認識のさんぽ道

ルドルフ・シュタイナーの著作を楽しみ、 認識の小道散策へ出掛けます
TOP ≫ CATEGORY ≫ シュタイナーの言葉を吟味る
CATEGORY ≫ シュタイナーの言葉を吟味る
      

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 | Comments (-) | Trackbacks (-)

「自由の哲学」の一元論とは?②

シュタイナーは、「思考」を、たとえば目のような、感覚器官に近いある機能としてみているようだ
思考という、人間に備わった機関を通して観察する、そしてある事項に即した、概念・理念を見つけ出す

その時の、思考という目線は、勝手気ままな妄想の世界を見渡すのではなくて、「現実の系列に属する過程を辿っている(下記の原文より)」・・(うー・・この訳・・

概念・理念世界は、初めからちゃんと存在していて、本当は知覚される世界と一体になっているというのがあたりまえの現実なのに、人間はまだ、それをセットで見渡す感覚器官を持っていないので、知覚の不備を思考で補完するというやりかたで、初めて本来の現実の世界に触れることが出来るということらしい

一元論の主張は、思考は主観的でも客観的でもなく、現実の両側面を包括する原理なのだ、ということである。
思考を通して観察するとき、われわれは現実の系列に属する過程を辿っている。
経験そのものの内部における単なる知覚行為の一面性は思考を通して克服される。
われわれは知覚内容のための理念を見つけ出すことで、現実そのものの中に生きる

概念そのものは現実世界の一側面でしかない。
その側面は知覚には隠されている。
しかしそれが知覚内容に関係づけられると、現実的な意味が出てくる。
人間は現実世界の中に生きている。

この世界以外のところに、体験不可能な高次の現実を求める必要はない。
そういう確信を一元論はわれわれの中に呼び起こす。
そして絶対的な現実を経験以外のところにもとめようとするのをやめさせる。

一元論は経験内容そのものを現実であると認める。
そしてこの現実だけで満足する。
なぜなら思考がそのことを保証する能力をもっているのだから。


ここで言われている一元て、知覚される世界と、概念の世界が、別々のものではないという意味みたいですね
それが二元となるのは、人間の感覚器官の不備が原因だからで

だから超感覚的認識を持つとしたら、人間は高次の世界に生きるというよりも、より現実的な世界にたどり着くということで、霧が晴れてすっきりした景色が見えるとか、そんなイメージ?

高次の世界ではなく、この人生に、より現実的に関わる、そして完全に満足する
思考力がそれを保障する

あ~、シュタイナーてば、よくこんなめんどくさいこと言い始め、言い続けるるエネルギー保てたな・・
はからずも最後が、最近興味のある「運命愛」に近づいてきて、とても面白く思うし、
声楽の行き詰まりで気づいた、ちゃんと存在することの難しさも、ここに不思議とつながっていく気がして、
このシュタイナーの文のとおり、思考によって実際の自分の人生に、手ごたえや満足を感じ、それこそ一面的な現実から開放される気がするというか・・
(このことをどう声楽に生かせるのかは、まだ見えてこないけど)

これたぶん、まだつづく・・
スポンサーサイト

「自由の哲学」の一元論とは?①

ちょっと気になっているので、シュタイナーが「自由の哲学」で言っている一元論は
どう一元なのか?について、今の自分にイメージできる範囲内で、何か見つけてみたいと思いました

そこで、ずっと前に図書館で借りて読んだだけだったこの本を、アマゾンで注文して、ちらちらと読んでみています

そして最後の一元論のところ・・
彼の言う一元の意味はいったい(??)

一元論の考え方に従えば、われわれの行為の目標を、
人間を超越した彼岸から取ってくることはできない。

そのような目標は、人間の直観に由来するものでなければならない。

人間は、彼岸に座す根源存在の目的を、自分の個人的な目的にはせず、
自分の道徳的想像力が与える自分の目的に従う。

人間は行動によって実現される理念を、唯一の理念界から取り出し、
それを自分の意志の根底に置く。

だからその人間の行為の中には、彼岸が此岸に下した命令ではなく、
此岸に住む人間の直観が生きて働いている。


何?
非常に混乱してしまいます

えっとえっと・・

「自分の道徳的想像力」

=「自分の意志の根底に置かれた、行動によって実現される理念」(※唯一の理念界から取り出してきた)

=「此岸に住む人間の直観」


・・問題は・・

「人間を超越した彼岸」&「彼岸に座す根源存在」≠「唯一の理念界」

なのか??

一元の一というのは、何なのだろう?
人間なのか、理念界なのか?

不定期にのんびりと、つづく・・




シュタイナーの言葉を吟味る ④

つづきです

面白いのは
全然一般的ではないのに、まるで自明のこととして語られる、彼の世界観です
そこに敏感になってみると、色々発見がありそうです

総体としての現実は、我々自身の主観をも含めて、まず二元性として現れる。
我々の存在そのものがそのような仕方で条件づけられている

はじめは対応する概念なしに、対象だけが与えられる。
このことは対象に基づく事柄ではなく、われわれ自身の精神構造に基づく事柄である。

どのような事物の場合にも、現実は二つの側面から考察する者の前に現われてくる。
つまり知覚と思考の両面からである。そしてこのことは、われわれ人間存在の全体的な在り方に基づいている

こうして見ると、
事物が、見る側の条件に基づいて現れていることを、すごく言いたいらしいです
事物、世界は、見る側の都合で限定されていると言うのなら
そうではない場合には、どうなるのでしょう?

もしかしたら、このことはシュタイナーとしては計算済みで、結論にそれを持って来たいから
この条件付けされた、限定的な世界の見え方について言っているのかも?
下記のような文を見ると、シュタイナーは、やっぱり結局そういうことを言いたいのだと気がつく

「神智学」から、人間の本質と認識について↓

魂の存在は自分の世界として、人間自身の内部で担われている
しかし、霊によって、外界は高次の仕方で人間に示される

外界の秘密が明かされるのは人間の内部においてであるが、
しかし、人間は霊的存在として自分の外へ出ていき、そして、事物に事物自身のことを語らせるのである
彼にとって意味のあることをではなく、事物自身にとって意味のあることを

人間は星空を見上げる 魂が受ける感動はその人間のものだ
しかし彼が思想として霊において把握する星々の永遠の諸法則は、彼にではなく、星々自身に属する

その体を通して彼は自身が知覚するところの世界に属し、
その魂を通して、彼自身の世界を構築し、
その霊を通して、この両者の及ばぬ世界が彼に啓示される


等々・・・
・・てことは、、最初の文の後半も、言い方は違うがこのことを言っているのだろうな
きっと、「自由の哲学」は一般向けに哲学として書かれたので
言葉の選び方が違うのではないだろうか

認識がこの二元性を克服するためには、
知覚内容と思考作業によって獲得された概念という両現実要素に従って
事物全体に関連を与えなければならない



でも、ここで新たに発見と言うか・・

知覚内容と思考作業によって獲得された概念
それらを現実とするような、場というか次元と言うか、
もしそれを、私流に言うなら「物語という地平」において
その物語を見つけるのは、はじめの知覚をした意識でも、その後の思考をした意識でもなく
その両方を、見渡すことの出来る意識なのであって・・

じゃあ、その三番目の意識って、「神智学」の引用文と照らし合わせると「霊」&「超感覚的認識」のことじゃない?
わ~い!それなら・・物語を見つけるのは「霊」&「超感覚的認識」なのかしら?
そしてその物語は、自分にとってのものではなくて、星なら星自身の物語が語られるということなの?

あ~、それってとっても楽しそう!!
それなら、多様なものたちの物語に、耳を傾けることが出来て嬉しい気がします





シュタイナーの言葉を吟味る

twitterで、その名もルドルフ・シュタイナーさんという方が、シュタイナーの言葉を自動的に次々と発信して下さっているの見つけ、嬉しくなってフォローさせていただきました

ただ、自分のシュタイナーの著作の読書にしてもそうですが、ゆっくりと立ち止まって言葉を吟味することなく、わけわからないままにどんどん言葉が流れ去ってしまうばかりだと、おーっとと待ってくれよ~って置いてけぼりにされる感じがつのり、なんだかさびしくなってきます まあ、立ち止まったところでどうなるものでもないほどにわけの分からないものもいっぱいあるし、もしかしたら、自分にとって必要な言葉はピンと来て、知らず知らず心にしみ込んでいるのかもしれないですけどね それに、読んですぐにどうこうと言うよりも、自分の人生を生きることによって、その中で彼の言葉を追認、吟味ることをシュタイナーはすすめてくれています

でも、せっかくなので、自分にとってビビッっと来たものを引用させていただき、沸いてくるイメージ捉えてみるコーナ~みたいなの、試みてみようみようかと思います
難しく考えず、正解を求めるより、イメージを楽しむ感じで、コーヒー片手に、ぼんやりとね

というわけで、今日のビビッはこれ~↓

総体としての現実は、我々自身の主観をも含めて、まず二元性として現れる。我々の存在そのものがそのような仕方で条件づけられている。認識がこの二元性を克服するためには、知覚内容と思考作業によって獲得された概念という両現実要素に従って事物全体に関連を与えなければならない。-自由の哲学-



・・っと思ったけど、流して読むと意外にすーっと染みる気がするものも、立ち止まってみるといちいちめんどくさそうな言葉くんたち~
これ先日の、自分で言った「物語という地平」のイメージに近い気がしているのだけど、今、夫が「お買い物に行こうよー」と誘うので、また帰ってきたらもう一度ゆっくりコーヒー飲みなおしながら考えてみよ~
プロフィール

hasutama

Author:hasutama
神秘学徒hasutamaです・・なんてほんとうは、ただのおばさんです
シュタイナーの著作を読むこと、愛犬をかわいがること、音楽にかかわること、お庭仕事、友人とカフェでおしゃべりすることなどを楽しんでいます

FC2カウンター
FC2カウンター
現在の閲覧者数:
Powered
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。