認識のさんぽ道

ルドルフ・シュタイナーの著作を楽しみ、 認識の小道散策へ出掛けます
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海女さんになる、私の物語をみつける

あーもうすぐ年末です

最近見た夢で面白かったのは
海の表面に、左目がついていて
波間にただよいつつ、何か見ようとしているようだった
しかし、何か生気の感じられない目で

あの目つきは、生きながら死んでるみたいでこわかった
あれは、スーパーで売られている魚の目のようだった
まぶたなんか固まっていて、あんな濁った水晶体の中から
何かを見ようとするなんて・・

わー!って思いながら起きたら、
部屋の中を見ている目の中に、
まだ、その漂っている目がこっちを見ている映像がしっかり残っていた

いつも素敵なアイデアをくれる友人に
「それどういうことだろ?その目の体はどこにいっちゃったのかな?」と聞いてみたら
「体が海に溶け込んでしまったことは明白ね」
「そーか、体は海なのかな?人体も塩水だしね」

その後また別の友人が
私のおすすめの、シュタイナーの「メルヘン論」を読んでくれて
「どうだった?」と聞いてみたら
「意味不明で字面を読んだだけだった。ただ、印象に残ったのはね、
 最後の訳者のあとがきで、メルヘンという言葉は
ドイツ語では‘小さな海’という意味だと書いてあったことね」って

それで、自分の中に生まれたイメージは
やっぱり人間は海なのではないか?というもので
なぜ海の外に向かう目が、魚の死んだ目みたいだったのかと考えると
そんな、外を見てみたいのもわかるけど・・
だいたいが、自分の大きな海の体、どうするんだよ!
外に向かってしか目がついていなくて
自分の中は、でっかいのに全然見えないじゃない?ってこと

自分という海
そこから泡のように生まれてくる物語は、小さな海

なんか、かわいいでしょう?

海の中にもぐって
物語を見つけてみる

うーむ、我ながらなかなかいい線行っている
(ん?夢と友人の話をくっつけただけ?






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人を見ている自分を見てみる

書くことが思い浮かばない
でも何か書かないと
ブログ上存在しなくなってしまふ~

えーっと・・
ではちょっと気になることを、言葉にしてみよう

「想念や、観念には、実質意味が無いのか?」
 について

意味といっても、どんな意味なのか?
言葉上のことだけではなく
現実の、物質の世界で、効力があるのか?

例えば、私は信仰を持っていないのだが
聖書で有名な言葉で
誰かに憎しみを抱いたら
その人を石でぶっているのとおんなじ
というのがある(あってる?)

そのことをどのぐらい本当だと思うか?

これは、教訓的な意味で言って、人をおどかしているというより
実際にそうだとしたら、どうなのだろうか?

心で思うだけで
人のことを、石でたたくことが出来るのなら
すごいのではないだろうか?
手を下さずに人に危害を加える
それ、超能力でしょー!

だったら実際に人をなぐって
警察に捕まるなんてまぬけで
こっそりと憎んでおけばいいの

そーゆー能力が、想念にあると思うのは
ばかげた、おめでたい発想で
また怠惰でもあり
たとえば会社で
言ったとしたら、社会人として
常識を疑われてしまう

しかし
自称神秘学徒としては
そこのところ、ポイントで
現代に常識と思われている考えを
とらない立場で
(・・つまり想念で人がたたける的な)
その可能性のなかで
この現実を再認識してみることが
テーマとしてあるのだと思う

「いかにして、そんなにおめでたい考えを持つに至ったか」
ブログ内に、以前書いたこともあったっけ・・

そんな価値観で自分が存在していて
その感覚で、あれこれ感じている自分自身が
他の方の記事を読ませていただくことによって
逆にはっきり見えてくる気がする
でもそれ常識的にはアホでしょ?って・・
そんなこと最近感じていましたよ





ぶろぐろーぶ

あまりたくさんの方のブログを拝見すると
そして
それぞれに共感していると
自分がわけわからなくなってきます

そーそー、それ分かる気がする~
あ、それも分かる気がする・・
って、それとそれだと
言っていること反対な・・

いろいろな気分の方がいる

それでも
同じ地上でいっしょに
地軸を中心に回転している・・

不思議な気持ち

「そして船は行く」
この映画好きだった

ところで
ブログってグローブの反対言葉?
違いますよね

今日はとても嬉しいことがあった

最初に動き出すときの力って
もう動き出していて、惰性で動いているときに比べて
大きな力が要るに違いない
だから最初の一ミリは、一番自分を褒めていいと思う
彼が誰の助けも借りずに、自分でそれを行ったから
「私はほんとに尊敬する!」と言った
それ、ほんとーにすごいことなのだから
もっと大騒ぎして、お祝いパーティーしても当然なのに
暗い電球の下で、寒い玄関先で
そんなこと言っているの、もどかしいぐらい・・
でも実は、内心もう駄目なのかと思って
信じる気持ちがゆらぎ
そのことを考えると
人生全体にグレーのカーテンがかかってしまうような気分だった
それなのに、わざわざそのことを言いに来てくれて
申し訳ない気持ち・・
あ、でも別にそれを言いにきたわけではなくて
「こち亀の登場人物の座右の銘が‘幸福は金で買える’なんですが、どう思いますか?」
・・って、聞きに来たんだった
「ん~、それ言えてるかも・・
 お金がないとトイレットペーパーさえ買えないしな~
 でも・・、幸運はお金で買えないよね!」
「そうですね!」
 ・・・??
 まさか、自分、「お金がなくても幸運があるさ!」とでも?
自分の考えていることに、こんなとき「え?」って思う
しかし・・そーだ!
幸福になるのに、何かの保障を求めること自体どうなのよ?
ダイレクトに幸福を求めて何がいけないのだろうか?
求めよ、さらば与えられん、って言うじゃない?
(↑徹頭徹尾天然な人のひとり言・・)
とにかく・・
そんなわけで、今日はすごく嬉しい日だった

ブログありがとう♪

ブログを通じていろいろな方に出会うことが出来て
その方の、今この時の思いを感じたり
わたしのこんなブログでも
来て下さったり、話しかけていただいたりするのは
ほんとに不思議な、一瞬一瞬が思いがけない発見です
一人一人の方の心がダイレクトにそこにあることを
その脈拍のようなものをすごく感じて
いっしょに同じときを生きているんだーと
勇気がわいてきて、楽しく心強く思います
それがもし、私と違う考え、フィーリングであったとしても
というより、そのほうがより発見は大きく
自分を見つめなおしてみたりできるので面白く思います
あまり、ものすごく凝り固まっている人だったりすると
ぎゃ~ってなって、こわく思いますが・・
でも、私のシュタイナー研究にしたって
ぎゃ~!で思う人は絶対いるはずで
そのへんのふり幅を広く取れば
ほんとにブログは面白いし楽しいし
何より、ありがとー!て言いたいです
いつもブログ管理画面にほりえもんさんがうつるたび
あ~もうfc2いや!って思ってしまうのですが
でもきっとfc2の人もいろいろあって
仕方が無いのかもしれません
なんとなく・・心の中に思いがあるのに
それって、まるで海に向かって走っていって「あ~~っ!」て叫ぶ
そんな感じの、尾崎豊さん的な何か・・!?
どうすればいいのかわからないので
ただただ、だらだら書いてみました
おわり

プロフィール

hasutama

Author:hasutama
神秘学徒hasutamaです・・なんてほんとうは、ただのおばさんです
シュタイナーの著作を読むこと、愛犬をかわいがること、音楽にかかわること、お庭仕事、友人とカフェでおしゃべりすることなどを楽しんでいます

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