認識のさんぽ道

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宇宙のオーケストラ?

「オーケストラ」という映画を7月の始めに見て
 感想を書いてみたいと思っていました

感じることが、時間とともに変化します

始めは・・何か、すっきりしない感じで
こう思いました

オーケストラでめぐり合わせた人達に
それぞれの人生、物語があり、その時々の思いがある
それがひとつの曲の中で音として出会うこと
それはすごく面白い

でも、たとえ歴史的な時間の中で
ある曲を演奏している瞬間に
人生を狂わせるほどの悲劇に見舞われ
それが忘れられない曲となってしまったとしても
そのことに対する思いと
音楽表現をごちゃごちゃにしてしまっていいのだろうか?

悲劇的な事件に対してのこんがらがった思い
そのなかで見失ってしまった自分を
何とか取り戻したい
そんな個人的な思いの中で
音楽しようとすることは
何か違うのではないか
もっと、音楽そのものの中に帰依するべきではないのか?

それに・・
そんな感情よりも
どんな歴史をも乗り越えていく、スラブ人の血の中にある
燃えるような情熱、生き抜いていくたくましさ、
無骨でまっすぐな気概、情の深さ・・等々
のほうが面白い

そんなことあれこれ考えていて
そのうち、こう思いはじめました

曲は生き物で
シュタイナーが人間について言うように
物質体、エーテル体、アストラル体、のようなものがあるのではないだろうか?
音、生命、魂、霊・・

物質、生命、魂は、もし素材として一ヶ所に集合したとしても
それぞれが孤立しバラバラに機能していては
音楽の精神を表現することは出来ない
石、植物、動物が、自分から芸術することは無いのと同じで

全体を結びつけ目的を明確にする意図とは何だろう?
それは「霊」なのではないだろうか?

もしも「霊」の息吹を与えられた人間が
その主題を提示したなら
それぞれは、全体の意図を完全に理解し
喜んで部分として奉仕できるようになるのではないだろうか?

映画の中でオーケストラは
母の演奏のレコードから曲の精神(霊)を受け取ったバイオリニストによって
提示された音の輝きの中ではじめて
意図を理解し、有機的なまとまりを持って息づきはじめ
調和が生まれ、美しく人の心に届く協奏曲を奏でることができた

その霊のためにこそ
母は、危険な状況の中で
曲を演奏することを選んだのではなかったか?と思う
そういう状況だからこそ、そうしたかったのかもしれないし・・
シベリアの獄中にあっても
その霊とともに生き、死んでいったこのバイオリニストだからこそ
その演奏が、この世のものとも思われない
忘れがたい演奏となったのだろう
その母と一体化した「霊」を
娘はレコードから感じ取り、引き継いで
演奏に生かすことが出来たので
オーケストラは再び、音の輝きを取り戻したのだ

様々な、個々の思いを越えて、崇高なものに奉仕することができるなら
きっとそれが一番嬉しいということを
みんなどこかで知っていて
それを感じるときに、何だかわからず感動してしまうのではないだろうか

人間だけが、曲の意図を理解し提示することが出来る
思いの中に埋没するだけでなく
全てのものに霊(精神)を浸透させる
あるいはそれに光をあて
霊という繋がりに気がつくこと
石や植物や動物に対してそのようにして
ハーモニーを完成させていくこと・・??

何を言っているのかわからなくなってきたけど

宇宙の音楽を、地球として奏でようとするときに
人間が出来ることについて
この映画からのインスピレーションでわいた
イメージでした~









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hasutama

Author:hasutama
神秘学徒hasutamaです・・なんてほんとうは、ただのおばさんです
シュタイナーの著作を読むこと、愛犬をかわいがること、音楽にかかわること、お庭仕事、友人とカフェでおしゃべりすることなどを楽しんでいます

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