認識のさんぽ道

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マイケルKの印象/試論

以前読んだ本の主人公マイケルKのことをよく思い出す

戦時下にあって、何の主張をするでもなく、戦うでもなく、誰かと強い絆で繋がるでもなく、保護を受けるでもなく…

少し障害があって、土に穴を掘って隠れながらかぼちゃを育てたり、長い間眠り込んだりする彼

ひどく個人的な祈りみたいな生き方ってあるのかな

祈りは証明でも主張でもない

いや祈りと言っても、人間社会、人間に対するものではないし、神を想定したものでもない

分類がない場合、人は、というか、存在するってどういう感じかな
いやいや、存在するとかしないとか、それも興味はなくなって

その感じが、なぜか先日「徒然草展」で見かけた日本の昔の挿し絵の印象に繋がる

松が描かれ、その下に小さな小さな通行人が描かれる

草とアリも、松と人も同じ扱いである

素っ気ないほどの同質というのがヒントなら

そもそも、
祈りという意味で世界が存在しているのである
しかし目的意識によっては、そこに着地することは出来ない

マイケルKは穴を掘って、地中に体を横たえ、目を閉じる
かぼちゃの種を大切にしていた彼だけど、それじゃ彼も種みたい

つまり、彼は世界側に所属しているのだ






おしまい




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神秘学徒hasutamaです・・なんてほんとうは、ただのおばさんです
シュタイナーの著作を読むこと、愛犬をかわいがること、音楽にかかわること、お庭仕事、友人とカフェでおしゃべりすることなどを楽しんでいます

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