認識のさんぽ道

ルドルフ・シュタイナーの著作を楽しみ、 認識の小道散策へ出掛けます
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年越し

一年の終わりに・・

振り返ってみると、今年ブログから得させていただいたものは
びっくりするほど大きいです

共感することもあったし、反感を持つこともありましたが
その両方から、見えてきたのは
自己中のようですが・・やっぱり自分自身だったと思います

そうして何かがはっきりすると
視点を、その前よりも深く広く持つことが出来る

なんだかアメーバみたいな・・意識の軟体動物?原始生物?
そいつをもっと成長させて、ちゃんとしたものに出来るかな?
人間の姿にしてあげられるか?

シュタイナー風に言うならば
私のアメーバみたいなアストラル体ちゃんを
よく見守ったりあやしたりしながら
しっかりとした霊人君へと成長させられるかしら?

こう書いてみるだけで、イメージは新たになり、変化していきます
それはただの空想ではなくて、実生活に現実の変化をもたらすものです
というより、その関係性の中でこそ
本来の現実を生きることが出来るのです

・・と、言い切ってみる

ところで

年を越す・・ある区切りを、静かに通り抜けることを
神聖な気持ちで、厳粛に行う意味は何だろう?

そもそも、時の、その区切りの仕切り板を立てて
数字を刻むことの意味は?

それはきっと、メトロノームのようなもので
宇宙のリズムを自覚して
その中で生きていることをちゃんと感じて

でもそれは、たとえば肉体の心臓のリズムも、
そこに参加しているのだろうけど
肉体を含めた、条件として外側からそう区切られるだけではなくて
自分の存在の、その内面、精神や、意識においても
その生成を、リズムを、宇宙に感じてみるとしたら
それはどういうことなのだろう?

その時、芽生える気持ちは・・
新しい年の円環運動に、その一員としての自覚、喜び、責任を持って
謙虚に、美しく参加できるといいな・・と

この時、外側から与えられるものとの違いは
強制されることではなくて、自分の気持ちから
能動的にそう思う・・ということで

このことには、大きな意味があるのかもしれない
この円環運動を、ただの機械的な円環としないものは
その円環の中心に、縦軸として、次元を付け加えるもの
神、信、心としての意識、霊を
自覚的に持つことなのではないだろうか?

古来、新年を迎えるにあたって、日本の人たちが感じてきた思いを
自分という個人の思いとして、ちゃんと重ね合わせることが出来るような気分
あ~~これって、歳なのかしら
そうではなく、神秘学修行のおかげということにしておきましょ

これ我ながら、なかなか良い年の締め方

この一年、ブログを通じて出会えた皆様に
神秘学修行、日々の生活ともに
たくさんの気づきやエネルギーをいただき
心からの感謝を申し上げます
来年も、ぜひ宜しくお願いいたします

皆様良いお年を~
  


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ハーンのおうち ♪

二月に、子供の高校受験に付き添って、熊本まで行く予定です

今回は、仕事や学校の合間に飛行機でサッと行って帰るだけで、つまらないな~
でも・・せっかくだし・・と、ホテルのある熊本市内に何があるのか調べてみたら・・
きゃ~、やばいです!
私の超尊敬するラフカディオ・ハーンの屋敷が、今も熊本市内にあるなんて!
やった~! 

そこで、一月中に、彼が熊本にいるときに書いた、
「東の国から 新しい日本における幻想と研究(上)」を読んで、
その当時彼が考えていたこと、感じていたことに触れ、
そして2月に行った時には、彼の足跡や思いを、たどってみることにしました
ははは!楽しそう~

この本は(下)を持っていて、面白くて何度も読み返しているのに
まぬけなことに、(上)があることを知りませんでした
でも、今それを知って読めるのも、すごく得した気分♪

さっそくamazonで取り寄せて、今日から読み始めたら
それだけでも、かなりな幸福度です
今日は、仕事の合間に、車の中で人を待たなくてはならないときに読んでいたら
くふふふ・・・と、すごく嬉しくなって、戻ってきた人に変に思われそうでした

いったい何がそんなに、自分にとってのつぼなのか???
それは不思議なので、そういう自分を、ちょっと冷静に客観視してみなくては・・

興味ない人にとっては、ほんとにどうでもいいことですね
は~ ほんとに楽しみで~す

冬来たりなば・・

 THE SONG OF THE SNOWDROP FAIRY

Deep sleeps the Winter,cold,wet,and,grey ;
Surely all the world is dead ; Spring is far away.
Wait ! the world shall waken ; it is not dead,
for lo,
The Fair Maids of February stand in the snow !



 「スノードロップ姫の詩」

深い 眠りの中で
冬は 冷たく ぬかるんで 灰色に沈む
まるで世界は 死に絶えてしまったかのよう
春は きっと もう来ない

待って! 
世界は 息を吹き返している 死んでなどいない
 だって 見てごらん
如月の かわいいスノードロップ姫が 雪の中に立っているよ!


                   (でたらめ訳 by hasutama)

snow drop

「自由の哲学」の一元論とは?②

シュタイナーは、「思考」を、たとえば目のような、感覚器官に近いある機能としてみているようだ
思考という、人間に備わった機関を通して観察する、そしてある事項に即した、概念・理念を見つけ出す

その時の、思考という目線は、勝手気ままな妄想の世界を見渡すのではなくて、「現実の系列に属する過程を辿っている(下記の原文より)」・・(うー・・この訳・・

概念・理念世界は、初めからちゃんと存在していて、本当は知覚される世界と一体になっているというのがあたりまえの現実なのに、人間はまだ、それをセットで見渡す感覚器官を持っていないので、知覚の不備を思考で補完するというやりかたで、初めて本来の現実の世界に触れることが出来るということらしい

一元論の主張は、思考は主観的でも客観的でもなく、現実の両側面を包括する原理なのだ、ということである。
思考を通して観察するとき、われわれは現実の系列に属する過程を辿っている。
経験そのものの内部における単なる知覚行為の一面性は思考を通して克服される。
われわれは知覚内容のための理念を見つけ出すことで、現実そのものの中に生きる

概念そのものは現実世界の一側面でしかない。
その側面は知覚には隠されている。
しかしそれが知覚内容に関係づけられると、現実的な意味が出てくる。
人間は現実世界の中に生きている。

この世界以外のところに、体験不可能な高次の現実を求める必要はない。
そういう確信を一元論はわれわれの中に呼び起こす。
そして絶対的な現実を経験以外のところにもとめようとするのをやめさせる。

一元論は経験内容そのものを現実であると認める。
そしてこの現実だけで満足する。
なぜなら思考がそのことを保証する能力をもっているのだから。


ここで言われている一元て、知覚される世界と、概念の世界が、別々のものではないという意味みたいですね
それが二元となるのは、人間の感覚器官の不備が原因だからで

だから超感覚的認識を持つとしたら、人間は高次の世界に生きるというよりも、より現実的な世界にたどり着くということで、霧が晴れてすっきりした景色が見えるとか、そんなイメージ?

高次の世界ではなく、この人生に、より現実的に関わる、そして完全に満足する
思考力がそれを保障する

あ~、シュタイナーてば、よくこんなめんどくさいこと言い始め、言い続けるるエネルギー保てたな・・
はからずも最後が、最近興味のある「運命愛」に近づいてきて、とても面白く思うし、
声楽の行き詰まりで気づいた、ちゃんと存在することの難しさも、ここに不思議とつながっていく気がして、
このシュタイナーの文のとおり、思考によって実際の自分の人生に、手ごたえや満足を感じ、それこそ一面的な現実から開放される気がするというか・・
(このことをどう声楽に生かせるのかは、まだ見えてこないけど)

これたぶん、まだつづく・・

丁寧に読む楽しさ♪

自由の哲学を持ち歩き、ちょっとした時間に少しずつ読んでいます

シュタイナーは自分の文体について、すぐに分かるような言い方ではなくて
かなり集中して思考しなければならないような言い方をしていると言っていたけど
この本もそうなのか、すっきりしない言い方が、怨念のように延々と続いてゆく・・ たいてい彼の本はそんなかんじだけど、これは特に、哲学的な言い方をしているのか、言葉そのものの意味わかるまでに、頭が右往左往するし、結論がどこにあるのかわからないし・・
前に、ヘーゲルだったかフィヒテだったかの哲学書を図書館で借りたときも
そうとうしつこい、ひとつのことを言うのに、いろんな角度から、あーでもないこーでもないとこねくり回すような言い方していたっけな
こういう言い方をするのが好きな人たちというものがいる・・そんな気が・・
それとも、翻訳のせい?

でも、よくよく、丁寧に見ていくと、どの言葉の中にも共通したその人の価値観というか、最も言おうとしていることが反映している その一貫性があるからこそ、言い回しがあっちこっち、いろんな観点から、たくさんの言葉で語られてもびくともしないのかもしれない そのびくともしないということを、ぐらぐらゆすってみたり、分解してみたり、くすぐってみたりしながら証明するしつこさ、ほらね?ほらね?って、それを楽しめるだけの、ある思考体系に対する愛のようなもの?それを感じると、変なの!でも、おもしろ~い!と思う(この私の言い方もしつこっ!

ひとつの言葉の言わんとするところを、いろいろなページをひっくりかえしながら、ゆっくりと見てみると、小さな疑問が少しずつ解けていって、そこから連鎖反応みたいに言葉の扉がパタパタと開かれていき、だんだんに言いたいことの大筋が、はっきりと浮かび上がってくるのは、ゆっくり取り組んで見れば楽しい作業かもしれない

でもそのあとで、それをまた人に言えるほどに理解するのは、ちゃんと自分のものにしていないとできないことで・・今日は面白さを感じたけれど、まだ全部がすっきりしたわけではなかった

とりあえず、シュタイナーが言いたいことの概略がつかめた気がしたが・・あいかわらずのすっとんきょうな暴言というか、ひどく謙虚にけんか売っている加減とでも言うか・・冗談みたいな壮大さで、個々の人間という存在を、ここまで面白く励ましてくれるなんて、ほんとに嬉しい 
不思議にへんてこりんな表現ながら、彼の真剣な愛を感じると思った


プロフィール

hasutama

Author:hasutama
神秘学徒hasutamaです・・なんてほんとうは、ただのおばさんです
シュタイナーの著作を読むこと、愛犬をかわいがること、音楽にかかわること、お庭仕事、友人とカフェでおしゃべりすることなどを楽しんでいます

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