認識のさんぽ道

ルドルフ・シュタイナーの著作を楽しみ、 認識の小道散策へ出掛けます
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宇宙的自分の排出物としての外界・・キリストと蛇女のことなど

《イメージのメモ》

ある問題性に気付き、自分からそれを「排出」することで
自分にはその「問題」が無くなり
自分の「地位」は上がる

でも他のものの中ではまだその問題は排出されておらず
その問題とともに、あるいは問題そのものとして
生きていたりする

すると自分は、以前自分の一部であったその「問題」を
その存在とともに蔑んで
そこに「固定」しておく

そして自分は、また新たな「問題」に取り組み
さらに自分を「上昇」させようとする

「問題」は、排出され固定化されることによって
私の生存の、上昇の、踏み台となる

まるでそれは大地で
あるいは下等なものとしてあり続け

私はその上に立ち、そこから滋養さえ得て
利用しながら自分を生存させ

そして、もっと高みへと
ついには重力から解き放たれるのだと
その、問題性としての下部構造を、完全に捨て去り飛び立つことを
望んでいる、望み続けてきた・・としてみて

それを今の一生だけでなく、宇宙的な時間で行ってきたとして

そうすると、この自分をとりまく環境は
自分の排出してきた問題性そのものなのではないか?
自分の「過去」が、「環境」としてあるとか?

神秘学徒の心得 その2・・「自分は世界の一部であると感じること」
とあるけど、これでは、「世界が自分の一部だったと感じる」
・・になってしまう
やっぱそこが、「黒い道」的な自分ということで

「白い道」を選ぶというのは、優れた善人としてではなく
あらゆるものを利用してきた者としての責務から
その自覚があるなら当然な行動とも思える

キリストは、もしもあんな目にあわなかったら
何になっていたのだろう?
その可能性は、あったのだろうか?
なぜ彼は、パンやワインが自分の体や血だと言うのだろう?
シュタイナーが、キリストは地球霊と言ったことも含めて・・

それから・・蛇女は空から火を吹いたりしないで
Tシャツとジーンズ姿でうちに相談しに来てくれたこと

これらのイメージを、発酵させてみたらどうなるか?







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プロフィール

hasutama

Author:hasutama
神秘学徒hasutamaです・・なんてほんとうは、ただのおばさんです
シュタイナーの著作を読むこと、愛犬をかわいがること、音楽にかかわること、お庭仕事、友人とカフェでおしゃべりすることなどを楽しんでいます

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