認識のさんぽ道

ルドルフ・シュタイナーの著作を楽しみ、 認識の小道散策へ出掛けます
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ローリーと私の新しい関係

どうしてローリーのことを書いたときに、
最後に虹の写真をつけてしまったのだろう?
あとちょっとでお誕生日だったのに
前の日まで元気だったのに
私があげたおやつが原因で急に体調を崩したローリーは、まるで月に帰るかぐや姫みたいに、あっと言う間に虹の橋を駆け登って行ってしまったのである

亡くなってから一カ月以上たって、やっと外出先から慌てて帰ろうとしたり、玄関でローリーを呼ぼうとしたり、色々な挨拶をしてしまいそうになる癖がおさまってきた

でも不思議なことに、ローリーが居なくなって、ローリーを好きだった分ポッカリと空いてしまったような胸の穴ポコが、外の風の通気孔になっている

風は通りながら囁きかける
以前にもそう感じることはあったけど、違うのは、以前には風は私の外にあった
でも今は私の中を風が通り、以前のように聴くのではなく、風と私は一つのもののように分け隔てがない

シュタイナーが言った色々なことが、
急にピンときたりする

世界や社会へのクエスチョンにも、面白い案を出してくれる

ローリーなの?
と聞いてみると、頭に浮かぶローリーはいつもすごく嬉しそうにする

今日は「汝の敵を愛せ」という言葉の解説と実践に関するイメージを囁きかけてくれた

そんなことって意味あるのかな
クリスチャンでもないし
現実的に考えると、バカみたいで何の効力もない
いわゆる、お花畑的発想!?

しかし、心の深いところでは腑に落ちる気もする

世界を、醜いなら醜さそのままに愛するって出来るのかな
風と自分が同じだと思ったように、その醜さを自分としてみる

実験してみるのはタダだし、やってみようかな?

それで、まずは阿部さんに対し心からの愛を送ってみた

やっていることを彼は背負う、でも彼なんてただの表皮にすぎない
自分が道具にすぎないから、人を道具のようにしか考えられないのだ

一輪の花、たった一匹の犬だって、本来は天使なのにね
しかし、命の価値がとてつもないものだということを本気でわかるのは、とても難しい
だから、道具の価値が自分の価値だとせめて思いたくなる

ローリーと一緒に、色々実験してみよう
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Comment

No title
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 hasutamaさん、こんばんは。お久しぶりです。

 愛玩動物については、その寿命からしても、たいていの場合に飼い主が最期を看取ることになるようですね。愛犬がいなくなってしまったときの喪失感は筆舌に尽くし難い……、と聞かされたことがあります。

 さて、「世界を、醜いなら醜さそのままに愛するって出来るのかな」ということで、「安倍さんに対し心からの愛を送って」みられたのですね。

 わたしは、この「国」で生きていくことになるだろう孫たちの未来がとても心配で、安倍さんには敵愾心を抱くばかりでしたが、この「心からの愛を送ってみる」という発想には何か心安らぐものを覚えました。

 複雑な事情にある政治家の家に生まれてきてしまった安倍さんです。そうでなかったら、安倍さんもまたぼくのように“ただのだらしないおじさん”として生きていけたかもしれません。

 安倍さんは、得体のしれない大きな荷物を勝手に背負い込んで、自分自身と「国民」を苦しめている。そう見えます。

 だから、ぼくも安倍さんに、「もうやめなよ!」と「心からの愛を送ってみる」ことにします。

2015年07月22日(Wed) 19:50
Re: No title
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その日暮らしさん
ありがとうございます

ローリーとの関係が変わって少し自分の時間が増えて、またその日暮らしさんのコメントにも励まされ、先日また金曜日官邸前デモに参加することが出来ました

自分で言うのも変ですが、ローリーは私が大好きで、私が元気を無くしているとローリーまで病気になってしまい、私が元気になると全身に出来ていた腫瘍が治ってしまったことさえありました
ローリーが亡くなる前には、なぜか胸のあたりが痛くて、いったい何なのだろう?と不思議に思っていましたが、後で考えるとローリーが「そろそろお別れですね」と教えてくれていたのではないかと考えているのです

そんなこともあって、ローリーは亡くなっても私を見守っているよと友人たちが言ってくれます
もしそうだとすると、私は幸福でいてローリーに安心してもらいたいと思います

また、犬のローリーでさえそうなのですから、戦争、原爆で亡くなられた方たちが、9条の理念とともに生きていて私たちの平和と幸福を願い、支えてくれている、その思いの強さはたいへんなものだと想像します

ローリーやたくさんの目に見えないものたちに感謝しつつ、みんなの強い思いを阿部さんにも理解していただくべく「色々な形」でお伝えしたいと思います^ ^
2015年07月26日(Sun) 23:23
No title
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hasutamaさん、こんにちは。

ローリーちゃん…亡くなられたのですね。
お写真拝見したけれど、なんてやさしい可愛いお顔をした子だったのでしょう…
人だって犬だって、性格が顔に出ます。もともと性格の穏やかな犬種だとは
思いますが、ローリーちゃんのお顔の優しさはひときわ、という感じを
受けました。

喪失感と悲しみで身体の中を風が吹き抜けていく感じ…私にも経験はあります。
hasutamaさんは鋭敏なかただから、その風が身体と一体化するのですね。
風は冷たく、体を胸のあたりから冷やしていきます…
いつも、胸のあたりに小さな冷たい空隙がある…
でも、その風が、ローリーちゃんの思い出を運ぶ風ならば、それはきっと
hasutamaさんの胸を温めてくれますね。^^

安倍さんをも愛してみようと思う気持ち。
実は私にもわかります…
安倍政治を憎む気持ちは、ほんとにほんとに強いけれど、安倍さんという
ひと個人を想うと、その日暮らしさんもおっしゃるように、その特殊な
生い立ちなどが人格形成していったのでしょうから、その人そのものを
徹底して憎む気持には実は私もなれないんです。
政治家安倍晋三は大っきらいですけれどね。(苦笑)
その想いは、hasutamaさんがここにまさにお書きになった

『世界を、醜いなら醜さそのままに愛するって出来るのかな』

という問いから来ているかもしれません。
岸氏や安倍さんもまた、その醜い世界でうごめく、大きな大きなチェス盤上の小さな駒の一つにすぎない…という考え方。

日本の敗戦から日米安保に至る道…アメリカの核の傘の元で
遂げてきた日本の発展…岸さんと安倍さんの人生は、その歴史そのものです。
右も左も、アメリカへの憎悪と感謝に引き裂かれています…
アメリカへの従属をますます強めながら、平和憲法を憎悪して戦後レジーム
から脱却して日本の軍備を増強しようとする安倍さんなどの一派。
アメリカへの従属を批判してアメリカからの真の独立を謳いながら、
一方そのアメリカの核の傘の下で守られてきたかりそめの平和、というものを
直視せず、アメリカが与えてくれた憲法を死守しようとしているリベラル勢力…
どちらも愛憎に引き裂かれている。
私自身ももちろんそうです。
海外に目をやれば、イスラエルとパレスチナの問題、ISなどの問題、
シリア移民などの問題、中国への脅威の問題…
もうぐじゃぐじゃで、世界の知恵を結集しても解決の糸口さえ見つけれらない
ような問題があちらにもこちらにも。
到底、私のような個々人の解決し得る問題などではなく、こういうふうに
人間というものがいつまでも戦争や内戦の惨禍から抜け出せず、なお民族間
国家間、果ては個人間の憎悪を捨て去ることが出来ないということは、
人間そのものが、もともとそういう愚かな生きものなのか?という絶望にとらわれてしまいます。
という絶望から生まれる問いが、hasutama さんのおっしゃる

『世界を、醜いなら醜さそのままに愛するって出来るのかな』

になって行くこと、すごく私なりにわかる気がするのです。hasutamaさんの
お気持ちとは多少は違っているかもしれないけれど。
混沌として解決の糸口の見えないこの世界にあって、私が一つ、これが
世界を救う道かも、と思うのが、あのペシャワール会の医師、中村哲さんの
してらっしゃるアフガン復興の活動なんです。中村さんの思想って、まさに
世界を、醜いなら醜さそのままに愛する、っていうことのような気がする…

私も日々迷い続けています…

美しい秋の日が続きますね。
人間の歴史なんて地球の歴史、宇宙の時の流れから考えると、本当に束の間の淡い夢のようなものにすぎない。
でも、ひとつひとつの命は、それこそ今の季節、朝早く起きて川べりの道を歩けば、カゼクサやネコジャラシに、きらめく朝露がびっしりついている…その
朝露のように儚いものだけれど、同じくらい尊く美しいものなんですよね。

hasutamaさん。^^



2015年10月15日(Thu) 13:44
Re: No title
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彼岸花さん、おいで下さりありがとうございます

心眼というのでしょうか
その日暮らしさんも、彼岸花さんも持っていらっしゃる心の眼差し…
優しさ、温もり、知性、理解…うまく言葉にしきれない💦
眼というものは認識するだけでなく、放射するものでもあって
眼差しから愛や叡智があふれるってこと
それをとても感じて、全身で嬉しいのに
でもうまく人間語に出来ないから、
仕事から帰った時に、ちぎれそうなぐらい激しくシッポを振ってくれた時の
ローリーの気持ちってこんな風かな?と思ったりしてU^ェ^

庭に去年見つけた雑草が、とてもはかなげで可愛くて
抜かないでいたら今年はいっぱい生えてきました
何という草?と調べてみたら風草でした
名前も可愛い!と一人で喜んでいたのです
だから彼岸花さんのコメントにその名前を見つけて
とても嬉しく思いました^o^

はー、こんなことですごく喜んでいるのに…
なぜシリアがあんなことになっているのかをネット学習してみて
お金の仕組みで、世界を思うようにしようとしている人たちが
本当にいるのかもしれないと思いました
なんで日本がこんな風なのだろうと思う時にも
やっぱり世界を見てみないとわからないのですね
理想を語ることは非現実的だと思われるけれど
なんだか現実の非現実性というか
自分の都合の良いようにドラマを作り出して
そのスクリーンの裏側で
結局はお金を搾り取っていく
お金によって支配していく構図ってあるのかなと

なんて、俯瞰できるほどによくわかっていないかもしれません
全てわかろうとしても出来ないので、
わかろうとすることが出来るだけです
ネットや本で調べてみるだけ
💦💦💦
でも、わかろうとする過程で他の方と対話する機会を持つと面白いです
理解しあえずおっかない思いをすることもあれば、
身近にこんなにも尊敬できる方がいたのに気がつかなかった!と
思うこともあります
でも本当に分かり合える人とは、
何も言わなくても目だけで交流できてしまえたりする
対話、考えの交流…を今よりも楽しみたいです

イタリアの哲学者アガンベンさんという方が、学問は
希望がない状態に耐えることができなければならないということを
おっしゃったそうで
それを社会学者の大澤真幸さんという方が
ラジオで話されているのを聞きました
そうでなければ弱さから安易な希望にすがりついて自足してしまう
というようなことをおっしゃっていて
あーほんとに人間ってすごいと思いました

そうそう、官邸前デモですが
私はシュプレヒコールが苦手です
シュプレヒコールでも、その言葉によってあまり言いたくないものと、
言いやすいものがあります
本当にその言葉の意味を私はわかっていて言うのだろうか?
本当にその言葉を使いのだろうか?と、自分に問いたくなってしまう…
以前の反原発デモでも、ふるさとを歌うのはあまり気が乗りませんでした
ほんと、ワガママ
ですが先月、とても美しい歌が聞こえてきたのでそばに行ってみました
それはケサラという歌を替え歌にしているもので
ケサラの所をペシャワールに替えて歌っていました
思わず一緒に歌ってしまった
歌っていたのはペシャワール会の方たち^ ^
それで一体どういう方たち?と調べてみて、中村医師のことも初めて知りました
それ以来、ケサラをいつも口ずさんでいます

いつか彼岸花さんとデモで出会えたらな^ - ^






2015年10月18日(Sun) 13:14
No title
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こんにちは♪
hasutamaさんを迎えるローリーちゃんの気持ち、わかるわかる。^^

朝露に輝く風草はね。本当に綺麗です。^^
わ~い!hasutamaさんのお庭に生えてきて、それを抜かずにいてくださったって、なんかうれしいな♪ ^^

イタリアの哲学者アガンベンさん。
『学問は希望がない状態に耐えることができなければならない』
いい言葉ですねえ…
これは、数々の戦禍をくぐりぬけてきた経験のある国の人々からしか
出てこない言葉であるかも、ですね。日本は自ら侵略するとか、原爆・大空襲の経験はあっても、長いファシズムとの戦いとかいうものが、民衆レベルで戦われた経験に乏しいですから、こういうずしりとした重い言葉の意味が
本当にはなかなかわからないのかも、です。
日本は今、その学問の危機、に瀕している。
文科省による国立大学の社会・文学系学部の見直し『依頼』(と言っても、交付金をちらつかせて、実質上は『命令』ですよね)が、それです。
『すぐに社会に役立つ人間を育成する』という経済的見地、単なる効率論によって、日本の国立大学から、文学とか哲学とか宗教学とか社会学とか倫理学とか…こういう人間の本然を問う学問が駆逐されて行く……
本当に恐ろしいことです。
要するに、一言で言えば、ものを考える国民は、国家運営にとって邪魔だ、ということなのでしょう…

シュプレヒコールね。私も中味によって、声を上げたり上げなかったり選択しています。^^『安倍はやめろ』というのにはいつも反応する。^^
そうそう。『ふるさと』は、私もちょっと抵抗感がありました。なんでだかはっきり理由は言えないけれど、『志を果たしていつの日にか帰らん』という二番の歌詞かなあ…結局は、東京目線、東京に居付いた者の目線かなあ、と思ってしまうところがある。私も地方出身者なので、『大都会で成功していつの日か故郷に錦を飾りたい』という想いはわからなくはないのだけれど、東京の電気を生むために福島の人々が犠牲となった原発事故の抗議の歌としてはちょっとどうかな、という違和感はありました。^^

『ケサラ』。いい歌ですよね。『明日は又なんとかなるさ』というような意味。
これは、1971年、イタリアのサンレモ音楽祭で、2位になった曲です。プエルトリコ出身の盲目のギタリスト、ホセ・フェリシアーノなどが歌った。もともとは、貧しいイタリアの村の青年が、故郷から出ていく時の心情を謳ったものですが、日本では1971年というと、さしもの激しかった全共闘運動もそろそろ収束期に差し掛かって、反戦運動などというものが疲れを見せ始めていた時代。にしむらよしあき、という人が自身の政治思想を基に超訳した歌詞を、権力との戦いや平和と自由をスローガンに掲げた学生達が、集会や歌声喫茶などで合唱していた…。
私は24歳。働いていて2年遅れで大学に入ったので、その時大学4年。卒論を書いていた頃かな。^^
ペシャワール会の人々が、この歌を。…そうですか。^^

ほんとね。いつか。国会前などのデモで。^^
おばあさんなのでびっくりなさるわ。^^
 
2015年10月25日(Sun) 14:05
彼岸花さんへ
編集
彼岸花さんが聞いてくださると思うと、いろいろ話したくなってしまいます(おもに愚痴💦)

私は無学なおばさんなのですけれど、それでも何かについて知る努力をし自分なりな考えを持つということは、孤独なことでもあるんだなと思います

自分の感じた小さな違和感を大切にしていくと、思わぬ世界が開けることがあります
最近は、この歳になって哲学の面白さにはまっています
言葉にこだわって、考えの組み立て、展開をしつこく追いかけていく
過去にそれを行った人たちに親しみや敬意を感じながら、一つづつ読み解いていく
有機的なパズルみたいな楽しさ

社会の出来事も似ていますね
いったいどうして?と問いを持ち続けていると、
ある時その答えとなるような出来事や文章に出会って、その成り立ちをほんの少しずつ理解する
それ自体は面白いことなのですが、面白がれるようなことばかりではなくて、深刻な悲惨な結果をどこかで引き受けている人たちがいるようなこともたくさんある
それを知って行くと、目の前の物事を自明のものとしてすんなり受け入れる人との世界観のギャップがどんどん広がってしまう

ギャップがあるというだけではなくて、憎しみを受けることだってあるように思います

巨人大鵬卵焼き、と言われたことがあります
日本人はそうなのだと
みんなと同じがよくて、そうでないものは仲間じゃあないというような
こういう時に、その人の人のよさと同時に恐ろしさも感じてしまう
理不尽なのですが、理不尽な開き直りみたいな変な力強さがある


そういう場の雰囲気というのは、
職場や、御近所さん、身近な場所にバリアのように張り巡らされている気がします

彼岸花さんは、そんなこと感じることはありませんか?

理解、対話…………
ケサラ、ケサラ
築いていけるといいですね^ ^


2015年10月29日(Thu) 19:07
No title
編集
こんばんは~♪

いくらでも、愚痴、お伺いしますよ~~~♪
あたしのも聞いてくださいね。^^

うんうん。私もね、なんか小さい頃から『巨人大鵬たまご焼き』というような
のが好きじゃなかった。
いや、実際は、大鵬はロシアの血をひいているの?それで何となく
好きで、たまご焼きも実はとても好きなんだけれど(我が家のは甘いタイプのじゃなくて、お塩だけのやつで~す!)、『巨人大鵬たまご焼き』と、俗に言われるような、『みんなが好きなものが好き』というありように抵抗感があったなあ…自分は自分よ、といつも思っていたような…。

『みんなと同じがよくて、そうでないものは仲間じゃあないというような
こういう時に、その人の人のよさと同時に恐ろしさも感じてしまう
理不尽なのですが、理不尽な開き直りみたいな変な力強さがある』
『そういう場の雰囲気というのは、
職場や、御近所さん、身近な場所にバリアのように張り巡らされている気がします』

ほんとですねえ。日本はよく『同調社会』と言われるけれど、なんでみんなと一緒、ということにそんなに重きを置くかなあ。『出る杭は打たれ』たり、ほんとしますよね。
結局、今回の杭打ちの問題とかも、そういう企業体質の中で、たとえ、これはまずいぞ、と思う人がいても、はっきり糾弾できない雰囲気があるのでしょうね。戦争に至った道もそう…。
私は、小さい頃から引っ越しばかりしていて、幼な馴染みというものもいないし、親戚づきあいも母が拒んできたし、会社勤めもせぬまま学生結婚したので、ずうっとこう、根なし草的というか、地縁とか企業社会とか、そういうものにしばられないできたの・・・。連れ合いも娘も似たような性格。
デモでもなんでもいつでも一人で行きます。
だから、とっても自由と言えば自由なんだけれど、その代わり、確かになんというかなあ…どこにも属さない一抹の寂しさというものは、やはりありますね。

でもね。hsutamaさんはよくわかってくださると確信していますが、過去に生きた人々がね…先人たちの書き残してくれたものを見ると、そこにね、現実に身の回りにいる誰よりも、今、自分が抱えている悩みや悲しみと同じ悩みや経験をして、それに向き合った人々がいて…そういう人々の言葉に出会うと、本当に感動しますよね…
何よりも優しい………

hasutamaさんは、論理的思考がお出来になるから、哲学に向かわれるというの、すごくよくわかります。^^
あたしはだめなの~。
この冬、哲学書とはいえないけれど『資本論』頑張って読もうかと一念発起して古本で手に入れたんですが、最初の2,3ページで爆睡!(笑)
でもね。哲学はほんっとに大事だと思います。
ドイツは同じく日本のように戦争に負けて、しかもあのナチスの罪に直面するという重い重い課題を背負ってしまったんですが、そこから立ち上がるのに、カール・ヤスパースとか、当代きっての哲学者たちがドイツ再建に加わっているんですよね~。今度のシリアの移民受け入れでも、メルケルは、

「率直に言う。もし緊急事態に(難民に)優しい顔を見せたことについて、私たちが謝罪を始めなければならないとしたら、そんな国は私の国ではない」

と、言っているんですね。この批判を恐れぬ政治哲学。すごいなぁ!と思ってしまいます。
ひるがえって日本はどうか。
難民・移民受け入れとセットのように語られるのが、『介護などの人手の足りないところで働いてもらう』、というような自国中心の功利主義的言い草ですよ~。移民避難民を『人手』としか見ることが出来ないのかしら?

日本ばかりじゃないですね。考えていると、ほんと悲しくなっちゃうようなことばかり。
今日もね。フランスで…

でも、『知る』ことは、知れば知るほど悲しみも知って行くものだけれど、それ自体がやはり、人間にとっては喜びであると私思うんです。『知らない』『知ろうとしない』で、のほほんと生きるよりは、苦しくてもやはり知りたい、と思いますよねっ? ^^
知識の泉は汲めども汲みつくせません…
そしてそこには、上にも書いたように、素晴らしい先人たちが、珠玉の言葉を残してくれていますものね。^^

hasutamaさん。またいろいろ教えてくださいね♪

 

2015年11月14日(Sat) 21:25
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2015年12月28日(Mon) 23:34












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Author:hasutama
神秘学徒hasutamaです・・なんてほんとうは、ただのおばさんです
シュタイナーの著作を読むこと、愛犬をかわいがること、音楽にかかわること、お庭仕事、友人とカフェでおしゃべりすることなどを楽しんでいます

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