認識のさんぽ道

ルドルフ・シュタイナーの著作を楽しみ、 認識の小道散策へ出掛けます
TOPスポンサー広告 ≫ 権限は、何のために与えられているのか?TOP未分類 ≫ 権限は、何のために与えられているのか?

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 | Comments (-) | Trackbacks (-)

権限は、何のために与えられているのか?

身体を使った帰依について・・

物質と関わることは、身体を使った帰依と言えるのではないだろうか?
そう思ったら気分が少し良くなった
何で気分が悪かったのか?と考えると
その原因のひとつとして
職場の人の想念というか価値観への、違和感が思い浮かぶ

目の前のことを手足を使って変化させるような仕事だと
変な価値観の入り込む余地が少ない気がするが
今の職場は公的な福祉の仕事なので
「人」に対する、その人の捉えかたが、思いっきりあらわになってしまう

弱い立場の人、何かの運命で愚かしくなってしまった人を
見下したりあざ笑うような
役人気取りで、心の底で取り締まるかのような

それだけならまだしも
そう思わない人を仲間はずれにすることで
力任せに、自分たちのほうが正しいのだと言いたげだが
公式には何も言いはしない
陰に回って
あることないこと言いふらして、せせら笑っている

理念が無いからだと思うけど
この現代に理念など打ち立てると
なんかの宗教?と言われるような・・
それに私などそういう立場にはないわけで・・

ただただ嫌な感じを振り払うように
そこに交わらないようにするだけで起こる圧力に
我慢するだけしか出来ない~

世の中こんなもんだろ・・とは思っても
がっかりした気分をすごくひきずってしまう

ここから何を祝福として受け取るべきなのだろうか?
・・と考えてみて
とりあえず思いついたのは、体を使うことについてでした

物質の中には、ある程度理念が含まれているので
気持ち悪い傲慢さを捨て
ひたすら体を使うことで
物質の様々な法則の中で
それに従いながら
自分を整えることが出来そうな気がする

人間であること自体が
地球上では役人みたいなものなので
権限や能力を与えられたときに
他のものにどのように振舞うかということに
無意識ではいけないのではないだろうか?

そうした意識を少なくとも持つことで
行動というのはおのずと変わっていくのではないだろうか
・・・・。

などと能書きたれてから・・
今日はお庭仕事とそうじ!
いいかげんやばいです~









関連記事

Comment













非公開コメントにする
Trackback

Trackback URL

プロフィール

hasutama

Author:hasutama
神秘学徒hasutamaです・・なんてほんとうは、ただのおばさんです
シュタイナーの著作を読むこと、愛犬をかわいがること、音楽にかかわること、お庭仕事、友人とカフェでおしゃべりすることなどを楽しんでいます

FC2カウンター
FC2カウンター
現在の閲覧者数:
Powered
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。