認識のさんぽ道

ルドルフ・シュタイナーの著作を楽しみ、 認識の小道散策へ出掛けます
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自生農

秋になり
畑に種まきでもしましょう!
…と思って草を少々刈り、大地に顔を近づけてみる
ちょこちょこと小さな虫たちが慌てふためいて走り回ったり、ミミズくんがウネウネと身をよじって困ってしまっていたりする
すみませんすみませんと謝りつつ、種のベッドをつくり草のお布団をかける
この手順は慣れてきて、発芽率は以前の0パーセントからかなり向上している

大根の横には種とりした人参もコンパニオンプランツとして播いて
大根ももちろん種とりしたもの

今期のチャレンジは、さらに手を抜くことで
種まき後に水をあげないまま頑張っていただく
種たち自身による雨乞いを促進させてみましょう

その後畑に行ってみると、雑草に混じってちゃんと芽がでている
さすが私!いや、種さんたち!

ところが玉ねぎを播いたところを見ると、玉ねぎの発芽に混じって、なぜかここにも人参の双葉が出ている

玉ねぎの発芽↓

人参も(ピンボケ)↓


あら?とあちこちを見渡せば、あらゆるところから人参が発芽しているじゃない!?

あちこちに人参↓


さらによく見ると、大根の双葉と思われるものもたくさん生えているよ

むむ~
このまま行くと、大根と人参の自生地となるのかしら?

独り立ちしてくれるのは嬉しいけど、私も少しは何かしたいよ

それに、色々な野菜さんたちを自生させてあげるには土地の広さが足りない

面白いけど、どうしたらいいかなー
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野生農

私の畑の場合…
自然農と言うのも申し訳ないような
緑のカオスとしか言えない
ごちゃごちゃ状態である

草や、零れ種からのお花、自生しはじめたハーブや野菜たちが
それぞれ勝手に、暮らしを営んでくれている

さしずめ私は、たまにやってきて居住者同士のもめごとをおさめる大家みたいな?
自然農というより、自生農?野生農?あるいは、ほんとになんかとれるんかのう?などと言ったほうが相応しいのである
だったら、たまにパトロールにやってくる野生保護区監察官かしら私

夏のジャングル状態ではシロザが猛威をふるい
力強い太陽のエネルギーが、いかに地球上に物体化するかを、まざまざと見せつけてくれた
シロザは茎が倒れると着地点からはまた根を生やすことが出来る
いったい茎→根のシグナルはどのように発せられるのか
シロザの茎は太く、杖にも出来るんだって
年老いて畑に立ち、シロザの茎を杖にしているのもおしゃれ…などと妄想する

シロザの猛威を横目でながめながら、サツマイモやカボチャ、キュウリ、へちま、インゲンなどの蔓は、私たちったら、ただ茎や葉を茂らすだけの存在ではなくて、人間が喜ぶような実をつける使命を受けたぶんだけシロザにあるような繁殖力は無いんだけど…と訴えるわけで、人間であるところの私が登場し、ちょっと下草を刈ってみたところ、なんとかうちで食べる分ぐらいの収穫物を成らせてくれた

愛玩犬の場合、野生の力強さを投げ打って、私にフレンドリーな存在となってくれている
そのことで人間にはある程度の義務や責任が発生する

だからと言って、野生の動物を全て駆逐するなんてさびしいよね
なにしろ野生の動物は、その力強さ、美しさで、人間に畏敬の念を呼び起こしてくれる

小さな畑の中にも野生保護区を設け、モグラとか虫とか微生物とかの楽園を探検する楽しみを確保しよう

カメムシだけとっても、たくさんのデザインがあり、植物とのコラボでハッとするような美しい情景を作り出してくれる

夏のドラマを反芻しつつ…
秋の作業もしなくちゃと思えるようになったのは進歩である

玉ねぎの種を蒔いてみた

落花生の落下部隊

この畑で種を採った子の発芽

自生し始めたコスモス

田んぼ 7月



今年の田んぼは、美的とは言えない稲の並び方^_^;

でもこれでも、なんとかかんとか汗を流した末の状況なのだから、でなければ大変なカオスが出現してしまっていただろう

小さな区画で稲を作ってみて3年目


言語以前、野生的な楽しさとしてある気がするのは
びしゃびしゃの泥や草を、ぐるぐるとかき混ぜる感触

泥に足をとられて、おっとっと…となったり深みにズボッとなりながらミッションを達成する、原始に挑むインディー・ジョーンズ的な感じ(大げさ)

強い陽射しの下でボー然としながら、延々とぬかるみをかき混ぜるって、それ何かのパフォーマンスというか、儀式みたいじゃない?

いつもと違う状況にはまりこんで、「何をやっているのか!?」と考えるというより、時々ピョーンと跳ねる薄緑色のバッタくんとか、稲に家をしつらえて素敵に暮らしている白蜘蛛の奥様とか、そういう方々と私が、等身大に存在してる感じがしてしまうのも、人間が小さく描かれた浮世絵みたいで可笑しい

妙(たえ)なる畑の、畑自身の営みのこと

畑を、植物がみずからを示現する場とするには?

植物を食べる目的で生産するというより、尊敬する目的でみずからを語っていただける場とするには?

植物と関わる楽しみは、植物を尊敬する機会を持てることにある
植物は枯れ果てるにあたってさえ、絶妙な自然界のバランス、その美しい調和を垣間見せてくれる

畑というショータイム
感嘆符にからみつくインゲン豆

自然農はこの楽しさを味わうのには最適である

というのも、

…昨日畑に行ってみたら、すごく楽しいことになっていた

零れ種で畑がデザインされ、まるで星野道夫さんの写真のように生命の神秘が表現されていた

人参の花園や、



大根の芽生え





零れ種からのコスモス


ギシギシなのかゴボウなのか?
わからない子の乱立は、私を悩ませてくれる



畑から見上げる空の変化も美しい







等々…

自然農とバイオダイナミック農業には共通点が無いと思っていたが、この自然農の「妙なる」に「宇宙のダイナミズム」(なんだそれ?)を見つけることが出来るのではないだろうか

示現されるのは単に植物なのではなく、宇宙を含んだ自然界全体の「妙なる」なのである

その「妙」にひれ伏しつつも、「妙」のその奥義をさらに躍動させていただくというスタンスで、自然農とバイオダイナミックは調和的に合体できるのではないだろうか

あらためて…


「ある」のそれぞれをあるがままに定める「自然本性」(physis)

……………………………………………

「存在」の「かたち」が示現してくるところとしての「知性」(nous)

「存在」の「かたち」を嗅ぎ分ける「知性」

「知性的把握」(noein)をする我々自身は、生きている我々自身の外に出る


「生きている我々自身の外」にどのように立ち、またどのような姿勢で何を見つけることが出来るのだろうか

考えるということは「文脈の中に立つ」体験であるということを「妙なる畑」は教えてくれる



おしまい


田畑の取材

市民農園

赤紫蘇

カモミール

人参の花


自然農の田んぼ

イネたち


自然農小屋 のバケツ

子象

プロフィール

hasutama

Author:hasutama
神秘学徒hasutamaです・・なんてほんとうは、ただのおばさんです
シュタイナーの著作を読むこと、愛犬をかわいがること、音楽にかかわること、お庭仕事、友人とカフェでおしゃべりすることなどを楽しんでいます

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