認識のさんぽ道

ルドルフ・シュタイナーの著作を楽しみ、 認識の小道散策へ出掛けます
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ビオディナミ/ママと密着

今年もあと数日・・
だらだらと思いつくことを書いてみよう

自分にとってのこの一年を振り返って集約すると
一文字で「苦」としか言いようが無い

しかし、今この瞬間に未来に対して思いつくのは
意外にも
「夢」という言葉である

外からの「苦」が面白い作用をして
表面的に納得しているふりをしていた私を壊してくれた
それは確かに苦だけれど、
自称神秘学徒ならそれを新しい「目」にする必要があり
だとすると、今までに無いほど、すごい目が出来そう

            

今年最後に注文した本が届いた
「ワイン 天から地まで」~生力学によるワイン醸造栽培~
 by ニコラ・ジョリー氏

まだ読んでいないけど
パラパラめくってみたら中ほどに
因縁の「渦巻き」の図形がでかでかと描かれており
その解説として

「エネルギーの螺旋降下
大宇宙が小宇宙になる。
周囲に広がっている界が、一点に集中する。
非物質の要素が物質になる。生命の具現化。」



とある
面白そう!

「結末」の章には、

昔の人間には直観力とさまざまな知覚力があったので、
物質的感覚ではっきり知覚出来ないものでも
感知し予知することが出来ました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

多くの田舎の老人は、地球が目に見える物質であるだけでなく、
生きた惑星でもあることを本能的に知っていました。

ですから、農業に関しても、
必ずこの目に見えない本質に基づいて行動していました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

どんな農作業にも、一見大したことの無い行為でも
大変重要な行為でも、常に、広大な生きた世界とつながっていることを
自覚しなければなりません。



このような考えを真剣に押し進め、
バイオダイナミック農法による葡萄からワインを醸造し
「ビオディナミの伝道師」と言われているニコラ・ジョリー氏
(ビオディナミと言うのはフランスだから?)

「何々農法」がドグマのようになることは、あまり好きになれないけれど、
この方のように、その本質を理解し、人間と植物、動物、地球との、
調和的な関係性を求めるとしたら、なんと素敵なのだろう?

生きた惑星である地球、
その見えない本質・・に触れるには、
挑むというより抱かれればいいのではないだろうか?

そもそも、ママから隔てられている気がすることに、
不平を述べたりぐずったりしてもいいのであって、
だからこそチェット・ベイカーのように
けだるくやる気をなくしてみるとしてもそれは
ママへの求愛の一形態なのである
(つまり社会的でないとしても宇宙社会的な関係を求める行為)

ママとの密着度が強まれば
兄弟に対してももっと親切に出来る

とにかくママがいなくちゃはじまらない!

おしまい






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ママ宇宙を感じてみて

内向傾向とは何だろう?

物語や昔話とは何だろう?

オカルトとは?

ヘルマン・ヘッセ

ロマン主義

バカなのか?

私はきつねにばかされる能力によって、
グローバル経済に立ち向かうつもりです

ヘルマン・ヘッセは晩年、焚き火をしながら
枯れ木に残る最後の一枚の葉っぱを見ていた
あの葉っぱは、いつ落ちるのであろうか?
今日は風が吹いたが、あいつはまだ頑固にへばりついている
次の日も、その次の日も
そして、あるそよとも風のない日に、やつは決行したのだった
それはまったく自分の意思であった
私が証人である
彼(葉っぱ)の毅然とした姿に、畏敬の念を禁じえない

この話も勘違いして覚えている可能性はある
でもそんなこといいのである
今自分がそう思い込んでいること
今それを思い出したことに
価値を見出してみる

ママ宇宙対自分

その直通の関係性を共有することは出来るのだろうか?




「日本人はなぜきつねにだまされなくなったのか」 講談社現代新書 内山節さん著

「日本人はなぜきつねにだまされなくなったのか」
講談社現代新書 内山節さん著
がとどいた

しばらく前になるが、いつもは車で行っている県立図書館まで
自転車で行ってみよう!と出かけたことがあった

途中、たくさんの畑や、人の暮らしや
商店街などを見つけて、やっぱりこういう風景を
すっ飛ばしてしまうことなのよね~
車で出かけるということは!なんて、
嬉しくなって、どんどんこいで
二時間近くたったころだろうか?
あら?おかしい!
やけに見覚えのある風景・・
もしや・・うちの近所じゃ~ん?

その日の朝日新聞の書評欄に
この本の紹介があるのを発見し
う~む さすが!私は神秘学徒だけあって
まだきつねにバカされる能力を温存しているのだ・・!

でも本の名前を「なぜ日本人はきつねにバカされる能力を失ったのか?」と
自分勝手におぼえていたため、
いくら探しても、その後この本にめぐり合うことが出来なくなっていた

読みたい本を見失う能力にまで、恵まれてしまっているのである

だが先日偶然に、エコビレッジのことを調べていたら
この著者のことが紹介されたブログ記事にめぐり合うことが出来た

なぜあの時、出会うことが出来なくて
今めぐり合うことが出来たのか?を
神秘学徒的に考えてみると

結論は簡単で、私自身があの時、
この著者の述べることの価値を
受け取るには、未熟過ぎたのだ

もしや、この全体がきつねのはからいなのでは?
きつねは未来を予見しているのだろうか?

見失うこと、再発見することの不思議さと、楽しさがある
そういえば、私が星野道夫さんに出会ったのも
「くま」のはからいだった(・・詳細ははぶくが

母によると、昔はみんなしょっちゅう、
きつねやたぬきにばかされていたのだそうだ
夜になっても村にもどってこない人をみんなで心配していると
次の日に馬糞だらけになって帰ってくる
どうしたの!?と聞くと
見知らぬ人に招かれてご馳走になっていたはずが
朝になって正気にもどると、実は馬糞を食べていたのだとか・・
そんな話を、母が身近に経験して知っているなんてこともびっくりしたな

著者のまえがきによれば
日本人がきつねにだまされなくなったのは1965年以降のことだそうだ
それ以降の高度経済成長、
核実験、原発推進の時期とも重なるのではないだろうか?
きつねにばかされる自分をとりもどすこと・・
それは革新的なことなのでないだろうか!?

きつねにばかされたことがある人、ぜひ経験談を教えてください!







「拷問/象徴化」→漫画化

ひとりごと と書いて、独り言と変換されると
「独り言」がよりこどくでこわいきがする

こわいと書いたら、「恐い」と変換されて
こどくと書いたら、「孤独」となってしまう
漢字が出てくると
こわい気がする

漢字になると、その状態は固定されてずっしりと重みを増してしまい
もうそこから抜け出せなくなってしまいそうである
「独り言」「恐い」「孤独」・・
漢字って、呪術的な起源があるんじゃーないかな?

妄想はふくらみ、漢字の重みが、昔の拷問の
膝の上に石を乗せるののように思われ、通りかかった夫に↓

「ねえ、拷問のさ~、膝の上に石を乗せるの、あなたも見たことある?教科書で見たのかしら?」
夫「知ってるよ あれは石を乗せるだけじゃなくて、三角の上に乗るんだよ」と言って、手で大きな三角を作る
「え~そーなの?」
「そーだよ、そうでなきゃ意味ないだろ」
え~?どうやったらそんな三角の上に人が安定して乗ることが出来るのだろう?
と疑いつつ画像をさがしてみる・・

300px-Ishidaki.jpg

・・ 画像のサイズ大きすぎですね
あ~三角がいっぱい!
「そ~か 一個の三角じゃなくて、いっぱいの△ね!どうやって一個の三角の上に乗っかるのかと思った~!」
夫「それじゃけつに突き刺さって、逆に変態が嬉しくなっちゃうでしょーよ」

まったくどうでもいい会話でしたね・・

それにしても、拷問されている方は、なんと苦しそうなのでしょう!
でもこれを見て感情移入するというよりは
ちょっと漫画みたいに感じてしまうのは、いけないでしょーか!?

朝はすごく苦手で、あ~鬱っぽい~
もう病院にでも行かなきゃならないんじゃ・・?と思うのですけど、
ひらがなが漢字になっただけで、拷問の重石のように感じるなんてどう考えても漫画です
拷問の絵を見たら、逆に気が軽くなって漢字の呪詛から脱却!
シュタイナーが言うように、「象徴化する」ことでその影響から自由になる・・の実験になりました(??)





夫の(小)江戸っ子気質のこと

車に乗ったところ、夫が入れていたCDは落語でした
夫の親の育った街は小江戸と呼ばれているところで
横丁などに分け入ってみると
垣根越しに聞こえてくる会話の口調が
まるで江戸っ子です!
夫はだから落語が好きなのではないかと思います
懐かしいというか
良くないのはしゃらくさがるところですね
なんでもいいから、とっととやりやがれ的な・・

私「ねえ、お庭に放射能が降ってしまったかもしれないから
お庭仕事が楽しくなくなちゃった!どうすればいいの?」
夫「そんなもん、枯葉剤まいちまいな!」てなもんで・・

神秘学徒と小江戸っ子との相性って・・

(追記)

ふと・・「すっとこどっこい」てどういう意味?と思い、調べてみたら
すっとこ=裸で どっこい=どこへ?
裸でどこへ?=ヘンテコな野郎 ということでしょうか~


プロフィール

hasutama

Author:hasutama
神秘学徒hasutamaです・・なんてほんとうは、ただのおばさんです
シュタイナーの著作を読むこと、愛犬をかわいがること、音楽にかかわること、お庭仕事、友人とカフェでおしゃべりすることなどを楽しんでいます

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