそうだし
ある分類の中にしまわれて、おさまりがいいほうが
みんなも安心してくれるというものでしょう

とにかく・・
シュタイナーのような方が居てくれることは
自分の強い衝動が、あるいは絶望があったことを思うと
ほんと当然というか・・彼がいないなんてあり得ないことで
空気のように、水のように、
シュタイナーは生存に必要な成分のような何かとして
生活のすみずみにまで広がって、常にいてくれるような
何か・・橋渡し的な人として

自分が何をしているのか、何をしようとしているのか
はっきり言葉にしてみたことがないのもおかしいな・・
もし、なんとか一言で言おうとしてみるなら・・
詩のスピリッツ=「詩霊」を持った人間になろうとすること?かな?
もっと大胆に言えば「言葉の霊」=神様
ということなのいかもしれないが
私としては
「詩霊」が一番フィットする言葉です

そこの違いは少し考えてみると面白そうです
多分一神教的な考えというより
いろいろなものの霊を想定しているということか・・

自分でも自分の考えていることは把握するの大変です
とりあえず、今思いついたことをだらだらと書いてみました
また違う考えも浮かびそう・・
センサーを向けてみることがなければ、真っ暗闇のまま・・
一番わからないのは、自分のことかもしれないですね









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hasutama

Author:hasutama
神秘学徒hasutamaです・・なんてほんとうは、ただのおばさんです
シュタイナーの著作を読むこと、愛犬をかわいがること、音楽にかかわること、お庭仕事、友人とカフェでおしゃべりすることなどを楽しんでいます

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