認識のさんぽ道

ルドルフ・シュタイナーの著作を楽しみ、 認識の小道散策へ出掛けます
TOP ≫ ARCHIVE ≫ 2013年01月
ARCHIVE ≫ 2013年01月
       次ページ ≫

≪ 前月 |  2013年01月  | 翌月 ≫

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 | Comments (-) | Trackbacks (-)

双葉町は永遠に・・

「双葉から遠く離れて」という映画を、先月見た

双葉町に未だ帰ることが出来ず、埼玉県加須市の廃校になった校舎で
町民の方々は避難生活をされてきた
加須での日々を追う映像を見ていて、この豊かな日本で、
なぜもっと整った状況で避難生活をしていただくことが出来ないのか?と驚いた
健康診断さえ、再三の訴えにもかかわらず行われていないとは、
まさか故意に、健康状態を記録したくないのではないかと疑いたくもなる

町長が「全国原子力発電所所在市町村協議会」の会議に参加する場面があり、
協議会についてネットで調べると、ホームページがある
そのホームページの中に、井戸川双葉町長発案により行われた、
事故後の各市町村の実態調査結果が掲載されている
「原子力災害検討ワーキンググループ報告書」

井戸川町長は、議会の辞任要求を受け、退職されるようだ
事故前には、原発を推進する立場だった町長が、事故の経過を身をもって経験された結果、
「原発の誘致は間違っていた」と、原発に反対する立場を取られるようになった
これまでの経験をもとに町民の立場を守ることが出来る彼が、なぜ辞任要求を受けるのだろう?
私は、「菅おろし」を思い出さずにはいられない

井戸川町長は、町長として最後のメッセージを発信された
原発事故被害のあった市町村への、国や電力会社のふるまいの全体像を、
彼ほど痛感された方も少ないだろう
彼の言葉に、国や東電は耳をふさいできたのだし、
またその言葉が人に伝わるのを、さえぎろうとするかもしれないが、
国民みんなが、耳を傾けなくてはならない貴重な言葉である

双葉町は永遠に

 私たちは前例の無い避難という過酷な状況に置かれています。いつまでも海原を漂流するわけにはいきません。早く上陸地を国が準備して、再興できる日を求めてきました。しかし、時間が足りませんでした。
 放射能のないところで平和な、皆が集える町ができることを祈り町民の安寧を願って、私は本日、双葉町長の辞職申し出をしました。
 私の今までの取り組みから次のことを申し上げたいと存じます。

1 事故に負けない
 原発事故で負けるということは、今のまま、何もしないことである。
 双葉町民には負けてほしくない。勝ってそれぞれ生き抜いてもらいたい。今はそれぞれの地に離れて住もうとも、廃炉が完了して故郷から放射能の危険が去り、自然と共生出来るようになったら再結集しよう。
 我が子どもたちへ、この悔しさを忘れることなく、何としても生き抜いて何倍も幸せな双葉町を再建していただきたい。そのためにも負けないで学び、求められる人になれ。世界の雄になってもらいたい。
(1) 負けないということは以下のことを忘れないこと
①避難してくださいと国から頼まれたこと。
②東電と国は事故を絶対起こさないと言っていたこと。
③町と県と東電には安全協定があること。
④事故は我々が起こしたものではないこと。
⑤正式な謝罪と見舞いがないこと。(形のあるものではないこと)
⑥自分の権利は自分以外に行使できないこと。
⑦被ばくさせられたこと。
⑧放射能の片付けをさせられること。
⑨20msv/yで町へ帰ること。(一般公衆の限度は1msv/y以下)
(2) 勝つためには何をしなければならないか
①事故の原因者を確定すること。
②我々の受けた損害のメニュー作成すること。
③損害の積算をすること。
④回復の請求をすること。
⑤回復の限界と代替を請求すること。(仮の町、借りの町)
⑥立証責任の不存在を共有すること。
⑦気づくこと。
⑧水俣の住民の苦難を学ぶこと。
⑨広島・長崎の住民の方に聞くこと。
⑩避難先の皆さんの恩を忘れないこと。
⑪多くの町民が健全な遺伝子を保つこと。
⑫ウクライナの現実を確認して同じテツを踏まないこと。
(3) 町民の力を結集すること
①役割分担をすること。
 ・汚染調査 ・除染問題 ・賠償問題
 ・住居問題 ・職場問題 ・健康問題
 ・墓地問題 ・学校問題 ・中間貯蔵施設問題
 などの調査研究する組織をつくり町民の不利益を解消すること。
②事故調査委員会をつくること
 事故の報告書には避難を強制された住民の実態が語られていない。外部に任せていたらいい加減に処理されてしまうので、委員会を町独自に構成して正しい記録を残さなければならない。

2 主張する権利を行使する
①見守り隊の組織
②法律家の組織
③文書学事の組織
④ボランティア活動組織
⑤被ばく被害者団体の組織
などを組織して国民の主権と被害者の復権を勝ち取らなければならない。

3 この世には先人の教えがある
(1) 温故知新
 歴史から新しい発想が出てくる。自分が直面している問題について語られています。遠くは私たちの祖先である標葉藩が相馬に滅ぼされたこと、会津藩が長州に負けたこと。しかし、負けても滅びる事もなく私たちは生きてきました。先人達に感謝し、これからは私たちが町の存続を引き継ぎ後世に繋がなければなりません。今度の事故は前例がありません。今は子どもたちを放射能の影響によるDNAの損傷を避けて暮らし、幾多の困難に負けずに 双葉町の再興に向かって、生き延びましょう。
(2) 人生に五計あり
 中国、宋時代の朱新仲が教訓として伝えた人生の処世訓とされるものです。生計、身計、家計、老計、終計があり、生き抜く考えが記されています。
(3) 八正道と言う道
 昔、釈迦がインドで行われていた求道について、新しい道があることを説いたとされています。
正見  : 正しい物の見方
正思惟 : 正しい思考
正語  : 偽りのない言葉
正業  : 正しい行為
正命  : 正しい職業
正精進 : 正しい努力
正念  : 正しい集中力
正定  : 正しい精神統一

 今の私たちにはこのような精神にはなれません。この言葉は東電と国あるいはこの事故を被害者の人権を無視して矮小化しようとしている勢力に猛省を促す言葉として捉えてほしい。願わくば、双葉町の子どもたちに人生の教訓の一部として、心に刻んでほしい。

 この事故で学んだことは多い。我国でも人命軽視をするのだと言うことがわかった。国は避難指示と言う宣戦布告を私たちに出した。武器も、手段も、権限もない我々はどうして戦えるだろうか。

 白河市にアウシュヴィッツ博物館がある。ナチスがユダヤ人を毒ガスで虐殺したことは衆目の事実だ。福島県内では放射能という毒で県民のDNAを痛めつけている。後先が逆だ。この状態から一刻も早く避難をさせること以外に、健康の保証は無い。その後に十分時間をかけて除染をやれば良い。
 人工放射能に安全の基準を言う実績が少ない。20msv/yで住めると言う人が家族と一緒に住んで示すことが先だろう。その安全が確認出来たら福島県民は戻ればいい。これ以上モルモットにするのは、外国の暴君が国民にミサイルを撃つのと変わり無い。
 福島の復興なくして日本の再生はないとは、人口減少の今、将来の担い手を痛めつけていては、真に福島の復興には繋がらないと心配している県民は少なくないと思う。双葉町は原発を誘致して町に住めなくされた。原発関連の交付金で造った物はすべて町に置いてきました。

 原発の誘致は町だけで出来ない、県が大きく関わってはじめて可能となる。私たちは全国の人たちから、「お前たちが原発を誘致しておいて被害者面するな」という批判を受けている。私たちはどこにいても本当の居場所がない今、苦悩に負けそうになりながら必死に生きている。子どもたち、高齢者、家計を支えなければならないお父さん、お母さんたちの悲鳴を最初に菅総理に訴えた。変わらなかった。そのために私は野田総理に国民としての待遇を訴えたのです。しかし、今の町民の皆さんは限界を超えています。何とか国には町民の窮状を訴え、町民には叱られ役をやり、マスコミに出されるようにしてきました。

 県にも窮状を訴えています。最近も質問をしました。回答は具体的な内容ではなく失望しました。知事は福島の復興のために双葉町に中間貯蔵施設を造れと言うので、双葉町の復興はどうするのですか、と聞くと答えてくれません。そこで、踏み込んで私に町をくださいと言いましたがやはり答えませんでした。これでは話し合いになりません。

 環境省の局長にどうして双葉に二つの場所を決めたのですかと聞いたら、分かりませんと言いました。では会議録をみせてくださいと聞いたら、後日ありませんと言う返事でした。このようなことで、調査だけで建設はしないからと言われて、ハイいいですよとは言えません。
 町には古くから先人が築いてきた歴史や資産があります。歴史を理解していない人に中間貯蔵施設を造れとは言われたくありません。町民の皆さんが十分議論した後に方向を決めていただきたい。若い人に決めてもらうようにしてほしい。

 今まで支えていただきました町民の皆様、双葉地方各町村をはじめ福島県内各市町村の皆様、国及び福島県そして事故発生時から避難救済にご支援いただきました国民の皆様、国会議員の皆様、全国の自治体の皆様、埼玉県と埼玉県議会の皆様、県民の皆様、加須市と加須市議会の皆様、市民の皆様、さくら市の皆様、医療界の皆様、福祉関係の皆様、貴重な情報の提供された方、最後に国内並びに世界中からボランティアのご支援をいただきました皆様、この避難を契機にご支援いただきました多くの皆様に支えられて、ここまで来ることができました。心から感謝を申し上げまして、退任のご挨拶に代えさせていただきます。
 長い間誠にありがとうございました。
 
 平成25年1月23日

双葉町長 井戸川 克隆
スポンサーサイト

頭に塩が多すぎるのが鬱

先日の小川町、有機農研修では味噌作りを行った
その前は、枯葉をトラックいっぱい取ってきて、足踏み温床作り
レタスやブロッコリーの種もまいた

研修と言っても、面白いことばかりするので、楽しい印象しかない

米作りもそうだが、温床作りも、味噌作りも、知らないときには、さぞ大変なのだろう・・
そう思っていたけど、実際やってみると、大変というより面白いし楽しいじゃない!
行う量が少なく、肝心なところは人が用意してくれるから、そう思うのかもしれない
しかし、基本のところでは、やはりこういう作業は楽しいものなのではないか?
私にはそう思われるのだが、子どもの頃山奥で育った母は、農的な生活を激しく嫌っているし、
友人、夫も、そういうこと嫌いな人が多いの

きっと・・こうなのではないか?と思う
私は鬱気味なのだけど、シュタイナーが鬱について言うには、
「頭が塩づけになっている状態」だそうで
そういえば脳味噌という言い方も、脳が甘いものではなく塩に関連していることを示唆しているではないか
味噌作りでも、大豆に大量の塩麹を投入した

彼が言うには「人は頭に受け入れたことを、いったんは忘れることが必要である」
どういうことかというと、そうしなければ知識は頭にたまったまま身体化しないということらしい
身体化しないままでいると、おそらく頭は身体化されない知識でいっぱいになり、
さらに塩っぽくなってしまうのではないだろうか?

私たちが食べ物に塩をふりかけるのは、そもそもものを考えることができるようになるためです。

塩は私たちの思考と最も深く関係するものです。

塩は霊的な状態になって、それから脳にいたるのです。塩を直接脳のなかに入れるわけにはいきません。塩の作用を脳にいたらせることのできない人は、愚鈍になっていきます。

ルドルフ・シュタイナー『身体と心が求める栄養学』



愚鈍は良くないが、愚鈍で自殺したとは、あまり聞いたことは無い
じゃあ塩漬けが賢いのかというと、必ずしもそうではないだろう
塩漬け的賢さは、生き生きとした人間生活を損なうものである

脳に至った知識を、身体化する
農作業ほどそれに適した活動は無いのではないだろうか?

たいして知識があるわけではないが、本を読むのが好きで、
ついつい活字漬けになってしまう私
でも私の身体は、脳がせっかくの知識を循環させないことを残念に思っていることだろう
脳とて、味噌が辛くなりすぎていることを喜んではいないにちがいない
私が、私に、鬱という状態をもって知らせてくれていることは
今は、頭をからっぽにして体を動かすことが、バランスとして必要ということ

自然の中に出かけても、お客様になってしまい、あ~きれいだったね!というだけでは、
たいしてリフレッシュできない
受動的な生活を、近頃はとても気持ち悪く感じる

その点農作業は自然にまみれ、人と一緒に体を動かし、頭を空っぽに出来るし、
その活動自体に、農の文化、叡智が込められているのだから素晴らしい

好きとか嫌いというより、必要!
今年も農的なことを経験する機会を積極的に作り、塩を減らしていきたい






でたらめな考え事

夢みたいなことばかり話すと、「地に足がついていない」と言われる。言葉は元来抽象なのだと思うけれども、同じ言葉でも、比較的着地しているものと、浮いているものがあるということ。

これはいちごだ。

これは、ある物体を視覚、触覚、臭覚、等が感知し、出来上がった総合的イメージから、頭の中にあるデータを検索し、イメージ=「いちご」と判断した。

これなどは、地に足がついている。

じゃあ、いちごについて私が、「いちごとは大地の乳房だ」・・と言ったらどうなのだろう?

その根拠は何なの?と聞かれて、

それは、なにしろ色と形状が類似していますし、中身は白いので乳に似ています。
それよりもまず、イチゴ自身が、そのように自己を主張しているのが聞こえませんか?
 
そんなこと言っても、特に誰も認めてくれないでしょう。
この場合には、これは地に足がついていない、ということになる。

でももし私に、何か肩書きや権威があれば、ヘンテコなことを言っても有難がられ、ヘンテコなほどに天才扱いされることもありえる。

あるイメージが一般的で、誰が見てもそうだという共通認識があれば、地に足が着いている判断となる。
イチゴがそう主張しているとしても、それを聞く人が少なければ、地に足が着いていないとなる。
でも天才の場合には、感覚が優れているに違いないので、ある程度許容される。

そもそも、地とはなんなのだろう?私達が直接感知できるもの。知覚によって触れることが出来るもの。

では、抽象的な事象は、どのようにして感知されるのだろう?
もし「抽象的な事象」という「物」が存在し、それを何らかの知覚器官を使って感知するのなら、それが地に足が着いていないとするのは、地の範囲設定の違いということになる。

地の範囲が変われば、人間の知覚も変わり、知覚が変わるということは、人間自体も変わるのかもしれない。
天と地の間に生きる人間、人間の中で生きる人間・・共通認識が、地なのならね。

人間って「知覚する」ものだ。
何を知覚するかが、その人間だ。







雪/ローちゃんに遊んでもらう

埼玉では昨日雪が降りました
すごーく積もって
とても寒かった

家にこもっていたら
じっとしすぎて気持ち悪くなってきましたので
愛犬を連れ出して遊びました

まだ誰も踏んでいない雪の上を
ローリーと一緒に(ローリーは犬の名前)
ザックザックと走りました~♪

そしたらローリーが立ち止まり、
なんと糞をしたのですよ!
それで気がついたのですが、
雪のことばかり考えていて
糞を入れる袋を持ってくるのを忘れていました!!

急いで家に帰り、
袋を持って戻り
糞を片付けました

ああ・・生きるって、ロマンチックなだけじゃない

まあ、ローリーの糞なら、そんなに汚いものとは思っていませんが
純白な雪の上に糞が乗ってしまったことが、なんだかショック・・

なんて・・糞のことばかり言ってごめんねローリー
(↓なんだかわかっていないローリー)




今日も昼休みと帰宅後、一緒に雪探検してきました

雪のうえを走ったり、雪の上に倒れたりするの楽しい!
(倒れたかったけど、さすがにただの住宅街なので出来なかったのですが)

でもきっと一人では楽しめなくて
ローリーが一緒で、嬉しそうだから楽しいのだな・・
一匹と一人で、ぐるぐると走り回って
いっぱいつけた足跡を見たら、なんだか可笑しくなってしまった

ちょっと鬱気味なのですが、ローちゃんにはいつも助けられています



冬の月光の力

読書メモ

少し前に,古今和歌集で見かけた歌を書きとめておきたい

大空の 月の光し 清ければ 影見し水ぞ まづこほりける



「影」は、ここでは「月の姿」だそうです

影を見たのは、作者か、それとも水か?で、解釈が分かれるらしい
本居宣長は、これを冬の朝の歌としていて、
「昨夜、作者が水面に月を見た、その水が先に凍っている」としているそうだ

でもこの解釈は、月の光の清さの印象が薄れて面白くない

私は・・
冴え冴えとした月の光が、まるでレーザービームのように射して、
出合った水面をミリミリと凍らせてしまう様子をイメージした

以下、hasutama独断による解説

影見し・・これは、昨日見たなどという悠長な話ではなく、この言葉によって月光が届いていない部分との区別をはっきりさせ、光が射した水面を風景から際立たせている 「し」は、光の到達の完了をも表わしているのである また「見」と水に主観を持たせることで、光の物質的な到達は、透徹した清らかさによって水の心が射抜かれることを意味することとなり、光の心理的効果、月光の精神の到達によって凍ることを示している

まづ・・は、光の射さないところよりも先にという意味とともに、凍る速さ、瞬間冷却状態を表わしており、たとえそれが澱んだ池の水であろうと、清い光がまっすぐに差し込んだことで瞬間的に凍っていく、その様子を動的に描いているのである

水はあらゆるものを受け入れ流動的であるがために、溜まり、澱む 
しかし、厳しい寒さで空気の澄み切った冬の夜に、
冴え冴えとした月光の精神によって射抜かれ、結晶化する
そのイメージがたいへん気持ちよい・・と勝手に自己満足

おしまい




プロフィール

hasutama

Author:hasutama
神秘学徒hasutamaです・・なんてほんとうは、ただのおばさんです
シュタイナーの著作を読むこと、愛犬をかわいがること、音楽にかかわること、お庭仕事、友人とカフェでおしゃべりすることなどを楽しんでいます

FC2カウンター
FC2カウンター
現在の閲覧者数:
Powered
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。