認識のさんぽ道

ルドルフ・シュタイナーの著作を楽しみ、 認識の小道散策へ出掛けます
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非倫理的なことは非合理的である

世の中のことを知らないので理想を言うのです
現実は厳しいの

世の中、現実とは?

倫理は弱者の鎧か?

まだよくわかっていないシュタイナーの三分節社会論では

倫理的であること=夢のような非合理的なこと 

と、一般に思われているかもしれないが
もし、本当に現実に沿ってよくよく考えてみるなら

非倫理的であること=非合理的 

だと理解出来ると言う

「倫理」という言葉を聞いただけで
どうせ何かの洗脳じゃないの?と
思ってしまう気がしていたが、
今の日本こそが、このわかりやすい例に思われる

倫・・同列に並んだ仲間。
   人間どうしのきちんと整理された関係。
   すじみち。きちんと整った順序

倫理を押し付けられるのでは、すでに倫理ではない
何かに巻き込まれること無く、それぞれが自分の立場から考える自由や
その結論を生きる選択権がある状態が保障される社会でないなら
その社会そのものが非倫理的であり、また非合理的なのである

倫理的な決断をしたドイツ
同じ敗戦国で、なぜドイツと日本の社会は
こうも違うのだろう?
ドイツの戦後と日本の戦後
その社会の歩みに興味を持った

あきらめずもう一度、ドイツの提言から学びたい↓

ドイツのエネルギー転換未来のための共同事業
提出:安全なエネルギー供給に関する倫理委員会

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あけおめるへん ♪

あけましておめでとうございます 

今年、皆さんは、私は、どんな物語を生きるでしょう?
去年から引きずっている、あまりよからぬ物語も含め・・
↑これ私・・年末に嫌なことがあって
あ~、お年始早々すみません!

お年始の言葉として、シュタイナーの「メルヘン論」から、
かわいい励ましをお届けしましょう

子どもの中では、人間の本性が
より根源的な仕方で、全存在、全生命と関連しています
ですから子どもは自分の魂の養分として、
メルヘンを必要としているのです・・

どんな年齢になっても、どんな境遇にあっても、
メルヘンから流れ出るものを、
自分から遠ざけるべきではありません

なぜなら、わかりやすいメルヘン、
素朴で原始的なメルヘンに表現されている
知力では理解できない人間本質の意味に対する感性を失うなら、
私たち人間の本質と結びついている、
最奥の深みが途絶えてしまうからです・・

霊学的に考察するなら、
メルヘンの意味は次のように要約できるでしょう

「メルヘンや伝説は、人間が生まれたときに
 人生遍歴にそなえて故郷から授けられる、善き天使である。
 それは人生の旅路を通じて、人間の忠実な伴侶である。
 そして、それが人間に付き添うことによって、
 人生は、真に内的に生き生きしたメルヘンとなることが出来る。」


   水声社 高橋弘子さん訳 「メルヘン論」より
 (・・でもちょっと、hasutamaが、語順や言葉を変えてしまった)

だらだら自分のこと考えてみる

今はいろいろなツールがあって便利だ
個人がいろいろなことを発言できる
昨日はTwitterで、シュタイナーのことを語り合っていらっしゃるところを拝見してみた
シュタイナーに興味がある方の、いくつかの傾向がある気がする

自分的には、そーだなー・・
自分とシュタイナーについて
なぜシュタイナーに興味があるかについて
考えてみようかと思う

私は、将来はヘッセになりたいと思うぐらい、ヘッセが大好きだった
いや、正しくは、ヘッセになりたいのではなく「クヌルプ」になりたかった

詩人の心で把握できる世界は、通常の生活の世界とは少し違うところにあり
正確に言えば、通常の世界と同じでありながら、意味構造が違う・・みたいな?
どうも通常の世界の意味構造(勝手な造語)に居心地の悪さ、不満を感じていた私は
その詩人的な世界に住みたいと、とても強く憧れていたので
ヘッセがその片鱗を見せてくれるにもかかわらず
「片鱗しか」見せてくれないことに
ひどく落胆してしまうほどで・・

そのがっかり感は半端ではなかったので
いつも、ディキンソンさんが言っているような
「あちら側の世界」(多分この世界でもあるが・・)を、知り、
そこに住みたいという気持ちが
もともとの衝動としてあるのだろうと思う

でも、これってヘッセの思いでもある気がするので
ヘッセの思いを引き継いだということかな・・??(あつかましくも・・)
でもきっと、誰にでもそういう気持ちはあるのではないかと思います
だからヘッセや、ディキンソンさんが認められているのだし
世の中にたくさんの宗教があり、スピリチュアルブームがある

でもってシュタイナーは、私のその夢に手助けしてくれる最強なおじ様で
すごく頼れる彼だから、大好きなわけです

高橋巌さんが言ってくださっているように
ドイツロマン派の流れの中にシュタイナーをとらえることは
私はすごく納得がいき
そこにゲーテ的な視点を加えて
それを現実的なものとして捉える手ごたえを感じることが出来るなら
そこで見えてくるものは「神秘」というよりは
自分が存在している「現実」となるはずで

だから自分を、神秘学徒と言うのはほんとはおかしい
しかし、そういうことにしておけば
変なことを言っても聞き流してもらえそうだし
ある分類の中にしまわれて、おさまりがいいほうが
みんなも安心してくれるというものでしょう

とにかく・・
シュタイナーのような方が居てくれることは
自分の強い衝動が、あるいは絶望があったことを思うと
ほんと当然というか・・彼がいないなんてあり得ないことで
空気のように、水のように、
シュタイナーは生存に必要な成分のような何かとして
生活のすみずみにまで広がって、常にいてくれるような
何か・・橋渡し的な人として

自分が何をしているのか、何をしようとしているのか
はっきり言葉にしてみたことがないのもおかしいな・・
もし、なんとか一言で言おうとしてみるなら・・
詩のスピリッツ=「詩霊」を持った人間になろうとすること?かな?
もっと大胆に言えば「言葉の霊」=神様
ということなのいかもしれないが
私としては
「詩霊」が一番フィットする言葉です

そこの違いは少し考えてみると面白そうです
多分一神教的な考えというより
いろいろなものの霊を想定しているということか・・

自分でも自分の考えていることは把握するの大変です
とりあえず、今思いついたことをだらだらと書いてみました
また違う考えも浮かびそう・・
センサーを向けてみることがなければ、真っ暗闇のまま・・
一番わからないのは、自分のことかもしれないですね









個我と蝶

シュタイナーの本をいつも一冊はバッグに入れているから

ほんのちょっとした時間にも読めて

何かを待つことは全然苦にならない

今日は「美しい生活」というのを読んでいたら

それこそ、とても美しい表現に出会った

(風濤社 西川隆範さん訳)

p166~

「個我」

みなさんが自分のことを「私」と言うたびに
みなさんの額に小さな炎が輝くのです

私が自分のことを「私」と言うと
私は自分の中に光を呼び出します

私が自分のことを「私」と言うとき
蝶を彩色するのと同じ光を
自分の中に呼び出します

古代ユダヤには「ヤハウェ」という言葉がありました
この言葉は「私」と同じ意味です

司祭は「ヤハウェ」と発音するとき
いたるところに飛び回る蝶をイメージしました

蝶が見えたら、正しい内的な力を持っていたのです

「光は個我である。
 光を閉じ込めると、蝶を作ることができる。
 私達の脳は、蝶の代わりに思考内容を作るのに適している。」

 と語ると「この人は気が狂っている」と人々に言われます。

 しかし、これは本当なのです。

「私達が空中に色あざやかな蝶を見るとき、
 私たちが自分のなかに個我を感じて
「私」と言うときと同じものが、私たちに作用する」
 と言わねばなりません。 

「神智学」 より ~魂の働き~

シュタイナーの基本書「神智学」を、
パラパラとめくっていたら
今の自分的に、「お!」・・と
思えるところがあったので
引用してみたい

ちくま学芸文庫 高橋巖さん訳で
p72

魂が現在と持続の間におかれているのは、
魂が体と霊の中間に位置づけられていることによる。

しかし魂はまた、
現在と持続との仲介もする。

今あるものを記憶に保持する。

このことを通して、
魂は今あるものを無常界から切り離し、
魂の霊的部分の持続の中に取り込む。

魂はまた、
時間に制約された、
無常な存在に永続の刻印を押すが、
それが魂にできるのは、
魂が一時の刺激の中に埋没することなく、
自分のほうから積極的に事物に働きかけ、
その行為の中で、
事物と自分の本質とをひとつに結び合わせるからである。

記憶を通して昨日を保持し続け、
行為を通して明日を準備するのが、
魂の働きなのである。




魂が現在と持続の間におかれているのは、
魂が体と霊の中間に位置づけられていることによる


これ面白い発想ですよね

瞬間を永遠へと移しかえる魂の働き

せっせせっせと魂は・・

感じ取った印象の中で、埋没してしまうだけでなく

自分のほうから積極的に事物に働きかけ、
その行為の中で、
事物と自分の本質とをひとつに結び合わせる


ということもできる子で

ほんと、けなげないい子だな~

「事物と自分の本質とをひとつに結び合わせる」

これは、つまり「物質的なもの」と「霊」を
結びつけると言ってもいいのだろうか?

そんな・・大胆で大変なことを
自分からやろうとするなんてね!

魂を少しバカにしているところがあった私
受け身で情けないヤツ!だとか思っていましたよ~

実は、
魂はすごく頑張っていたのだな・・

知らなくて、ごめ~ん!

これからは、もっと
魂くんを大切に考え、慈しんで
その働きを応援してあげたいです

プロフィール

hasutama

Author:hasutama
神秘学徒hasutamaです・・なんてほんとうは、ただのおばさんです
シュタイナーの著作を読むこと、愛犬をかわいがること、音楽にかかわること、お庭仕事、友人とカフェでおしゃべりすることなどを楽しんでいます

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