認識のさんぽ道

ルドルフ・シュタイナーの著作を楽しみ、 認識の小道散策へ出掛けます
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草のこと

庭の草が元気に生えて
ご近所の手前放置できないほどになると
あわてて草取りする

でも雑草と思っていたような草も
名前を調べてみると
薬効があったりして
知れば知るほど面白い
様々な葉の形
そしてそれぞれの成分が人間に役立つなんて

このごろ、朝は庭のハーブをちょっと摘んで
タイムとミントとローズマリーとどくだみのお茶にして
犬には冷えてから水に薄めて
私はホットでミルクを入れて飲んでみている
不思議な味だけどはまってきた
心なしか犬も皮膚の調子がいいみたい
ゴールデンリトリバーは皮膚のトラブルが多いので
とても気を使うしお金もかかる
そもそもハーブに興味を持ったのも
犬のシャンプーに入っていたティートリーの香りがとても素敵で
しかも殺菌力にすぐれていることに驚いたからだ

シュタイナーも植物の成分のこととか
含まれる鉱物と宇宙とのかかわりや
それが人間に及ぼす作用について
何か言っていたな

庭の草の中に宇宙の作用を感じるなんて
そしてそれをお茶にして飲んだり
薬として役立てることが出来るなんて
なんて楽しいのでしょう?
宇宙への感謝・・などともし言うとしたら
漠然としたものというより
身近な具体的なことの中に見つけられるということが
ほんとに有難く嬉しく面白いと思う

草に含まれる成分とか化学的なことにも
もっと興味を持って
シュタイナーの言っていた珪素とかなんとかのこと(・・?)
ちゃんとわかるようになりたいと思います








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たまゆら

たぶん受身で、まわりに期待しすぎなせいなのだと思うけど
いろいろな、ほんのちょっとしたことに、しょっちゅうがっかりしている
あ、でも前みたいに「ふざけんな!」とは思わなくなって、少しは大人になった
そういう時は冷静に、自分で自分の人生に責任を持たなくてはと、神秘学徒する
世界が自分なら、内も外もないと仮定するなら
すべて自分なのかもしれないので
とりあえず、自分に向かってくる分の自分ぐらいには
目を向けてみなくてはということで

でも、心から楽しいと思えることもはっきりしてきた
それも、がっかりすることと同じぐらい、ほんとにちょっとしたことだ
人に説明してもわかってもらえないような
どうでもいいようなこと
でもその瞬間、心の中でククッと嬉しさが沸いてきて
世界がボワーンとなって、構成が変わる感じがする
その時には、何のスイッチが入るのだろう?
これは、たとえばピーターラビットに出てくるハリネズミおばさんの
針がいっぱいドレスから突き出している後姿を見たときの気持ちに似ていると思う
ふと気がついて、それから「そうそう!」と思う

だからだったのかな
何かたいそうなことがないと、充実しないというのは
私の今嬉しく思っていることとは違うので
そういう話を聞くと
なんとなく違和感感じて、でもどうしてなのかわからなかった

フランスの詩は、あまり読んだことがないけど
急に思い出して「月下の一群」という
大正14年刊行の、堀口大学の訳詩集を本棚から引っ張り出してみた

これこれ・・思い出したのは
ポール・ヴァレリーという人の詩です
前はぴんと来なかったが、今はわかる気がする

はじめのところだけ引用してみる
これフランス語で口に出来たらどんなに気持ちいいでしょう
でも、一昔前の日本語も決然としていてかっこいいです

 風神

人は見ね 人こそ知らね
ありなしの
われは匂ひぞ
風のもて来し

人は見ね 人こそ知らね
偶然かはたは鬼神か
来しと見しそのたまゆらに
業ははつる

・・・








時は本当に失われたのだろうか?

今日は用があって、田舎道を2時間ぐらい車で飛ばしました

とてもよく知っている道で、信号もあまりないので
運転していると、まるで自動人形のようになってくる
周りは、遠くまで見渡せる畑や田園風景で、その広がりの中で
体は運転していても、意識は色々なところへ飛んでいく

最近ストロベリーティーにはまっているけど
なかなか満足のいくストロベリーティーに出会えない
そうだ、もしも私が阿蘇に行って、紅茶にピッタリのお茶用イチゴを栽培するとして・・
それとも、自分であれこれ変てこなものを手作りして
インターネットで売ってみるのはどうかしら
昨日リサイクル店で見た若草色の着物を、薄く透けるような素材と組み合わせて
ティーポット用の座布団やカバーを作ってみるとか
等々等々・・
とりとめなく色々なことが浮かんでは消え、しているうちに
なぜか急に、子供のころ母が作ってくれた洋服についていた
ボタンのことが思い出された
ずーっと忘れていたけど
あのボタンは、スケルトンのプラスチックで、いちご色だった
その服の布地には、それこそいちごの種みたいに、赤い糸の粒々がついていた
そのほかにも、作ってくれた服があったっけ
たしか、フェルトみたいな生地の真っ赤なつりスカートには
黒地のチロリアンテープがついていた
白地に小さなグレーの水玉がついたワンピースには
胸のところに刺繍糸でピンタックがしてあって
ちょうちん袖だった・・
事細かに思い出して
ひとりで、そーだそーだと確認し続けた

すごくリアルに記憶がよみがえって
けっこうなスピードで走っているのに
目の前に、その服たちがあって、まるで手に取れるように感じられて驚いた

こういうこと思い出すのは、歳のせいかな・・
歳をとると、昔のことのほうが生き生きと感じられるのかもしれない?
このイメージは、いったいどこにしまってあったのだろう?
あの服たちは、もう無いけど
記憶の中には存在していると言えるのだろうか?

そういえば、最近母は、自分の子供のころの話をして涙ぐむことがある
今まで聞いたことがなかった思い出話を、急にしてみたり

季節がら、なんとなく気持ちは内面に向かいがちだし
それに、子供たち(母にとっては孫)が成長して
人生の節目と言うか、変わり目でもあるのかな
「今」を満たしたい気持ちで、「過去」から何かを流し込もうとするのか?
まるで「失われた時を求めて」みたい・・(ちょっと読んで、積読のままだけど)

もっと、みんなの昔話を聞いてみようかな?
母や夫や友人や自分の「失われた時」が、実は
「青い鳥」の「思い出の国」みたいに、どこかに存在しているような気がする
そして現在にも、実はいつも流れ込んできて、
影響を与えていると考えてみるのはどうだろう?

シュタイナーによれば
記憶の国と、死者の国や天使たちの国は
隣接しているようでもあるので
記憶の国の実在を確認してみることは
神秘学修行にもなるかもしれない
それに、記憶を共有することは
一緒に生きていることの確認と言うか
すごく必要なことなのではないかと思われる
それは神秘学的には、どういう意味があるのかとか
残り少ない今年の、テーマにしてみようかな












おひさしぶりです

やっと、パソコンが届きました

はじめはとても戸惑ったものの

少しずつパソコンのない生活になじみつつあったので

変な感じです

案外、その間充実した生活ができていました

いっぱい本が読めたし

家が片付いた

ハーブの知識も増え

コスモス畑でお花摘みもできた

お料理も、作ったことないものにチャレンジしたし

いったい自分はブログでは何しようとしているのだろ?

みんなはどうなのだろう?

そんなこと思ってみたり

でもとにかく

また新しい気分で

のんびり書いてみよう

でも生活の楽しさも

もっと充実させていこう

そう思っていまーす










ちょっとおやすみします

ぱそこんがこわれてしまいました
しばらくおやすみします
プロフィール

hasutama

Author:hasutama
神秘学徒hasutamaです・・なんてほんとうは、ただのおばさんです
シュタイナーの著作を読むこと、愛犬をかわいがること、音楽にかかわること、お庭仕事、友人とカフェでおしゃべりすることなどを楽しんでいます

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