認識のさんぽ道

ルドルフ・シュタイナーの著作を楽しみ、 認識の小道散策へ出掛けます
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霊界の入り口はどこ?

(注)以下、すべて空想レベルの話

思考は、一般的には一人の人間の頭の中だけで行われていると思われています
ですが、もし、霊というものが「ある働き」だと仮定するなら
それは、一般的に思われているところの「ある概念」と、一致する

概念は、現実世界に物質的な体を持っているわけではないけれど
ある概念から、いろいろなものが物質として存在する潜在性を持っています

概念というのは、霊なのではないか?私はそう感じています
霊の中でも、言い方は雑ですが高次な概念であれば、天使とか、神だったりする
それがもし感情であれば、たとえば動物とか,植物とか・・?

これは概念が先にあったので、それに対応するものがあるのであって
先に動物がいたわけではない・・みたいなもので
ある思考存在がいるから、ある概念が人間に浮かぶ・・とか
(思考存在くん、これ考えると不思議で楽しいです・・)

だから、言葉は、存在を概念化するものなので、霊の働きであるといえる
思考というのは言葉によって概念の世界に分け入ることなので
そのことですでに、ある程度霊的な世界に意識を持って分け入っていると言えるように思います

自分が、どんな言葉を使い、どんな概念に結びつくかというのは
どのような霊的存在と一体になるのかということでもある

私というものが無いなら、思考することは出来ないので、
霊の世界にそもそも入れないのではないでしょうか

あっと、そうではなくて・・人はどんなときも霊の世界の中に住んでいるのですが
自覚が無いときには、闇雲にいろいろな概念を抱き、いろいろな好んでもいない霊とつながってしまう

でも、そこに光を照らし、自分の心の中をのぞけば、おのずと自己チェック入りますので
なんでこいつがいるんだ!と、変な奴は追い出せるという・・

そして、もし思考そのものが霊的な世界への一歩だと知り
それから、霊的な世界の実在、またそこでの存在に出会ったなら
おのずと、自分というものも、変化せざるをえないのではないかと思います

その可能性に気がつかないうちは、
言葉が、いかに人間を導いてくれる働きを持つ「ある存在」であるかということも信頼できないですが、
いったん、少しでも気がつくと、どうしたって、すごいな~有難いな~ということになりそうです

そんなわけでシュタイナーは思考を重視するのではないかと思っています
自分なりな解釈・・というか、経験??と言えるのかどうかわかりませんが・・


ほんと、変な想像で・・何か、このイメージが、意味のあるものならいいのですが・・
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言葉の世界=霊の世界?

ヘッセと詩霊のこと考えていたら、彼の詩を思い出した


  言 葉  
       
詩人がこちら側に 公衆も住んでいる
なじみの日常生活の側にとどまっているときには
すべての言葉の貧困が際限なく彼を苦しめる

そして詩人として生きることは
彼にとって茨の人生のように思われる

しかし彼があちら側に
魂の国にいると 言葉がいたるところから
次々と魔法のように彼の心に流れ込み
星辰は鳴り響き 山々は微笑む
そして世界は完全なもので
どんな言葉も文字も不自由することがなく
すべてを表現することができ
すべてが鳴り響き
一切が開放される神の言語そのものなのである



詩人でなくても、もし言葉を愛する人なら
このことは実感できるのではないだろうか

シュタイナーは、この前半と後半の二つの世界を隔てている壁の
不思議な秘密を解く鍵を持っていて
冷静に、自由に行き来することの出来る人で
後半の世界の奥深くまで自由に分け入っていくこと
後半の世界を、前半の世界に流れ込ませ美しくすること
等々を延々と語って
みんなにも、その壁を通り抜ける方法を教えてくれようとする

それは、今までは特殊な人にしか出来ないと思われてきたことで
時には、精神の異常をきたしたりする代償を伴いながら
天才による芸術という形でしか、なされていなかったのではないだろうか
また、枠付けされた方法としては宗教という道もある

しかしシュタイナーは「自我」を無くすのではなく
思考を通じて研ぎ澄まされたものにすることで
それを伴って冷静に
あちら側の世界に行けるのだと教えてくれる

・・合っているのだろうか?
今の自分の不完全な理解で持っている印象はこんな感じです

※ 題に書いた「言葉」は、「はじめにあった言葉」、本質的な言葉・・みたいな意味で書いてみました



だらだら自分のこと考えてみる

今はいろいろなツールがあって便利だ
個人がいろいろなことを発言できる
昨日はTwitterで、シュタイナーのことを語り合っていらっしゃるところを拝見してみた
シュタイナーに興味がある方の、いくつかの傾向がある気がする

自分的には、そーだなー・・
自分とシュタイナーについて
なぜシュタイナーに興味があるかについて
考えてみようかと思う

私は、将来はヘッセになりたいと思うぐらい、ヘッセが大好きだった
いや、正しくは、ヘッセになりたいのではなく「クヌルプ」になりたかった

詩人の心で把握できる世界は、通常の生活の世界とは少し違うところにあり
正確に言えば、通常の世界と同じでありながら、意味構造が違う・・みたいな?
どうも通常の世界の意味構造(勝手な造語)に居心地の悪さ、不満を感じていた私は
その詩人的な世界に住みたいと、とても強く憧れていたので
ヘッセがその片鱗を見せてくれるにもかかわらず
「片鱗しか」見せてくれないことに
ひどく落胆してしまうほどで・・

そのがっかり感は半端ではなかったので
いつも、ディキンソンさんが言っているような
「あちら側の世界」(多分この世界でもあるが・・)を、知り、
そこに住みたいという気持ちが
もともとの衝動としてあるのだろうと思う

でも、これってヘッセの思いでもある気がするので
ヘッセの思いを引き継いだということかな・・??(あつかましくも・・)
でもきっと、誰にでもそういう気持ちはあるのではないかと思います
だからヘッセや、ディキンソンさんが認められているのだし
世の中にたくさんの宗教があり、スピリチュアルブームがある

でもってシュタイナーは、私のその夢に手助けしてくれる最強なおじ様で
すごく頼れる彼だから、大好きなわけです

高橋巌さんが言ってくださっているように
ドイツロマン派の流れの中にシュタイナーをとらえることは
私はすごく納得がいき
そこにゲーテ的な視点を加えて
それを現実的なものとして捉える手ごたえを感じることが出来るなら
そこで見えてくるものは「神秘」というよりは
自分が存在している「現実」となるはずで

だから自分を、神秘学徒と言うのはほんとはおかしい
しかし、そういうことにしておけば
変なことを言っても聞き流してもらえそうだし
ある分類の中にしまわれて、おさまりがいいほうが
みんなも安心してくれるというものでしょう

とにかく・・
シュタイナーのような方が居てくれることは
自分の強い衝動が、あるいは絶望があったことを思うと
ほんと当然というか・・彼がいないなんてあり得ないことで
空気のように、水のように、
シュタイナーは生存に必要な成分のような何かとして
生活のすみずみにまで広がって、常にいてくれるような
何か・・橋渡し的な人として

自分が何をしているのか、何をしようとしているのか
はっきり言葉にしてみたことがないのもおかしいな・・
もし、なんとか一言で言おうとしてみるなら・・
詩のスピリッツ=「詩霊」を持った人間になろうとすること?かな?
もっと大胆に言えば「言葉の霊」=神様
ということなのいかもしれないが
私としては
「詩霊」が一番フィットする言葉です

そこの違いは少し考えてみると面白そうです
多分一神教的な考えというより
いろいろなものの霊を想定しているということか・・

自分でも自分の考えていることは把握するの大変です
とりあえず、今思いついたことをだらだらと書いてみました
また違う考えも浮かびそう・・
センサーを向けてみることがなければ、真っ暗闇のまま・・
一番わからないのは、自分のことかもしれないですね









Schubert 「Die Forelle」 練習用

夏休みだった声楽がまた始まります
ありがたいことですが、焦ります
ずっとさぼっていました

あ~、ほんと言い訳なのですが
どこかで、なんとなーく抵抗があるのは・・
どうしてあんなに声を、
張り切って、いっぱいださなくちゃいけないの?と思っていて
苦しいのか、楽しいのか・・どっちかと言えば苦しい・・

そういう、声楽のスタイルそのものが
ぼーーーーっと、常に漂っているような意識の自分には
やっぱ向いていないのかと思うこともあります
でも・・
あんまり考えてしまうと、何も出来なくなってしまいますよね
とにかく今は、あまり頑張っているのより、
リラックスしているほうが聴いていて、い~感じ・・と思う

ですが、先生がおっしゃるには
どーーっこにも力入れなくていいのよ!
リラーーーーツクス!
とのことで・・
(先生、リラックスに力入ってますよ

とにかく、今そんなことが気になっていたので
このYOU TUBEの彼の歌に、とても好感が持てました

肩肘張らないのに、ちゃんと張りのある声・・
とてもソフトに歌っています(家で歌っているから?)
でも主張すべきところでは、ちゃんと男らしくカッコ良くなる
優しくて頼れるお兄さんみたい!

ということで
彼の歌で練習させていただくことにしました



《以下、練習用の歌詞、読みと訳のセット》
In einem Bächlein helle, イン・アイネム・ベヒライン・ヘレ
Da schoß in froher Eil  ダー・ショース・イン・フローアー・アイル
Die launische Forelle  ディー・ラウニッシェ・フォレレ
Vorüber wie ein Pfeil.  フォアリューバー・ヴィー・アイン・プファイル

Ich stand an dem Gestade  イッヒ・シュタント・アン・デム・ゲシュターデ
Und sah in süßer Ruh ウント・ザー・イン・ジューサー・ルー
Des muntern Fischleins Bade デス・ムンターン・フィッシュラインス・バーデ
Im klaren Bächlein zu. イム・クラーレン・ベヒライン・ツー
Des muntern Fischleins Bade デス・ムンターン・フィッシュラインス・バーデ
Im klaren Bächlein zu. イム・クラーレン・ベヒライン・ツー 

Ein Fischer mit der Ruthe  アイン・フィッシャー・ミット・デア・ルーテ
Wohl an dem Ufer stand,  ヴォール・アン・デム・ウーファー・シュタント
Und sah's mit kaltem Blute,  ウント・ザース・ミット・カルテム・ブルーテ
Wie sich das Fischlein wand.  ヴィー・ズィッヒ・ダス・フィッシュライン・ヴァント

So lang dem Wasser Helle,  ゾー・ラング・デム・ヴァッサー・ヘレ
So dacht' ich, nicht gebricht, ゾー・ダハト・イッヒ・ニヒト・ゲブリヒト
So fängt er die Forelle ゾー・フェングト・エア・ディー・フォレレ
Mit seiner Angel nicht.  ミット・ザイナー・アンゲル・ニヒト
So fängt er die Forelle  ゾー・フェングト・エア・ディー・フォレレ 
Mit seiner Angel nicht.  ミット・ザイナー・アンゲル・ニヒト

Doch endlich ward dem Diebe  ドッホ・エントリッヒ・ヴァート・デム・ディーベ
Die Zeit zu lang. Er macht  ディー・ツァイト・ツー・ラング・エア・マハト
Das Bächlein tückisch trübe, ダス・ベヒライン・テュッキッシュ・トリューベ
Und eh' ich es gedacht,  ウント・エー・イッヒ・エス・ゲダハト

So zuckte seine Ruthe,  ゾー・ツクテ・ザイネ・ルーテ
Das Fischlein, das Fischlein zappelt d'ran, ダス・フィッシュライン・ダス・フィッシュライン・
ツァッペルト・ドラン
Und ich mit regem Blute  ウント・イッヒ・ミット・レーゲム・ブルーテ
Sah die Betrog'ne an.  ザー・ディー・ベトローグネ・アン
Und ich mit regem Blute  ウント・イッヒ・ミット・レーゲム・ブルーテ
Sah die Betrog'ne an.  ザー・ディー・ベトローグネ・アン



                Die Forelle 鱒

In einem Bachlein helle ,         澄んだ小川に
Da schos in froher Eil          気まぐれな鱒がうれしげに
Die launische Forelle           矢のように
Voruber wie ein Pfeil .          かすめ過ぎて行った。.
Ich stand an dem Gestade        私は岸辺に立って、
Und sah in suser Ruh          快く、静けさにひたりながら
Des muntern Fischlein Bade      澄み切った小川に
Im klaren Bachlein zu .          この元気な魚が泳ぎゆくのを眺めた。

Ein Fischer mit der Rute        ひとりの漁師が釣竿をかついで、
Wohl an dem Ufer stand ,        岸に立った。
Und sah's mit kaltem Blute ,       そしておちつきはらって
Wie sich das Fischlein wand .      その魚がうねり泳ぐ様子を見つめた。
So lang' dem Wasser Helle ,      水が澄んでいるかぎり、
So dacht ich , nicht gebricht ,     漁師の釣針に
So fangt er die Forelle          鱒はかかるまい、
Mit seiner Angel nicht .          と私は思った。

Doch endlich ward dem Diebe      けれども遂に盗人は
Die Zeit zu lang . Er macht      もどかしくなり、
Das Bachlein tuckisch trube      悪賢くも小川をかきまわし濁らせた。
Und eh ich es gedacht ,         と思う間もなく、
So zuckte seine Rute ,          その釣竿がぴくりと動いて、
Das Fischlein zappelt' dran ,      魚は釣り上げられてはねまわった。
Und ich mit regem Blute         不憫さに心痛めつつ
Sah die Betrogne an .           欺かれて釣られた鱒を私は見ていた。

シューベルト歌曲集(1)中声用(全音楽譜出版社発行第1版第88刷)より

すみれの霊

友人がつらい思いをしているとして
でも、どうしてあげらるのかわからないとき
   
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               結局、自分などには何もしてあげられないのに
               心配な気持ちだけが積み重なって

                  TS3O0182.jpg

では、何を自分はしたいのか?と考えてみたら
「私は・・すみれの花束を贈りたい」と、思いついた

    TS3O0184.jpg

                 
               でもそんなの、独りよがりな思いつきでしかなく
               あの方にとっては、うっとうしいだけに違いない

                  TS3O0188.jpg


それに第一、今すみれなどどこにも咲いていないし
もし咲いていたとしても、私はそうする勇気など無いのだ

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午後母が来て、探し物をしながら偶然あけた古い箱の中から
ずっと忘れていた、たくさんのグリーティングカードが出てきた
アメリカのアンティークカードで、実際に贈られたことのあるものだ
友人が、母国に帰るときにくれたものだが、ゆっくり見たことが無かった
これ・・すみれじゃない?(すみれじゃないのもある)
上に書いたような妄想を、繰り広げていた最中だったので
偶然に驚いてしまった・・

TS3O0190.jpg

贈り主の、小さな花や鳥たちに託した気持ちは
どんなものだったのだろう?
友人や、家族を遠くから思う心は・・
紫色の中にはそのせつなさまでが、込められているような気がする

そうだ、もしかしたら・・
そうした感情が、白い鳥や、すみれを、創造したのではないだろうか?
花々や、鳥たちに心寄せるとき
人はその感情と、無意識に結びついているのだと思う

だから、これは偶然でありながら偶然ではなく
遠くから人を思う気持ちは、すみれ色の小花として
普遍的なものとなった

たまたまそこに自分の気持ちがアクセスしたので
花のほうからも私に、近づいてきてくれたのだ
(・・そう思っていれば幸せ)
白い鳥は昔から、人の魂を運ぶものとして表現されている

どうか・・
白い鳥があの方に
気持ちのすみれをとどけてくれますように ◎×▽■・・(←呪文)



プロフィール

hasutama

Author:hasutama
神秘学徒hasutamaです・・なんてほんとうは、ただのおばさんです
シュタイナーの著作を読むこと、愛犬をかわいがること、音楽にかかわること、お庭仕事、友人とカフェでおしゃべりすることなどを楽しんでいます

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