認識のさんぽ道

ルドルフ・シュタイナーの著作を楽しみ、 認識の小道散策へ出掛けます
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村遊び



近所で古民家を利用した試みがあると聞いて、どのようなものかと散歩がてら見に行ってみた

若者を中心として村作りをするのだとか

アイデアは色々浮かんでも、人と一緒に実際にやるとなると、難しいこともあるだろう

あたりは草が生い茂り、これを刈るだけでも大変そう

今日は集合日だったはずだが…
天候のせいで早めに終わってしまったそうで、誰もいない古民家が荒れた風情で立っているだけだった

次の集合日に、もし都合が合えば行ってみよう
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ムヒカ大統領のスピーチ

随分前のものらしいが
今日はじめて発見したのでメモしておく

マイケルKにも通じるものがある
ムヒカ大統領は花作りが趣味なのだそうで
親しみがわく

ムヒカ大統領のスピーチ

会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。

ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。私の前に、ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも感謝いたします。国を代表する者同士、人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければならない素直な志をここで表現しているのだと思います。

しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。午後からずっと話されていたことは持続可能な発展と世界の貧困をなくすことでした。私たちの本音は何なのでしょうか?現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?

質問をさせてください:ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。

息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70億~80億人の人ができるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか?可能ですか?それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?

なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?

マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。マーケット経済がマーケット社会を造り、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。

私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?
このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?

このようなことを言うのはこのイベントの重要性を批判するためのものではありません。その逆です。我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません、政治的な危機問題なのです。

現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。

ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。消費が社会のモーターの世界では私たちは消費をひたすら早く多くしなくてはなりません。消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。

このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。ということは、10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない社会にいるのです!そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけないのです。人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。これはまぎれも無く政治問題ですし、この問題を別の解決の道に私たち首脳は世界を導かなければなりません。

石器時代に戻れとは言っていません。マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。

昔の賢明な方々、エピクロス、セネカやアイマラ民族までこんなことを言っています

「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」
これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。

国の代表者としてリオ会議の決議や会合にそういう気持ちで参加しています。私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。

根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。そして、改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。
私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。私の国には300万人ほどの国民しかいません。でも、世界でもっとも美味しい1300万頭の牛が私の国にはあります。ヤギも800万から1000万頭ほどいます。私の国は食べ物の輸出国です。こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。

私の同志である労働者たちは、8時間労働を成立させるために戦いました。そして今では、6時間労働を獲得した人もいます。しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、結局は以前よりも長時間働いています。なぜか?バイク、車、などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。

そして自分にこんな質問を投げかけます:これが人類の運命なのか?私の言っていることはとてもシンプルなものですよ:発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。これらをもたらすべきなのです。

幸福が私たちのもっとも大切なものだからです。環境のために戦うのであれば、人類の幸福こそが環境の一番大切な要素であるということを覚えておかなくてはなりません

ありがとうございます


ミツバチ

自然農の仲間が畑の桜の木の下に
蜂の巣箱を置いている

まだ蜂は入らないみたいだが

いいなー私も蜂を飼ってみたい
と、いつも憧れている

以前には、
蜂は刺すこわい虫のイメージだった

ところが一昨年、庭でラベンダーが驚くほどたくさん花をつけたときのこと
花摘みをしているうちに夢中になり、しゃがみこんで花の間に頭をつっこみ、強い香りの中で人間のおばさんはほぼ植物と一体化しかけていた
ふと気がつくと、私のすぐそばでやはり忙しく仕事をしている奴がいる
西洋ミツバチである

不思議なことにその時は、今までのようにこわくはなくて、お花の中で蜂と共にある時間を楽しむことが出来た

こわいどころが、イルカといると癒されるという話と一緒で、蜂と一緒にいた時間は、ひどく穏やかな気持ちになり心が満たされたのである

なんてかわいい子なんだろう!

そう感じることが出来て嬉しかった
それが原体験

それから興味を持ってみたところ
蜂を飼うことを楽しんでいる人たちがいることがわかった

ご縁とは不思議なもので
最近になって、近所にたくさんの巣箱を管理している方がいることがわかり
飼い主の方にラベンダーの件を話すと、「それはうちの子がおじゃましていたのかもしれません すみません」とのこと
「いえいえ、とてもいい子で可愛くて、大丈夫ですよ!」

なんかおもしろーい!

早く自分の巣箱が欲しい
できれば日本ミツバチが飼いたい

実は昨日、庭に咲いたオミナエシに日本ミツバチが来ているのを発見した
自分の小さな庭で出会えたことが嬉しい
去年オミナエシを植えた自分、エライぞ!
植物に親しんでみると、過去の自分のしたことに感謝したくなることが多い
忘れた頃に思いがけない結果を見る
あ、自分があれをしておいてくれたからだ!ありがとう、自分!
まるで、今は亡き、知らない善人に出会えた気分で言う

日本ミツバチは、想像していたよりも小さな子だった

どうもミツバチは、好きな花が決まっているようだ

まずは、もっとミツバチのことを知りたいと思う

おしまい




プロフィール

hasutama

Author:hasutama
神秘学徒hasutamaです・・なんてほんとうは、ただのおばさんです
シュタイナーの著作を読むこと、愛犬をかわいがること、音楽にかかわること、お庭仕事、友人とカフェでおしゃべりすることなどを楽しんでいます

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