認識のさんぽ道

ルドルフ・シュタイナーの著作を楽しみ、 認識の小道散策へ出掛けます
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イメージのエネルギーの体と世界を想定する

自分の感情には、無頓着なふりをするほうです

でも、だからといって何も感じていないのではないのだろうと思います
逆にそれを表出しないときのほうが、その思いはどこかに蓄積していって
力を持っていくのではないだろうか?

つまり、感情や思念というのは、もしかしたらあるエネルギーなのではないかと思う
もっと言えば自分には自分の、感情や思念の「イメージのエネルギーの体」とでも表現できるようなものが
あるのではないだろうか?

しかも、その「イメージのエネルギーの世界」とでも言うべき次元があるように思い
私のその「イメージのエネルギーの体」は、常にそこに暮らしているのではないだろうか?

もし自分を、自分だけで閉じたものとして解放しないなら
つまり、この物質の世界だけを世界だと思い、物質のみを自分としてとらえるなら
そうした、違った次元の中に生きる可能性は阻まれる

と、想像してみることは自由だし、楽しい

また、もしかしたらその、「イメージのエネルギー世界」にはいろんな住人がいて
(現実の世界には存在しないけど、その世界だけで生きているような生き物たち・・)
この人間が現実だと思っている世界にも、いろいろとちょっかい出していたりして?

どんどん考えていくと、ますます面白くなってくるな・・





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思考という島を持てば・・

近ごろよく

人の思いに翻弄される

本質的なことや、単純な事実を見落として

勘違いな思いが暴走していたりする

しかし暴走した本人は気がついていない

思いに駆られた時点で、客観性はなくなって

すっかり受身なのだから、しあわせだ

感情とは何なのかと思う

思考することの無い人は

感情の波に漂流していく

状況や人の感情に飲み込まれないためには

自我の確立

冷静な思考

が、なくてはならないように思う

「荒れ狂う思いの嵐の中にあっても、思考という島を持っていれば自分を見失うことは無い」・・と
シュタイナーの本で読んだ気がする

また、彼は物質主義的な文化の特徴として

「思考が感情に仕える」ということをあげている

その意味をよく考えてみたい





ひとりの娘はひどく繊細で、人のことをよ~く観察しています

そのせいか、学校での人間関係には、ずっと悩まされてきました
それが最近、自分を確立してくるとともに、言葉の表現も豊かになってきたので
人間批判も聞いていて面白くなってきました


「私は、あっちこっちに、どこへでも自分の巣を作って安心したがる人間とは違う」

親ばかですが、なかなか面白いこと言うなと感心します

「そうだそうだ、私もこんな下世話な世界に巣作りする気は無い
ピーターラビットに出てくる、ねずみのおばちゃんみたいなことには興味ないの
何しろ、精神の世界に巣があるからね~」

「それって母さん、だから掃除しないんだという言い訳を思いついただけなんじゃないの??」

そういえば、精神の巣が散らかるとすごく落ち着かなくなるけど
家の中とか全然気にならないしな~

「えへへ・・いけないの?君も精神に巣があることを、もっと自信を持って肯定したらどうなの?」

それから、私が今読んでいるホーソーンの「緋文字」が面白いので、その話をしたら
自分が先に読むと言って、持って行ってしまいました

ホーソーンの作者紹介をネットで探したら
「一つの価値観に収斂しない奥深い洞察力」という紹介がありました

アーティストを目指す娘も、たくさんの視点で世界を深く見つめ
自分の表現に生かしてくれるといいと思います



プロフィール

hasutama

Author:hasutama
神秘学徒hasutamaです・・なんてほんとうは、ただのおばさんです
シュタイナーの著作を読むこと、愛犬をかわいがること、音楽にかかわること、お庭仕事、友人とカフェでおしゃべりすることなどを楽しんでいます

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