認識のさんぽ道

ルドルフ・シュタイナーの著作を楽しみ、 認識の小道散策へ出掛けます
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「peer」・・生きる仲間として 

今日は職場で月に一度の会議でした
私はいつもの書記です

会議の中で私の好きなFちゃんが、研修報告をしました
それでやっぱり、この人はすごい!と畏敬の念を抱きました

その研修は、精神障害者福祉に関するもので
ピアサポートという考えが紹介されたそうです

その概念に沿って活動しているセンターの、実例、状況が
当事者、医師、ヘルプスタッフ等からじかに報告されたそうです
Fちゃんは、その方々の報告を素晴らしいと思ったと同時に
今、私たちのセンターで行っている障害者へのサポートを
自立を促さない甘やかし、あるいは病院に入れてしまえばいい等と
非難する人たちがいる中で、
当人の希望を重視しながら
今のその人の生活を、成り立たせる努力を
日々していることの意味を、再認識したとのことでした

Fちゃんが、研修の中の事例紹介で一番印象に残ったのは・・と
話してくれたのは
親と死別してから、症状がひどくなり入院生活をしていた方が
退院して普通に暮らしたいと希望されたため、
スタッフがサポートチームを組んで
ヘルパーが入るなどしてしばらく生活したが
その後また症状が悪化したため再入院となった

では、この経過は無駄だった
本人のわがままを聞いたのは、意味がなく徒労だったと
判断する人もいるかもしれないが
その研修では、医師から、
「皆でチームを組んで、その方の生活をサポートし
希望を叶えることができて良かった」
という価値付けが行われていた
そのことが本当に嬉しかったという話で

はー、なんと私たちの職場の現実と違うのだろう?
医師でさえ、病気の方と対等のつきあい、
一緒に過ごすことの大切さをとなえ
病気から回復した人も、一緒になって
スタッフとしてサポートするとか
全てをみんな(医師も、当事者も)の話し合いによって決めていくとか

ピアサポートという概念、理念が、名づけられることで
人の意識、価値観をこうも変えることができるなんてすごいと思います

職場での利用者への上から目線には、いつも違和感を感じて
人間ていやなものだな~と、がっかりしてばかりいるので
この話は本当に勇気を与えてくれるものでした

人が何かするときに、骨子となる概念が決まっていないと
その場はまるで「蝿の王」の島になってしまうし
弱者相手に「カッコウの巣の上で」の看護婦さんも登場する
実際今の職場はそれに近いと私は思います

ある理念を実現しようとする
それが上手くいかなくて
最後にはまた蝿の王の島になってしまったとしても
自分たちが協力して頑張っている間だけでもそれが成り立つなら
やってみたことに価値があると言えるのかな

理念は生き物であって、
いったん打ちたてたら永続するというものではない
そこに命を流入する人間がいなければ、
一瞬も成り立たないのではないだろうか

なにしろこの物質界は、理念世界ではないのだから当然だ
そこに自分の命を注ぐか、徒労と考えるかによって
その人の生息する世界は違ってくる

世界は層をなしていて、
同じ実質によって
それぞれに生きるものを存在させているとしたら?
物質界には物質素材の生き物
アストラル界には魂素材の生き物
理念界には理念素材で出来た生き物

もし人がその命を理念と同質なものとするなら
その人は理念界に生きている

その割合によって、それぞれの世界に同時に存在している

なんか・・宗教くさく、説教じみてきてしまったが
理念界に住むために理念に命を注ぐ
という気味の悪さではなくて
(そういう人は、きっと理念界からの上から目線になる
目の前の人を普通に友人と考える感覚で
日々のその人の気持ちに沿って
何か出きるならいいな
その時に、物質世界での効率、効果を
度外視する価値観が、理念なのではないだろうか?

ちょっと病気になるとか、境遇が悲しくなるとかは
誰にでもあることです
サポートを行う側と受ける側は
上下関係ではないはず
物質的な発想で、生産的かそうでないかによって
人の上下関係を計るなら
福祉など必要ないような気がします
何を生産的と判断するかによって
その場に内在する価値基準が
逆に計られるのではないでしょうか?

ちょっと偉そうになってしまったのですが・・
仲間という感覚の「peer」を、
うちの職場にももっと広められるといいなと思います

以前ミーティングで、さびしい価値観しかもてない人を
決して責めることがなかった代わりに
悲しいため息をついていた彼女が
この研修に参加したことは、偶然とは思えません
Fちゃんのことを、ますます大好きになって
彼女に出逢えてよかったな~と、心から誇らしく嬉しく思います
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理念の太陽についての妄想

では、仮に・・

人間を、理念界(=霊界?)に育つ植物だとしてみよう

植物は、太陽に向かって伸びてゆく
その世界での太陽は何なのだろう?

私は、友人の着物の柄に意志を励まされたように思って
ネットで学習してみると
フォルメンは、人間の生きる意思を力づけるという面があるらしく
シュタイナーの思想全体が、そうだと言ってもいいようだった

しかしその意思とは、どこに向かう意思なのだろう?
意思には方向性が必要ではないか?

薔薇十字の修行によれば
生きるということが、動物性を超えて
血を薔薇の花として咲かせるには
植物のイメージを大切にするのだという

それなら・・その意思は、
太陽に向かうものだということはすぐに想像できる

つまり、太陽の光を養分として
植物のように成長する方向性での
生きる意思と言っていいのではないだろうか?

そこで、この場合の太陽は、何なのだろうと
考えるとすぐに思いつくのは
シュタイナーがよく言う
太陽霊のことで

太陽霊=キリスト=ロゴス=言葉

だったかな?

理念が、ロゴス、言葉という光となって降り注いでいる世界で
思考という葉緑素が、人間植物を育ててくれるのだろうか?

そして、血は動物性を滅却し、お花になれると?

少しつながってきたような・・





おばさんの妄想 memo

そうか・・

どうしてこんなに鈍いのかしら?


吉本さんは、

もっとたくさんのヒントを与えて下さったのではないだろうか


薔薇十字で表わされる花は

理念を叡智の光としてあびる植物としての人間が

赤い血を花として咲かせることをあらわしている・・?


霊界といっても、これは死者の国とは違って

イデア界とか理念界みたいなもの?

あ、でも死者もそこに帰るのかしら?


物質界はその全体が大地部分であって

魂は物質界に根を張りつつアストラル界へと芽を出し

光としての叡智をあびながら成長し

霊界に花を開かせる

・・としてみたら?


この方向性でさらにイメージ(妄想)をふくらませてみたい

迷信とか年中行事とか・・

考えてみる
例えばのはなし・・

魂があるとして
そして

季節とか、人生の、何かの節目には、
気持ちがガラッと変わらないと
魂はついていけない

それがまず始めに事実としてあって
すごく昔の人は
それを理屈抜きで全員が理解することが出きるような
感覚を持っていた

だからそうした節目に、魂に力を与えることが出きるような
行事を真剣に行っていた

しかし時を経て
みな便利さの中でその感覚を失っていき
それは迷信的な意味のないもの
という見方をされるようになった

としたら?

お墓に石を使うのはなぜなのか?
他のものでもいいでしょう?
お墓がなくてもいいし
たしかにたしかに!

でも、今の人には理解できない何かの
意味があるかもしれないと
想像してみるのも面白い

石は異世界への扉なのだとしたら?
ナルニアへの入り口はたんすの中だったけど・・

模様の力

今日は春の陽気でした

小さな草花を見つけると、とても嬉しい気持ちになります
これ年なのかしら?(最近こればっかり思っている・・)

その反対に、ほんの小さなことでバカみたいに悲しい気分になって
人に言ったとしても、だから何?なぐらいな・・
そんなこんなで体調まで崩して、鬱復活かな、やばいやばいと

それが昨日、友人がきものを着たから見てねとメールをくれました
その待ち合わせ場所に行くにもトボトボとなって

この際、一週間ぐらい休みを取って、
海の近くにでも一人で泊まってこようかなと
道すがら考えていたのです

ところが彼女ったら、着物姿がとてもかわいくて
一緒にカフェに行ってお茶を飲んだのだけど
彼女の全身に広がる着物の柄や、きちんと結った髪や
帯止めの器具からぶら下がっているお花の形の何かとか
見ながら、あーでもないこーでもないとお話していたら
何か悪いものが離れて行ったような

もしかしたらあの模様のせいかな
古代の遺物に渦巻き模様とかバッテンとか
おまじないのように模様が付いているのは魔よけだとか?

優しく繊細な友人と一緒にいて、
気持ちがほぐれただけでなく
着物や帯の模様の力が、
なぜか私の「意志」を励ましてくれた気がします

シュタイナー教育で使うフォルメン線描の意味は
意志を強めることなのではないかしら?
教育とか聞くと、
あまり好きではないと思ってしまって知らないのですが

にじみ絵が、境界線のない、
色と色の織り成すハーモ二を感じていくものだとしたら
フォルメンは、線の持つ力を感じるもので
それは意志を励ますものではないかなと
(全然違うかもしれません)

紺地に、淡い黄色の線で葉の模様が描かれた着物だった
紺は帰依する心、黄色は外に向かう魂の輝き・・だったかな

帰依の心の上に、魂の輝きで描かれる植物
そんなふうにあれたらどんなにいいだろう?









プロフィール

hasutama

Author:hasutama
神秘学徒hasutamaです・・なんてほんとうは、ただのおばさんです
シュタイナーの著作を読むこと、愛犬をかわいがること、音楽にかかわること、お庭仕事、友人とカフェでおしゃべりすることなどを楽しんでいます

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