認識のさんぽ道

ルドルフ・シュタイナーの著作を楽しみ、 認識の小道散策へ出掛けます
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憧れの力

次のイタリア古典歌曲は
「おお、私の優しい熱情が」になりました
またまた、すごい題名です

色々な動画を聞きましたが
この方の声が、とても素敵だと思いました
(音が高いとビリビリして・・音質は良くないです)




ああ私がやさしく熱く憧れる人よ、
あなたの呼吸する空気を、私はついに吸えるのだ。

私がどこに目を向けても
愛は、あなたの美しい姿を私の中に描き出す。

私の想いは、みずからにこの上なく喜ばしい希望を創りだす。

そして私の胸をこのように満たす希求のうちに
私は貴女をさがし、貴女を呼び、希望を抱き溜め息をつく。


はーそうですか・・っと
はじめに歌詞を見たときは
まるでストーカー状態の
この人の熱情に、かなりひいてしまいました

ま、しかし、
今自分は・・
自分こそが、憧れの力を必要としているのではないかと思います
自分だけの、ひそかな憧れであったとしても
それをここまで堂々と肯定し、歌にまでしてしまうなんて

もしかしたら、これこそ、
今の自分にとって
必要な力を与えてくれるものかも?

これは、イタリア人が能天気で色恋沙汰が好きという
ただそれだけのことではないのかもしれない!

今の時代の人にとってはバカバカしいほどの
一途な想念の強さをたたえ、浸りきって、共有しあう・・
ここに、自称神秘学徒として
この歌にめぐり合った意味を
発見するべきなのかもしれません!

そーか!そういうことなら、私が尊敬するあの方が
なぜすごいのか?ということにも
同じ答えが見つかりそう

その方というのは
唐突ですが・・
柿本人麻呂様です

実は先日、鈴木大拙さんの書かれた
「日本的霊性」について
ネットを見ていたら
こんなことが書かれていました

「霊性という文字はあまり使われていないようだが、
これには精神とか、また普通に言う「心」の中に包み
きれないものを含ませたいというのが、予の希望なの
である。

なにか二つのものを包んで、二つのものがつまるところ
二つでもなくて一つであり、また一つであってそのまま
二つであるということを見るものがなくてはならぬ。
これが霊性である。

霊性を宗教意識と言ってよい。
ただ宗教と言うと、普通一般には誤解を生じ易いので
宗教意識と言わずに霊性というのである。」


↑この中で、二つのものがそのまま一つでありながら
二つであることが霊性・・というところ
シュタイナーの「自由の哲学」で言われている
主題と同じじゃないかしら?面白いです

普通に言う、「心」のなかに包みきれないものも
その中に含ませたい・・というところにも
共通しているところがあります
大拙さんはそれを希望しているということですが
シュタイナーの場合には、それを現実だと言って
細かく解説し始めます・・

「精神には倫理性があるが、霊性はそれを超越している。
超越は否定の義ではない。
精神は分別意識を基礎としているが、霊性は無分別智
である。」


ふむふむ
無分別知ね

だからhasutama説による
個我にいきなり霊性が作用しやすい日本人は
思考力による論理性とか、精神による倫理性を
すっ飛ばしてしまって
無分別に突き進んでしまうこわさがあるのかも?

「精神の意志力は、霊性に裏付けられていることによって
初めて自我を超越したものになる。
いわゆる精神力なるものだけでは、その中に不純なもの、
即ち自我(いろいろの形態をとる自我)の残滓がある。
これがある限り「和を以て貴しとなす」の真義に徹し
能わぬのである。」


ここのところは、個人的にはあまり同意できないところです
自我を整え成熟させることによって
それぞれの違いを生かしながら
和に至ろうとするのではなく
実のところ自我を幼いまま残しているのに
不純と言って切り捨てたつもりになり、
霊性に裏付けられて自我を超越してしまった
精神の意志力があるから大丈夫
そしていきなり「和」と来るのは
ごまかしなのでは?と、思ってしまいます

↓万葉集のこと

「この本は・・・・
・・・
生まれながらの人間の情緒そのままで、まだ
これがひとたびも試練を経過していない。
全く嬰孩性(えいがいせい)を脱却せぬと
言ってよい。
・・・・
(男女の恋歌に関して)恋愛そのものからくる
悲苦につきての反省・思索などいうものは、集中
どの作にも見えない。子供らしい自然愛の境地を
出ていない。・・・これには成熟した頭脳がなく
てはならぬ。
人間は何かに不平・失望・苦悶などいうことに際
会すると、宗教にまで進み得ない場合には、酒に
ひたるものである。・・・或る意味で酒に宗教味が
ある。ところが古代人の日本人には、こんな意味の
酒飲みはいなかったようである。
・・・
「万葉」の歌人は宗教的な深さを示さぬ。
・・・
万葉歌人には、人間の心の深き動きにふれている
ものがないと言ってよい。」


ここのところも、納得いかないです
私的には万葉の人の想念の強さそのものが
霊性につながるもの、
霊性と言ってもいいのではないかと感じます
少なくとも、それよりもっと前の時代の人の
霊性を引き継いでいるから
そこまで想念を強く持てたのではないかと
万葉の人たちを尊敬したい気持ちです

大拙さんの言うことは矛盾していると思います
万葉の人たちの無分別知は
人を想う気持ちが自分の身体を超え出でて
宇宙的な霊的振動にまで達しているのであって
(これhasutama説
酒でごまかすとか、不平不満を反省、思索するとか
宗教的な解説なんて必要としていないほどに
すごいものなのです
大拙さん自身が
「精神は分別意識を基礎としているが、霊性は無分別智」
そう言っているのに、万葉の人たちが
頭が弱いみたいな言い方は残念です

かえって、宗教という枠でくくられた後の霊性というのは
個人的な霊的能動性、主体性、独立性が少なくなり
宗教的な偉人を奉り、形式を踏襲し
受動的なものになってしまったのではないでしょうか
そのかわりに、
個々の人間の人生の出会いや思い、
その脈絡から浮かび上がる深い意味合いに対して
下らないものと判断してしまっているのでは?
(まったく、そーゆーオジサン的な発想が
 今日の日本の状況を招いているのよね)

でも大拙さんの本を全部きちんと読んではいないので
これは部分的な感想です
また図書館で借りて、読んでみようかな

私はきっと、個人的に
宗教的な霊性よりも
呪術的?シャーマン的な霊性が好きだから
そう感じるのかもしれません
そもそも、霊性=宗教意識と言えるのかな?と思います
霊性は宗教意識を含んでいるでしょうが
もっと根源的なもの、ひとつの現実的世界でさえあって
万葉の人たちは、宗教を介在しなくても
その世界で呼吸する人たちだったのではないかと思います

そんなわけで・・(わけ長っ
柿本人麻呂さんの歌を味わってみると
たいへん強い想念の力を感じ
彼はシャーマンなのではないかしら?と思い
とても惹かれます

話はうだうだと、超長くなりました
とにかく!
このイタリア歌曲を歌うことで
私の心にも、熱情と言えるほどの憧れの力が
沸いてくるよう、頑張ってみまーす













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餃子の具を刻みながら思ったこと

二人の子供たちが寮生活をしはじめて
長女は家にいるとはいっても
ほとんど出かけているので
夫と話すことが、以前よりは多くなりました

今日は東京で仕事の夫に
「お夕飯は、また手作り餃子よ
 先日の皮がいっぱい余っているの」
と、メールしてみたら
「わー、やった~万歳!」って・・
普段ろくに作っていないせいかしら?
そんなことで嬉しいなんて・・
もうちょっと夫を大事にしないとね

餃子の材料をきざんでいるときに
行政監査委員会のことを考えました

小出さんは武谷さんの理念を
引き継いで下さっているなと
私は感じました
特に「責任」についてのお話では、
武谷さんの本で見かけた
日本の象徴としての天皇が
大きな出来事に対して
偉い人が責任をとらないですましていることの
見本となっているという話を思い出しました
そこまでずばずば言えた武谷さんは、すごい人です
国民の人権を守り、特権を糾弾する(天皇でも・・)

頭の中が支離滅裂で
まとまったことが言えないのが悲しいですが

それから思い浮かんだのは
あれは、芥川龍之介?
くもの糸に
たくさんの人がすがりつく話は・・
みんな自分のことしか考えられなくて

誰しも、受験戦争を生き抜く子供さえも
必死なんだなと思います
特権を得て、安泰な暮らし・・
他の人を突き落としてさえも

その行き着く先、理想というのは
原発に関わってきたような方々
特権的な、偉い方々なのではないでしょうか?

これを、悪と言うのかどうかわからないと
哀れさ、おかしさまで感じます

また、こうしたものたちに
理を説くというのは
愛だな・・と感じます

自分の血を理念に注ぐことは
批判というより
愛でなければ出来ないことで

人間がまだまだ
必死こいていても
愚かしいことしか出来ないのは
自分の可能性を
変てこな方向性にしか
伸ばせなかったからで・・

薔薇十字の薔薇の花の謎が
ちょっと解けた気がします
皆さんのおかげで

意味不明な話に
またなってしまったかな・・







お庭にプルトニウム?

やっと風邪が治りきりました

ニュースを見ると
孫さんと、菅さんがお話されたとか

「嵐の真っ最中に、船長が代わるなどありえない」とのことで
ほんとにそう思います

浜岡原発の停止に対する世論調査では
66パーセントが評価
(共同通信)

ふむふむ

それから孫さんについて、もう少し知りたいと思って
検索のはじめに出てきたツイートをのぞいてみたら・・
見つけてしまいました

すごく気になっていたプルトニウム拡散についての記事です

風邪が治ってから、やっと庭にのんびり出てみると、
草もいっぱいだったけど
二年前に植えたシルバーカーペットという草に
初めて花がついていて、とても嬉しかった
これから庭仕事が楽しみ!と思っていたのに
プルトニウムのことで
ちっぽけな庭仕事の喜びさえ奪われる気分で
回復した力も抜けてしまいそうです

それから、孫さんのツイートに
ひどい返信がされているのを見て
日本人として情けなく申し訳なく思ったり・・

ついでに、ずっと気になっているのが
東京電力のホームページにもある
CCSという技術についてです

こんな地下に、勝手に穴掘って?と思います

空や、大地、海、地下は
誰のものなのだろう?

はっきりみんなの同意を得てもいないのに
そういう、地球の生命全体にとっての
根源的な条件というか、財産に
科学だから、専門家だから、CO2対策だからといって
どんどん勝手に、何かしてもいいのだろうか?

いったいどうしたら、科学や、経済を
暴走させないように出来るのだろう?

今日の朝日新聞の、紙面一面を使って
熊本県の広告記事が出ていて
県知事が、ダムの建設を中止させるにあたって
ダムが出来ることによって県民が得るものよりも
美しい川が残されることによって
県民が、自分の県を誇りに思うメリットのほうが大きい
そう考えたとのことだった

郷土への愛、誇りを、判断材料に出来るような人を
知事に選んだ熊本の人は偉いと思います

日本の国民の財産である国土を、
誇りに思ったり、愛する気持ちを
日本人自身はどのぐらいはっきりと持てているだろう?

熊本県知事はハーバード大学大学院で
政治学を学ばれたそうですが
知事がそのような判断をされたことは
やはり政治学を学ばれたことと関係があるのだろうか

はっきりしたビジョンもなくお金や力に流される政治を
卒業できるようにするには、国民も、
自分の生まれた国、地域への思いをはっきり持てるように
なるといいのかもしれない

自称神秘学徒としても、
イメージに何が出来るのか?ということに
とても興味があるので
自分自身が、何に価値を置いているかに
無自覚ではなく
そこに意思を持たせられるようにすることが課題です

日本の国土や、住んでいる地域への誇り、大切に思う気持ち
あったかな
ちゃんと考えてみたいと思います



















ちょうちょと着物のこと

蝶のことが気になっています

いきなり話し変わって
以前には、コーヒーが大好きで
一日中飲んでいました

シュタイナーによれば
食事や飲み物は
霊的な作用を持っているとのこと

コーヒーは、物質的な思考を促すもので
コーヒーを飲みながら話をすると
ひとつのことを徹底的に論じてしまう

紅茶の場合には逆に、意識を拡散させ
話題は深まらず、次から次へと対象が変わるので、
紅茶は軽い社交の場に向いている

ココアは人を通俗的にする

などと述べていて
根拠はないのに、なんとなくそうかも?
と、思い当たる気がします

では、日本人の好きな緑茶はどうなのだろう?
それについて、シュタイナーは何も言っていません

そこで私は考えてみました
緑の葉っぱが大好きと言えば、毛虫君
彼らはやがて蝶になります

蝶といえば、やはりシュタイナーによれば
霊的な「わたし」をあらわすとのことで
それは、宇宙の霊的作用の中に生きる個我のことだと思います

緑茶を飲む日本人が
着物を着る

じゃあ、着物を着る日本人って蝶なんじゃない?

日本人は、蝶になりやすい民族である

緑茶は、自我に宇宙の霊的作用を
反映させやすくする

としてみるの、どうでしょう?

そう思うと、着物を着る日本人が
よりかわいく思えるし
緑茶を飲んできた伝統にも
誇りが持てる気がします

っていうの、日本びいきな考えかな?
葉っぱが好きなのは、虫だけでなく
牛さんたちもいるしね

それにこの場合の、宇宙、霊的とは
いったいどういう意味なのだっけ?
それ、もう少し具体的に考えてみよう






人の意識と象徴のこと

何だったかな~

言いたいことをどう書けばいいのか・・

シュタイナーが人智学に集う人たちのための
建築物を建てるときに
その素材を何にするか?という話があった

思いつくのは、やっぱりナチュラルな素材で
木かしら?
でも彼は、あえて新しい素材、
コンクリートにしましょうと

常に新しい技術を取り入れていきましょうとのことで

ただ、その分、そこに人間の心魂の営み、
その建物に集う人たちの目的、精神性が
強く反映されたデザインを取り入れましょうということで
建築が行われたという話だった

厨房については、
火を使うなどの技術を使う設備が必要となる
そのときに、人が集う場所と
同じところにその設備があると
人間が精神性によって生きるのではなく
物や技術によって生きるという意識が
知らない間に人の心に巣くってしまう

物や技術の霊的な力が
建築物全体に反映してしまうのは良くないとのことで
厨房を別棟とし
またその厨房の屋根の上には、
物や技術の霊的象徴をデザインしたものを
オブジェのようにくっつけて
その力を象徴化することで
人間の精神が、知らない間にそれに
影響を受けたり
支配されてしまうことを防ぐという話

その厨房↓
シュタイナー建築

私は、この話はすごく面白いと思っている










プロフィール

hasutama

Author:hasutama
神秘学徒hasutamaです・・なんてほんとうは、ただのおばさんです
シュタイナーの著作を読むこと、愛犬をかわいがること、音楽にかかわること、お庭仕事、友人とカフェでおしゃべりすることなどを楽しんでいます

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