認識のさんぽ道

ルドルフ・シュタイナーの著作を楽しみ、 認識の小道散策へ出掛けます
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乳離れしない私・・宇宙ママに甘えてみるの巻

三女が幼かったとき、びっくりした質問があった

それは
「ママはどうして、○ちゃんが大好きなの?」(○ちゃんは自分のこと)
「え~っ!・・それはね~、○ちゃんが、かわいいからですよ~」

なんたる・・羨ましいほどの自信!

なんとなくそれを、今日は本当に久々に時間があいて
ぼんやりとお風呂に入ったら思い出した

だったらね、私も言ってみよう
「宇宙ママはどうして、私のことが大好きなの?」

はは!
だって、わからないのです
なぜなのかが

やっぱり育てるときには、未熟さも含めてかわいいと思ってくれているのかしら?
なんでもかんでも、喜びそうなもの与えてみて
抱っこしてみたり、チュッとしてみたりして

どこかでそれを、うざく思う年頃も来ます
なんで、こんなところに産んだんだ!頼んだわけでもないのに・・とか
それからまた、ありがたみがわかって
自分もたまにはなにか、やってあげられることはあるかしら?
そう言いつつも、やっぱり全然甘えっぱなし

でもママってものは、子供のやることなすことかわいくて
いつも子供を見ているだけで、すごく満足できるから
何とか自分も子供のやろうとすることに関わりたくて
あれこれ手伝いたくなってしまいます

せめてありがとうと言うことが出来るだけ
ほんの時々・・

なにしろ宇宙ママは子供がいる限り
ずーっとずっとママでいたいと思っているのですからね

子供はそのことを、ちゃ~んと知っていて
甘えられるだけ甘えてやろう!

そう思ってしまうのですよ

・・・・!?



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宇宙的自分の排出物としての外界・・キリストと蛇女のことなど

《イメージのメモ》

ある問題性に気付き、自分からそれを「排出」することで
自分にはその「問題」が無くなり
自分の「地位」は上がる

でも他のものの中ではまだその問題は排出されておらず
その問題とともに、あるいは問題そのものとして
生きていたりする

すると自分は、以前自分の一部であったその「問題」を
その存在とともに蔑んで
そこに「固定」しておく

そして自分は、また新たな「問題」に取り組み
さらに自分を「上昇」させようとする

「問題」は、排出され固定化されることによって
私の生存の、上昇の、踏み台となる

まるでそれは大地で
あるいは下等なものとしてあり続け

私はその上に立ち、そこから滋養さえ得て
利用しながら自分を生存させ

そして、もっと高みへと
ついには重力から解き放たれるのだと
その、問題性としての下部構造を、完全に捨て去り飛び立つことを
望んでいる、望み続けてきた・・としてみて

それを今の一生だけでなく、宇宙的な時間で行ってきたとして

そうすると、この自分をとりまく環境は
自分の排出してきた問題性そのものなのではないか?
自分の「過去」が、「環境」としてあるとか?

神秘学徒の心得 その2・・「自分は世界の一部であると感じること」
とあるけど、これでは、「世界が自分の一部だったと感じる」
・・になってしまう
やっぱそこが、「黒い道」的な自分ということで

「白い道」を選ぶというのは、優れた善人としてではなく
あらゆるものを利用してきた者としての責務から
その自覚があるなら当然な行動とも思える

キリストは、もしもあんな目にあわなかったら
何になっていたのだろう?
その可能性は、あったのだろうか?
なぜ彼は、パンやワインが自分の体や血だと言うのだろう?
シュタイナーが、キリストは地球霊と言ったことも含めて・・

それから・・蛇女は空から火を吹いたりしないで
Tシャツとジーンズ姿でうちに相談しに来てくれたこと

これらのイメージを、発酵させてみたらどうなるか?







夢の庭で・・過去の救済?

昨夜、大好きな友人がウォーキングに誘ってくれました

でも私は栗系の花の花粉症な為、今は一番お外がやばいです

だから車で10分ほどの、ショッピングモールでウォーキングすることにしました

ウォーキングと言っても、目的はおしゃべりで

会って話して・・思いを放って・・お互いのイメージの中で遊ばせて
これが本当に楽しいです

彼女はとても頭がやわらかく言葉のセンスがずば抜けている方で
次々と面白い、自由なイメージが湧いてくるので
まるで空で、様々な色のオーロラの中を遊泳しているみたいな、
重力関係なし!・・て感じで
あららこんなところまで来てしまったの?(空想が)となって
笑って
しかし不思議と、そのイメージの遊びの中で
現実の問題に対して新しい視点を、お互いが獲得し
それからおうちへ帰った

その空想の中で気になるポイントがあって

彼女が気になっていることの、その現象が激しいときとそうでもない時
それは、彼女自身のその問題に対するスタンスそのものによって変化している気がする
・・というものだった

彼女自身がその問題に少々飽きて、小休止しようとすると
その問題の現象自体も、やけに陽気な様相を呈し
まるでこちらの気持ちをなごませようとするかのような、パフォーマンス性をさえ発揮する
しかし、いつもの彼女にもどると、相変わらずの問題性を帯びてくる・・

それって、物理の世界で最小の原子みたいなものを見るときに
観察者の気持ちが反映してしまう・・と何かで聞いたことがあるのに似ている

で、思いつたのは、もしその原理を当てはめるのなら
いろいろなことが、あたた!なのである

一体自分は、どれだけのものに問題性を押し付けているのだろ??
それは相当な膨大なものになりそうで
考えてみるのも嫌なぐらいだった

それが、あの、前に空中から私を襲った負の感情の集積場のイメージともダブって
それはイメージとしてあるだけでなく、生きているものたちに
酷いときにはその生の形態にまでも刻印されて
そのものたちが、そこに閉じ込められているような気がしてきて
それが自分のせいなような
それではいけないに決まっているという気がしてきた
ぎゃ~ん、ごめんなさいである

今朝になって、やっと気を取り戻して
「過去」に自分が「悪」の刻印を押し付けて捨て去ったものたちの
その現在の生命を、どうしたら自分の責任として
その呪縛から解き放つことが出来るのだろう??
と考え始め、こんなこと考えた人はいないのかとネット調査したところ
ベンヤミンさんの「過去の救済」というのが出てきて
これは!ずっとまえに大江健三郎さんの講演の記事で読んだことがある

「夢の庭」において、その救済が可能だということなのだろうか?

具体的に、全然わからないでここまで書いてきて・・
かなり自分の頭の限界超えていますので

いったん休んで・・
この言葉たちの、「自発的な展開」を楽しみに待ってみましょ♪

霊団の代表の私

朝っぱらから、とんでもなくあやしいお話↓

前に読んだシュタイナーの本に出ていた話で、面白かったのは
宇宙霊団の会談・・というものだった

たしか・・

考えの違う哲学者同士が、ある場所で対談、論争したとしても
それは、はたから見れば、ただの、観念上のこと、遊びのようなものに過ぎないではないかと
そう思われるかもしれません
しかしそうではありません、
それは、その考えを後押しする、宇宙的な霊団同士の会談であると言うことが出来るのです

んにゃ?と思ったけど
それ面白い!

概念が生き物であるとしたら?
アストラル界にそいつらは生息している

私がこう思った
そう思っているが実質は
その概念的生物の息吹を、私が受け入れたので
そのときからは私は
そのアストラル的生物の一部として、存在することになる・・みたいな?

それともそいつらは、アストラル的な存在であるだけでは
何かが足りなくて、常に人間を必要としているとか?

きのう思ったのは、こういうことと死者とのつながりについてで
例えば、死者が消え去らず存在しているとしての話
それは肉体ではないことは確かなので
それならばその死者の実質は
概念とか、感じたこととか、印象のまとまりみたいなものだと思われるから

私が地上で肉体を持って生きているときに
死者と交流するとすれば、概念や印象・・イメージを通じてではないかと想像できる

つまり何らかの概念、着想、イメージとうのは、死者そのものだったりする?

このイメージで遊ぶときには、どのような死者が集まってきてくれるのだろう?

私には霊団がついているの!
なんと心強く、なんと常軌を逸してしまっているのだろう!?

この発想の元で、自分の個人的な生活における
人との出会い、価値観の相違をとらえてみると、どうだろう?
それだって、宇宙的霊団の対決なのではないだろうか?

代表者としての自覚、責任、誇り・・を持たなくては、と思う次第であ~る






人の人生は宇宙のゴミ粒です

昨日人と話しているとき・・
その人は良かれと思って言ってくれているのです
それは初めからわかっていましたが
でも話を聞いているうちに
ちょっと、チクリと言いたくなって来ました

でもなぜ言いたくなったかと考えると
自分の価値観が見えてきます

なんて言ったかというと・・
「国敗れて山河ありと感動する人がいるけど
 私が思うのは
 山河だっていつか滅び去るときが来るなって
 銀河系全体も、いつか滅びますよね
 そう考えれば、人間の一生なんて、宇宙の中で何の意味も無いですよね」
「そんな事考えてる人はいないよ・・」って相手が言って
「考えているのではないですよ だって事実でしょう?」
そういうと、その人は頭を振って行ってしまいました・・

もう、どうしてこんな事言ったかというと
ちょっとムッとしたからです
なんというか、その人が子どもの教育のことで
うちにアドバイスしに来てくれたのはありがたいことでした
でも、その人の考えでは、とにかく無駄なことはするなと
大きくとらえて、将来に結びつくことをやるようにということで
「世界情勢を見てみろ・・日本人の発想では、アメリカや中国に負ける
 バレー部?そんなものはすぐやめたほうがいい
 キャプテンなんて言っても、利用されてポイだ・・」的な

私は・・おかしいのかもしれませんがこう思っています
偶然も含めて
子供の人生はすごくいいものになる
何か心からやってみたいことを楽しく想像するなら
その時は、素晴らしい出会いや人生までもが
そこにおのずとやってくるし
必要なことは、全て手に入れることが出来ることになっているんだもーん・・て

世界的現実や、将来の見通しとかも参考にしたほうがいいですが
根本的には、そういう考えが自分にあるということを感じて
でもそんなこと世間的には全然おめでたいかもしれないので
逆に、事実というものを相手に突きつけてみたくなったと言うか・・
現実を見ろと言うのなら、とことん見てみましょう・・・って

あ~なんか自分、意味不明でした~~







プロフィール

hasutama

Author:hasutama
神秘学徒hasutamaです・・なんてほんとうは、ただのおばさんです
シュタイナーの著作を読むこと、愛犬をかわいがること、音楽にかかわること、お庭仕事、友人とカフェでおしゃべりすることなどを楽しんでいます

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