認識のさんぽ道

ルドルフ・シュタイナーの著作を楽しみ、 認識の小道散策へ出掛けます
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打破~!!

この気持ちよい曲は、
結婚前に夫がくれた「カセットテープ」(なつかしー)に入っていた

急に聞きたくなりました
チャボさんが低くうなりながら、しぶいギターをかき鳴らし、
間奏でトランペッターが大暴れ
相当ひび割れてきたところへ
最後にキヨシローさんが出てきて、完全に打破!します

打破って、楽し~のですね♪

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ぼーとする、自己充足する

ぼーとする時間は大事です

雨が降り、脱穀しなくてはと思っていたけど
田畑のことは天にお任せとなり
頭の中も天にお任せにしてみる

何事も理論どうりではない
解釈なんて人間が扱う以上どうにでもなるもの
情緒もあてにならない

それぞれ
都合のいいように
剣のように振り回され
あるいは甘い菓子のように
人を飼いならすのに使われる

自分の言葉だけはそうではないと
自分も含めた誰もが言うだろう

なんて思いになるとき

目を閉じ、
天にお任せな時間に浸かってみる

まだ歌を習っていた頃
習った曲の中で一番好きだったのは
ヘンデル作曲のものである

ヘンデルのこともよくは知らない私だが
今、この瞬間、ヘンデルの根本思想がわかる気がした
なぜ、彼の曲が好きなのかが
(と言っても、知っているのは「オンブラ・マイフ」と「私を泣かせてください」だけ

彼の根本思想、(あるいは当時の人の?)
それは「天にお任せ」的なものではないだろうか

全てを手に入れた人間が、木陰の究極的価値を歌い上げる(オンブラ・マイフ)
全てを失った人が、涙の運命打破力を確信している(私を泣かせてください)

この大げさで能天気な感覚が、
ヘンデルのゆったりと落ち着いたリズムで静かに血脈を打ち
音という構築物を得て実在し始め、
私と共に肉体化し、まぬけに自己充足する
その安心感

木陰の究極的価値
涙の運命打破力

これらを血脈に流し込み
自己充足できるほど
まじめにまぬけになることも時にはよいのではないか?
いや積極的にそうでありたくなる

先日畑を見に行ってみると
草のお布団の下でネギが発芽していた
小松菜やのらぼうなも双葉を広げ笑っていた
(もしあれが小松菜やのらぼうなの双葉なら
雨が降り、畑が潤う
それを想像しながら

私はぼーとする
(充電中の携帯が思い浮かぶ

おしまい











そろそろ自然農一年・・

あら?気がついてみれば
そろそろ自然農も一年近くなる
このへたれた状態でこんなに続けられたのには自分でも驚きます

なぜ続けられたのかな

会の雰囲気が自由で
放射能の話もタブーではない
機械をほとんど使わない
みなさんが優しい
いつも何かしら新鮮な発見がある
等々・・他にもいっぱいありそうです

今は稲刈りした稲を干しているところで
そろそろ脱穀です

畑では、前に畑を使っていた人が残していってくれた大根から種が採れて、
それを播いてみたら、はじめて種から双葉が出てきてくれました
言ってみれば、私より畑の先輩である大根さん
間引きした葉っぱのおいしいこと♪
(今までで一番の収穫は、この大根の間引きの葉っぱかも

自然農の畑はかわいくて、なんだか・・
自分だか畑だかわからなくなるような一体感を感じています
例えば、お気に入りのお布団に感じる愛着のような?

よく田舎に行くと田畑の近くにお墓があったりします
なんでここに?と不気味に思っていたのですが
わかる気がしてきました
私も、愛する田畑があったら、そこの土になりたい♪

土って命が生まれ、帰るところ
私もその仲間に入りたい
もしかしたら、命は命だけで生きることを意志するのではなく
死がそれを意志しているんじゃ?
何だかそんな気がしてきます

私自身、それほど自分の意識が生きることを意志していないような気がしても
「そうではなく、生きることは意志されているんじゃよ・・」
土の中から小人さんがそうつぶやくのが聞こえました
良かった、生きることは自分で意思しなくても意思されていたのか

内山節さんが「ローカリズム原論」で書かれていた
ご先祖様が山林そのものとなって子孫を守っている・・というの
感覚としてわかりそうな

自然を、人間の意志でどうこうして良いか?というだけでなく
人間自身、自分の中にある自然の意志を知っているか?となると
シュタイナーの「自由の哲学」のテーマともつながってくる

ちょっとかじっただけで
大げさなこと言って可笑しいですね









路傍の土

アスファルトの道の端っこにある
吹き溜まりのようなところの土(砂)には注意が必要です

埼玉でも、この土のベクレル数が万の単位となっている

これを、行政の人とか科学者とかではなく
また東電の方でももちろんなく
小さな子どもを持つお母さん達が発見し
測定しているのが現状で

私なんかすっかりへたれているのだけど
お母さん達は頑張りを継続している

うちの近所で「路傍の土」が見つかったところは
長女が赤ちゃんの頃、よく遊んでいたところで
なかなか立ち上がらず、その公園の中でもハイハイしてしまい、
まるで犬の散歩みたいだった

小さな子なら手をつくようなところに
何万ベクレルのものがあり
まだ何の対応もされていない

身近なところに恐ろしいものがあるような現在
この状況を作ってきた過去を振り返り
せめて生活の安心、安全を、守れるように
未来を託すことのできる政党、政治家を・・

いやとりあえず、目の前の汚染に対応する可能性のある人を
選挙で選ばないと・・
犬の散歩さえ安心して出来ない
公園で座ることも躊躇する
道路を疑心暗鬼で歩行する
でもそんなことしていると風評被害と言われ
世間から孤立してしまう

NHKのニュースキャスターは
本当に痴漢行為をしたのかな?
以前反原発活動をしていた市民が、同じように逮捕されたんじゃなかったかなと
「酔っ払って電車で痴漢」て、はめられるパターンじゃないの?と想像し
すぐに謝罪をするNHKにも、不信感を持ってしまった

なんてことばかり考えているから
調子悪くなるのよと家族に怒られつつ・・

ホラーな現実を変えよう!
後悔しない一票を!

(支離滅裂ですみません



(親ばかな)娘の話/気質

三女が馬乗りが楽しくてしかたがないとメールをくれて
いいな~・・羨ましく思う

夏のインターハイでは一回戦敗退で涙を流していた
地域を代表して参加するのだから責任がある
でも、結局は個人的な、内面的に乗り越えるべきところが
試合でもはっきりしてしまう

三女は職人気質みたいなところがある人で
気分がのらないといっさいやらないが
気分がのったことには勘が良く、すごく集中できる人である
世間的な計算をしない人で、意志が強く
怒ると恐いけど、些細なことで喜んでくれる(おいしいものとか)

シュタイナーが言うところの、胆汁質ではないかと思う
胆汁質の人は、常に乗り越えるべき障害を必要としているとのこと
意思を持って人と共に生きることが出来る彼女は
私より優れた過去生を過ごしてきたのではないだろうか?
(転生があるとして)

馬術には、障害飛越、馬場馬術とあって
障害飛越は豪快で気持ちが良いらしい
馬場馬術のほうは馬との細かいやり取りが必要で
習得までには忍耐を必要とする

インターハイでは、馬場馬術のほうで、
なんでここで?と思うようなところで
馬が制御不能になり、落馬して敗退となってしまった

夏にそんなことがあったが
その後馬場馬術に集中し、
先生に叱ったり褒めたりしていただきながら、少しずつ理解を積み重ね
今は馬とのやり取りが楽しくて仕方が無いと言う
「わかってきた♪」のだそうで
10月末の新人戦では、県の馬場馬術部門で優勝することも出来た
まだまだ課題はいっぱいなのだろうけど
それを乗り越えるのにも、先生や仲間、馬達との色々な物語があって・・

いいな~楽しそうだな
昔、好きな漫画をいつも立ち読みしていた
「ロリィの青春」というのだけど知っている人は少ないだろう
ロリィという少女が、数々の不幸な出来事にめげず馬と一緒に成長していく話で
(それでうちの犬の名前はロリィに)
ふだんはずっこけな少女が、愛馬と競技に挑むときには
すごく美しく描かれて(目がキラキラと)胸を打つのである
自分の娘がそのような青春を送るなんて、想像もできなかった

子どもには本当に励まされる
早く眩暈をなんとかし
「粘液質」(食べること、休むことが好き、たいていは丸い体つき)の私も、
もう少し生き生きと過ごさないと
プロフィール

hasutama

Author:hasutama
神秘学徒hasutamaです・・なんてほんとうは、ただのおばさんです
シュタイナーの著作を読むこと、愛犬をかわいがること、音楽にかかわること、お庭仕事、友人とカフェでおしゃべりすることなどを楽しんでいます

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