認識のさんぽ道

ルドルフ・シュタイナーの著作を楽しみ、 認識の小道散策へ出掛けます
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物=重さを持った思い

あー、そーいえば!

今日、職場に向かう小道を
自転車でふらふらと通りぬけた一分間に
ふと思いついたことがあったはずで

それ何だったかしら?

いい思い付きだ!と、その時思ったのに

そうそう

それは、いつか私に風さんが教えてくれた
「物にはすべて感情があるのよ~」という言葉を
いまひとつ納得できなかったのだけど
だって石とか、何思っているのかわからないし・・
その感情と言う言葉を、人間的にとらえていたから
わからなかったのではないかと思った

今、シュタイナーの「死者の書」というのを読んでいて
その中で彼は「筋肉とはカルマそのものなのです」と、
また荒唐無稽なことを言って笑わせてくれたが
多分それを読んだせいで
何かの物質を成り立たせる「潜在的な本質」とは
ある感情なのではないかと思いついた

「潜在的な本質」について
勝手に高尚な何者かを想像していたけど

物質それぞれには、「物」語があり
そこには何かしらの「感情」があるのでははないか?

つまり、風が言った「物の感情」は、
人間の感情のように一瞬一瞬移り変わっていくもののことではなくて
ある一つの感情が、ひとつの物質となるような
そういう意味ではないか

ゲーテが原物質とか原植物とか言ってたみたいだけど
そういう発想にもその「感情」というのは
なんかのヒントになりそう

ん~
でもこう書いてきて、なぜか
悲しい気分になった

「物」の「思い」というのは
それを考えると気が塞ぐような
深く強い気持ち
それが物と化したのだと
思われる

だってカルマが筋肉なら

その背負っている宿命というものが
人体に織り込まれ
活動することで人間は
いったいどのように
それを、その思いを
果たして行くことになるのだろう?

それを思うと何だか・・悲しい気分だし
石とか植物とか動物たちも
同じようにその体の構造の中に
ある思いを織り込んでいるとしたら
そこまでの思いというのは、しゃれのつもりはないけど「重い」でしょ?

でも、もしもそういうことならば
いわゆる人間的な日常の感情に
安っぽいドラマ的なうそ臭さを感じてしまう私のようなものでも
その、物と化してしまうまでの感情というものには
その苦しみ(?)も含め
とても同情、共感できそうな気がしてくる

でも、なぜその感情なら共感できると思うのだろう?

とりあえず・・思い付きを
メモしておくことにする




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hasutama

Author:hasutama
神秘学徒hasutamaです・・なんてほんとうは、ただのおばさんです
シュタイナーの著作を読むこと、愛犬をかわいがること、音楽にかかわること、お庭仕事、友人とカフェでおしゃべりすることなどを楽しんでいます

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