認識のさんぽ道

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歌=空気的彫像の成り立ちについて→宇宙的責任とダンス

カオスの自然学―水・大気・音・生命・言語から (単行本)
テオドール シュベンク (著), Theodor Schwenk (原著), 赤井 敏夫 (翻訳)
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人間の霊的生命そのものが声帯に流れ込み、発話流動の形態が形成される。

これが霊(ガイスト)の自己表現の方法なのである。

未だ形態化されざる空気流動は、意志の領域から流出してくる。

それは声帯において、人間の意志的な霊的生命から信号を受け取り、外世界と意志(インパルス)を通じ合おうとする(つまりこれが発音という行為にほかならない)。

肺から出た未組成の空気は喉頭に流れ込み、あらゆる細部まで組成されてこの発話器官から離れる。

こまかに組成された形態は、たとえば波であり振動であり渦である。

つまりは限定的ではあるがつねに千変万化する形態である。

こうした形態化作用の相互関係は、空気流動の祖型的運動から複雑な諸形態を作り上げる。 

そもそも聖書の創世記に隠された神秘とは、原初の人アダムが生物・無性物を問わず、すべてのものを名ざすことができたということ、さらには人間そのものの秘密である自らの名を名のることができたというところにある。

かれが、これをおこなうことのできる理由は、神が始源に活性的・形成的力----すなわち生命の気息----をアダムに吹き込み、それによってかれを創造したからにほかならない。

宇宙の創造的言語そのもの、それはとりもなおさず霊の根源的運動であるが、これが人間とその喉頭とを形成したのである。

「人間が言葉を発するときにはいつも、創造の太初にあった創造的元素を分有して自ら発しているのである。

創造の太初とは人間が宇宙の深淵、すなわちエーテル的状態から空気的形態へと鋳出されたときであり、人間はそのとき未だ流動的形態、さらにはそののちの地上的な固体としての肉体をもっていなかった。

われわれはあらゆる発話の瞬間において、原初の時代にあったままの宇宙と、人間が進化をたどるその過程へと自らを移しかえているのである・・・。」

(シュタイナー、1924年6月24日の講演より)



この本をさっき注文した

歌の発表に向けて声を出すときに浮かぶいくつかの根本的疑問があり
その回答をもしかしたら、何か恩寵のように受け取れることを期待している

もし、自分の個人的な行為や思考、感情までもが常に宇宙的なものであるとしたら?
そう考えてみるのはどうだろう

宇宙的責任を感じると同時に、宇宙的ダンスに加わっている・・そんな気がしてくるではないか?
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Author:hasutama
神秘学徒hasutamaです・・なんてほんとうは、ただのおばさんです
シュタイナーの著作を読むこと、愛犬をかわいがること、音楽にかかわること、お庭仕事、友人とカフェでおしゃべりすることなどを楽しんでいます

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