認識のさんぽ道

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オカルト的視点による、人間の宇宙的歴史(長っ!)&雑感

ルドルフ・シュタイナー「神智学の門前にて」(イザラ書房)

プララヤ状態の暗闇から、地球は太陽および月と合体した姿で現れた。
太陽と月と地球は、ひとつの巨大な天体だった。
これが、わたしたちの惑星の最初の状態である。

そのころ、地球は非常に精妙な物質からできていた。
固い鉱物も、水もなく、ただわたしたちがエーテルと呼ぶ、精妙な物質だけがあった。
地球はエーテル的で、精妙な惑星であり、今日の地球を大気圏が包んでいるように、霊的な大気に包まれていた。
この霊的な大気のなかに、今日人間の魂を形成しているものすべてがふくまれていた。
今日、身体のなかに入っている人間の魂は、上空の、霊的な大気のなかにあった。

地球は、今日の地球よりずっと大きなエーテル球であり、霊的な実質に包まれていた。
この霊的な実質の中に、未来の人間の魂が存在していた。
エーテル球の希薄な物質の中には、もう少し濃密なものがあった。
何百万という、殻の形をした構成体である。
それらは「土星」に由来する人間の萌芽である。

この霊的な大気から、一種の触手が下方のエーテル球の中へと伸び、殻のような構成体を包んだ。
霊の高みから下り、個々の身体を包んだのである。
この触手は個々の身体に働きかけ、人間の形姿を形成した。

最初、乱雑な混ざりあって渦を巻くエーテル素材があった。
その素材は、混沌から形姿を創造するために触手を伸ばす神的な霊的実質よりも、ずっと濃密なものだった。
これが私たちの地球の第一期である。
この様子は、聖書の創世記に、「はじめに、神は天と地を創造した。地は荒れて、空しかった。
神の霊が水の上を漂っていた」とみごとに表現されている。
下方にあったエーテルが、神秘学的に」水」と表現されているのである。

地球の上の殻のような形姿は、響きを発する人間のそれだった。
その人間形姿は、音によってみずからを表現した。
その形姿の中にはまだ個体は存在しなかった。
個体はまだまったく霊的な大気のなかに溶解していた。
これらの形姿を7つの種類に区別することができる。
この7つのグループが人間の最初の根源人類を形成していった。

それから何百万年も経ってから、大きな宇宙的出来事が生じた。
エーテル球が締めつけられビスケットのような形になり、しばらくそのままの形でいた。
そして、この球から、地球と月からなる小さな部分が離れた。
人間の萌芽が分節し、分化したのである。

太陽の分離を通してはじめて対象は外から照らされた。
地球は太陽に照らされるようになったのである。
照らされる対象ができ、それとともに目が形成された。
光が目をつくったのである。
創世記では
「そして、神は“光あれ”と、いった。
すると光があった。
神は光を見て、よしとした。
そして、神は闇と光を分けた。」
という言葉で示される。

エーテル体が形成される。
アストラル体に関しては独立性はなかった。
あらゆる存在に共通のアストラル的な覆いがあったのである。
それは地球の霊であり、地球の霊は触手を伸ばして、個々の人間祖先をつかんだ。
個々の人間は両性間の受精なしに生殖をおこない、自分の実質から人間を生み出すことができるようになった。
性的な生殖ではなく、アストラル的な大気によって成し遂げられた。
触手が下に伸びるのは生殖を意味した。
人間の形姿は鐘の形をしており、上方は触手を受け入れるために、太陽に向かって開いていた。
これがヒュペルボレアス人であり、第二根源人種時代である。
この人間の形姿は多重に分節していて、死ぬことはなかった。

人間の祖先のかたわらに、すでに動物と植物もいた。
輝きを発し、エーテルの渦巻く、植物と動物がいたのである。
動物には雄と雌の区別はなく、単性だった。
ただ、いくつかの動物は両性を発展させはじめていた。
本来の鉱物界は、まだ形成されていなかった。

百万年後には、地球と月はまったくちがったふうに見えた。
動物と植物は卵白のようなゼリー状でくらげのようだった。
この、器官を有した濃密化した物質の中に人間祖先はいた。

動物と植物の形姿は、受精するアストラル的な力を通して次第に固まっていった。
ついで、受精存在達がアストラル大気の中に、当時の生命的な自然形姿を通して現れた。
人間と動物は、周囲の植物界から受精と養育のための実質を得たのである。
植物はのちの人間や動物の乳に似たものを分泌した。
このように、人間は周囲の自然から栄養を取り、受精する無垢の存在だった。

そして、地球と月が分離し、太陽、月、地球という3つの天体ができた。

月は、人間や動物が自分からほかの存在を生み出すのに必要な力を持っていき、人間には、生殖力の半分だけが残され、生殖力は二分され、次第に男と女とに分かれていった。
この時代が第三根源人種レムリア時代である。

この時代にも、物質は硬化していった。
地球と月が分離する少し前に、固い沈着が生じ、地球と月が分離した後、固い土と地殻ができていくに従って、人間と動物の中に骨が形成されていった。次第に、固い鉱物が発生していった。
かつては、すべてはエーテル的であり、ついで空気的になり、液体的になった。
生物達は水の中を漂ったり、空気中を飛んだりするようにして、動いていた。
人間の中に骨組みができていくように、今や、地球は岩の中に固い足場を築く。
骨と岩の形成は平行して行われる。
当時の人間の姿は一種の魚-鳥動物のようだった。
地球の大部分はまだ水のようであり、気温は非常に高かった。
この水のような要素の中に、のちに固くなるもの、たとえば現在の金属などがとけ込んでいた。
その中を人間は漂うように動いていた。
人間はまだ肺をもっていなかった。
管状のえら器官を通して呼吸していた。

何百万年かが経って、地球は固くなっていった。
水が引いて固い部分と水の部分が分かれた。
純粋な空気が現れ、空気の影響によって浮き袋は肺に改造された。
えらは聴覚器官に改造された。
肺の形成とともに、呼吸能力が発生した。

最初、人間は純粋な霊に満たされていた。
ついで、アストラル的なものに満たされた。
今や、人間は空気に満たされる。熱の呼吸が空気の呼吸に変化する地点に人間は達した。
こうして、火星がもたらしたものが役に立つ。
温血ができたのである。
かつては外にあった精神が、空気を通して人間の中に入った。
呼吸能力は、個体的な人間の精神を受け入れることを意味している。
人間の自我は、呼吸する空気を通して人間の中に入ってきたのである。

私たちは共通の空気の中に生きているので、共通の自我の中に生きている。
呼吸を通して、人間はゆっくりと、多かれ少なかれ萌芽の状態にあるマナス、ブッディ、アートマを受け入れていった。
創世期にはこう書かれている。
「そして、神はアダムに生命の息を吹き込んだ。
 すると、彼は生きた魂になった。」


「月」の上には、当時の人間界よりも高次の存在たちもいた。
それらの神々はキリスト教では天使、大天使と呼ばれている。
彼らはかつては人間の段階に立っており、人間が次の惑星において高次の段階の上昇するように、時の経過の中で高次の段階に昇ったのである。
彼らは物質体をもっていなかったが、まだ地球と結びついていた。

「月」が進化を完了したとき、これらの神々の一部は進化から取り残された。
本来到達すべきところまでいたることができなかったのである。
こうして、神々と人間との間に立つ存在、半神ができた。
彼らは人間の本性の一部の中に係留し、その部分によって進化を遂げていくと同時に、人間を助けた。


彼らは「月」の上で、火を呼吸していた。
彼らは「月」で自分達の要素となった火を人間の血液に与え、情熱と衝動の場である温血の中に居を定めた。これがルシファーの一群である。
聖書は、彼らを誘惑者と呼んでいる。
人間の血液の中に生き、人間を独立させているかぎり、ルシファーの一群は人間を誘惑する。
もし、ルシファー的存在達がいなかったなら、人間はすべてを神々からの贈り物として受け取っていたことであろう。人間は賢明であっても、独立せず、思慮深くても、不自由な存在になっていたことだろう。
ルシファー的存在者たちが人間の血液の中に係留したことによって、人間は賢明であるだけではなく、叡智と理想に対する火のような情熱を得たのである。

しかし、このことによって、人間には迷う可能性が生じた。人間は善悪を選択することができるようになったのである。
このようにレムリア民族は悪の可能性を持って徐々に進化していった。
この素質は地球に大きな変動をもたらした。地球は震動し、
レムリア人の大部分は人間の激情によって崩壊していったのである。

何百万年の間に、レムリア民族は変化していき、今日の人間の姿に似た姿形を受け取った。
しかし、これらの人間の頭と額はずっと低次のものであり、栄養器官はずっと力強いものだった。
アトランティス人のエーテル体は頭のまわりをはるかに越え出ていた。
エーテル体の中には物質体の頭の中の点と一致する大事な点がある。
エーテル体の頭の点が物質体の頭の中の点に押し入り、両方の点が接近することによって、進化が生じる。
この二つの点が重なったとき、人間は自分のことを「わたし」ということができたのである。
前脳が精神の道具になることができた。
自己意識が生まれた。



特に今の自分の興味に繋がるところは色をつけてみました
ピンク・・空気的形成力系
青・・ルシファー(=龍)系

こういうのはじめてみた時は・・口があんぐり、目はハテナ点滅状態で
なんというか・・この人のことはそうっとして置いてあげよう、見なかったことにしておこう・・的な
でも、それでもそれでもあまりに執拗に、礼儀正しく、くそ真面目に繰り広げられる、言わば狂人的な物語に、
しまいには、お腹の底から可笑しさがこみ上げて来て
もう、君の一生懸命な気持ちはわかったから、ゆっくり考えてみるからね・・って

しかし、そのまさに宇宙規模にバカバカしい話も
彼の推奨する追認作業を試行してみた後に、もう一度見ると
かゆいところに手が届く的な、奥深いヒントに満ちているではないか?と
そう思われるのだからどうしたことなのだろう?

バカバカしいどころか、自分の人生で今目の前にある、いくつかの出来事への取り組みにおいてさえ
ちょっと時間が無くて説明できないが、すごく役立つ情報だと思えるほどなのであるよ
温故知新とは、この事なのではあるまいか?
「温」と言う文字のとおり、自分の血の温度の中にこそ「故」が流れ込んでいるのかもしれないのであるし・・









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Comment

こんばんは。
編集
血が騒ぐ・・・といった言葉もよくよく気づいてみると、不思議な言葉ですね。
自分の血の温かさの中に、太古の記憶が流れているとすると、この血が騒ぐも、太古の記憶が活きているといった見方もできるような、そんな思いにふけってみました

“血液を動かす力は魂の感情である”と、シュタイナーは言ってますね。
なるほど・・・と、また思いにふけってしまいたくなります(^_^;)
2010年05月15日(Sat) 03:48
ありがとうございます
編集
記事を読んでいただけるだけでも感謝です!
「血液を動かす力は魂の感情である」というのは、言葉一個ずつはわかりにくいですが、まとまりとしてイメージしてみると少しは実感がある気がします シュタイナーの著作はそんなふうにしか確かめようが無いというか・・ だから思いにふけってみることは必要かもしれないですよね♪ またシュタイナーを読む面白さは、そういったイメージを自分に広がらせてみたときに、どのように感じたり反応したり、そのことで人生がどのように感じられるか・・のような、あるイメージによる変質過程?も楽しめることではないかと感じています(シュタイナーの、あの不思議な書き方の意図もそこにあるのではないかと思いますし・・)
それにしても、どうしても言葉のひとつひとつが気になってきます 「血が動く」とか、「魂の感情」とは具体的に何なのでしょうね?
2010年05月15日(Sat) 23:29












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プロフィール

hasutama

Author:hasutama
神秘学徒hasutamaです・・なんてほんとうは、ただのおばさんです
シュタイナーの著作を読むこと、愛犬をかわいがること、音楽にかかわること、お庭仕事、友人とカフェでおしゃべりすることなどを楽しんでいます

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