認識のさんぽ道

ルドルフ・シュタイナーの著作を楽しみ、 認識の小道散策へ出掛けます
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自由意志vs合法則性

今、種の発芽実験にはまっている

去年は、発芽さえうまくいかなくて、
畑の収穫物は大根数本だけだった

タイミングよい発芽
今年はそれが一つのテーマである

毎日毎日、種や双葉を観察していると
いつのまにか、植物達に話しかけている自分に気がつく
「わーい、種子ちゃん達、ママですよ~ おはよう!」
「この子ったらまだ出てこないつもり?
 いったい何が不満だって言うの!?」

え~、別の話になるが、
シュタイナー氏の哲学書『自由の哲学』をちびちびと読んでいる
どうも先に進めないので、もう一度何にひっかかるのか調べたところ、
彼が言う「自由意志」という言い方というか、その概念に、
違和感を覚える気がした

それは本の中心テーマなのだから、
ここにひっかかってみるのは、必要な停滞だと思う
意志が、自由or不自由とは?
意志という言葉そのものの中に、
自発的であることが含まれているんじゃないかと思うのだけど!?
「自由意志」?訳の問題?

そんな私に、双葉君からのメッセージ
「ちなみに僕たちには、自由意志はないんですよ
僕たちは、合法則的に生きているのです」


そこで、通りかかった夫に
「ねえ、聞いて聞いて!植物には、自由意志はないの」
夫「え?・・そ、そうだね~」(作り笑顔で)

階段を駆け上がって、絵を描いている娘に
「ねえねえ、植物には、自由意志はないのよ
常に法則性の中で生きているの」
娘「うーん それは・・間違いないね」

法則に沿うということは、自由意志で行うということではない
植物は人間よりも理論に忠実と言えるかもしれないが
それは自由意志によるのではないから、
理論、法則に完全に従属して、その生があるということ

ん?じゃなくて・・
そもそもセンサーはあっても、意識は無いのだし
従属とか、自由とか、関係ないよね
植物は、法則的生命というか、理論そのものが生を持ったもの

(理論→理論としての生命→生命としての意識→意識としての理論・・?)

とりあえず、いくつかのヒントが与えられた気がした
双葉君たち、どうもありがとう


おしまい




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「息吹そのもの」という、滅びないもの

ごくたまに、現実の人生が寓話的に感じられる

このブログをはじめたとき、音楽をやっていたのだった

先日、数年前に作曲家氏と一緒に行った映画「オーケストラ」をBSでやっていて、
そんなこともあったっけ・・としみじみ思い出した

ちょっぴり音楽をかじって、つくづく思い知らされたのは
音そのものは、物質だということ
でもそれに命が吹き込まれるのは
演奏する人の精神によってである

この世に何かを存在させるためには、素材が必要だ
法則をマスターしなければならない
でもそれ(物質と法則)だけでは、だめなのである
命ある表現には、中心にスピリットが無いとね

スピリットは、概念ではない
生きているもの、息づくもの
それは、人が死んでも、死なないもの
なぜかというと、それが「息吹そのもの」だからだ

もし誰かがいなくなっても、また形を変えて蘇るもの
スピリットはいつも中心にあり、滅びることは無い

「オーケストラ」を彼といっしょに見て
よかったと思う

自分の小さな思いを、いちいち重視してみる/古今和歌集728

お久しぶりです
鬱状態を調整しつつ、
自分なりに、今年やりたいと思っていることに
ちょこちょこと取り組んでいます

取り組みつつ思うことは
成功すれば良いのか?ということ
いや 成功したいだけではない、ということ
成功以上を望んでいます

ネットを見ることが普通になって
何かをしようとするとき
すぐにネットで調べます
通販で物を手にすることも多くなり
交通機関が発達し、遠くに行くのも楽だし時間もかからなくなった
何事もスピーディーに成功しやすくなっている

しかし、鬱気味なせいか、その速さ、情報量、に目が回り、拒否したくなります
小さなことにも、私なりな、たっぷりな道筋を通りたい
求める中で、与えられることを感じたい
あらゆる過程での自己を発見したい
そのように感じます

関係ない色々な出来事を織り込み、
その模様がついた成果を手にしたい
あるいは、その模様を見ることのほうが
成果よりも好きなのかも

だからといって、わざわざゆっくりやったり失敗したりするのもおかしなものです
自然な成り行き・・って、意識的ではないこと?
私なりに適度に『呆然とする』『逡巡する』『妙なところにこだわる』
『わけがわからなくなる』『偶然誰かに教えてもらえる』
などなどを、大切にしながら行う・・ようにしたいと思います

そういう意味では・・
のん気な昔時間が感じられるからでしょうか
やっぱり、和歌っていいなと思います

そこで今日の歌は↓古今和歌集728

曇り日の 影としなれる 我なれば 目にこそ見えね 身をば離れず



~曇りの日の影となった私なので、目には見えなくとも、あなたの身から離れないのです~

これ、面白いと思いました
以前ここで書いた、チェット・ベイカーの歌「It's Always You」を思い出します

なぜ曇りの日の影なのでしょう?
曇りの日には、影ってどうなっていたかな

望みを絶たれ、
悲しい気持ちを抱えたまま、あなたのことを思い続ける私は
生きる影のようなものになってしまい
あなたの体に片時も離れずくっついているのです

かわいそうというより、不気味です
満たされない思いの中に、強くこもってしまい
その思いが目に見えない影となって
体にまとわりつくなんて

シュタイナーは、人間の思念が世界に対してどれだけの影響力を持っているかを
もし人間が知ったら、日々何を思うか?にもっと気をつけるようになるだろうと言っています
どんな思念を自分が発しているか(言葉ではなく)、
それに気がつく、意識を向けることは
なかなか難しいと思います

これを歌った彼は、そんな自分を案外冷徹に眺める目を持っているのですね
読んだ彼女は、目に見えない彼の気配を感じ、ぞくっとするかもしれません

「身をば」という言葉が、心というより、
むしろ皮膚にじかに張り付いてくるようでドキッとします
二人は深い関係を持ったことがあるのに
彼女はつれなくなったのかも?
それとも、片思いで、思いがつのり
いきなり「身をば離れず」と言ったのか?
「身」が、当時どんな使われ方をしていたのか気になってきます

彼の一途さが、恐ろしく
ストーカーからの脅迫のようにも思われる句なのか
あるいは、さらりと詠んだ、恋の遊戯のような歌なのか???

彼女からの返事は、どうだったのか!?

面白いでしょ?

おしまい
プロフィール

hasutama

Author:hasutama
神秘学徒hasutamaです・・なんてほんとうは、ただのおばさんです
シュタイナーの著作を読むこと、愛犬をかわいがること、音楽にかかわること、お庭仕事、友人とカフェでおしゃべりすることなどを楽しんでいます

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