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2021'10.12 (Tue)

蛇さんが橋になって、その橋を通るものたちのこと

なんとなくカオスが続いている
そのカオスは
例えば、海に潜ったら誰も知らない沈没船を見つけて
見るとそれは昔の海賊船で
おやおや?とさらに潜っていったらすごく大きな宝箱や
そこら中に散らばっている宝石を見つけて
ワオ~って言ってるけど頭は真っ白・・みたいな
でもどうしていいのかわからない!
しかもここは水の中だし!
な、感じに似ている

断片はいつか繋がっていく
でも今すぐにではなくて
もし繋がったなら
おそらく地上化するのだろう

その繋ぎ方のスタイルは、以前と違ってきている気もする
そいつらどうしは、繋がっていきたがっている
ぐらいな感じでもいいよね

私を媒介として

媒介というのは
橋渡しってことかもしれない

そう思うのはゲーテのメルヘン「緑の蛇と百合姫」を
断片的に読んでみていたせいだろう

メルへンをチラ読みしたときに意識化していた範囲では
緑の蛇が橋渡しして行き来するのは
人間的なものだけと、勝手に限定していた
生きている人間と死者とか
生きている人間を概念界に連れていくとか
(まだ後半ちゃんと読んでいないし・・)

なんというか結構具体的な行き来のみをイメージしていたの

でもそれだけではないかも
それは意識化していない部分で
メルヘンが私の中で発酵して、あるいは発光しはじめて
教えてくれていることかもしれない

その両方を見ることはちょっとした発見だと思う


おしまい

10:59  |  認識のさんぽ  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2021'09.01 (Wed)

身体のレムニスカートで、私をあやす

レムニスカートについて少し考えていて
思い出した

赤ちゃんを抱っこしてあやす時や眠らせようとするときに
右~左~と繰り返して揺らしていたなー
それが癖になって
抱っこしていないときにも
身体を揺らしてしまっていることに気づいたりした
あれ、私にとっても気持ちがよかったのかも

先日、声とライアーの体験レッスンで教えていただいたことを
自分でもやってみていて
どれもレムニスカートではないか?!と思ったの

口の形は「ツ」にして、唇と歯の間から息だけを出す
長ーく伸ばしてみたり
思いっきり息を出してみたり
ゆらゆらと抑揚をつけてみたり

すると
意識されるのは横隔膜とか
胸から喉までの体内の空間に
空気圧がかかること

あ~、体内のこの空間を使って
私は声を出すのだと体ではっきりわかった

それから今度は
ペンタトニックのライアーで
右上~左下~というように
その先の空間に音の領域を私が創造するかのように
音を広げる

まるで私
音の響きに抱っこされている赤ちゃんみたいに
その空間に拡がって、行ったり来たりして
あやしてもらって

あやす・・という言葉も
「愛す」から来ていると出ていたりするけど
それより、「綾す」 斜めに交差する のほうがピンとくる

レムニスカートの交点へと戻ってくる安心感
それがあって、でも出かけていく楽しさ
それが嬉しいのだ

お母さんの手の代わりに
ペンタトニックの優しい調和の響きがある

それから今度は
その響きにのせて
口を閉じて
「ン~」とか「ム~」みたいな音を伸ばして発する
音に高低をつけたりして気持ちよく

その時には、音は私の喉より上で
頭蓋骨の空間(?)にバイブレーションする

喉を交点として
ツーとムーは
体内をレムニスカート的に使用するのだ
胸を満たすものは息だが
頭を満たすものは響きだ

私という楽器は
そのように音を発する

それを使うことは
私をあやすような行為なのではないか?

身体によって
そんな楽しいことが出来るとは !

本当にびっくりな「体験」だ

おしまい
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2021'08.27 (Fri)

「わたし」は、物質的にも自由

今日夕方のドッグランの帰り
信号で止まっている時に
ふと、横を流れる大きな川を見た

川面にキラキラと夕陽が反射していた
その時に
あ・・いつもと違う感覚・・
(それとも、いつもそうだったとしても
気が付いていなかったのかな?)

何かが反転して
自分が裏返るような・・

まるで

見た川面の光の反射の側に
「わたし」がいるような
ちょっと違うんだけど・・
変な感じ

「わたし」って、そうか・・

最近、身体をゆるめて、整えて
胸が自由になり
呼吸が楽しくなった

身体全体が楽になったら
「わたし」も身体に縛られなくなったのかな

なんにせよ
悪いことではない気がする

身体は、「わたし」との関係を柔らかくしたんだな・・
私の意識は、本来
いつも体に縛られていなくても
いいものなんだね

おしまい

22:17  |  認識のさんぽ  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2021'08.14 (Sat)

わからないけど、進んで行く・・

以前はよく図書館で本を借りて
期限に返すまでに頑張って読んでいた
ノートを作ってメモまでしていたものを見つけたら
2008年に「ゲーテの世界観研究」土橋寶さん著を
たくさんメモっているんじゃない!・・私
まったく忘れすぎていて、自分が書いたものとも思えなかった
年を取るっていやあねって、こういう時に言うのかしら

でも・・すっかり忘れていることも
何かの形で身についていたりするかな・・?
そうなの、もう、骨肉化してしまっているの!
・・と急に自信たっぷりなのは・・

今日すばらしい先生のところに赴き
オイリュトミーを体験する機会に恵まれて
色々驚いてしまったのだけど

でも、一番感じたのは
自信を持っていいに違いない!
・・からさらに前に出て、
自分を信頼しなければ、始まらない!
ということだった
そう思わせてくれる先生だったからこそ
その素晴らしさに驚いてしまったのだ
私だからということでは勿論なくて
それぞれの人が、それぞれに
自分を完全に信頼しなくては、何も始まらないのだ

Lの動きは思った通りで
アキノノゲシさんにぴったりだったし
自分の肉体的内界が
外界だと思っている宇宙的事象と重なるのでは?
という、自分の近頃の感覚を
もっと突き進めていいのだという励ましもいただいた気がした

よく言われている、ミクロコスモスとマクロコスモスとか、
フラクタルとか、聞いたことはあっても、
今まで自分の肉体も宇宙的事象も
同じぐらいの遠い暗闇で、
見えるはずもないと興味を持っていなかったの

なんだかわからないけど、そうなのかな?って
そのまま進んでみる
パウロ・コエーリョの主人公たちはいつもそんな風だったな
自分だけに与えられる小さなヒント
不安になりながらも、大切にしていた彼らだったよね

おしまい


20:30  |  認識のさんぽ  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2021'08.03 (Tue)

私の構成をゲーテ的観察する「わたし」

あんじょ〜のシュタイナーちゃんねる

↑拝聴しながら書いている
「わたし」って
なぜ重要?
鈴木一博さんが登場され
観ること、ルドさんの読み方・・
とても貴重なお話

「問い」は、その人のものということで
励まされるな

私もシュタイナーの強調する「わたし」が好きだけど
「わたし」「わたし」って、なんで?という問いもある

なぜ好きかというと、以前に書いた
個我と蝶
のイメージの美しさが大きいのだが

なぜ「わたし」なのか?腑に落ちていないところが
ずっとあったけど忘れていて
最近、逆に肉体の声に耳を傾けていたところ
「わたし」の意味ってこうかな?とイメージがやってきた

「わたし」を認識することは
逆に、「わたし」よりも、「私を取り巻くもの」への
理解を深めることにつながるのだな・・と

認識するためには、対象化しなければならない
自分の一部であるものは対象化しにくいが
「わたし」をはっきりさせるなら
自分と思っているもの、構成しているものまでも
それが世界を構成しているものでもあるのだが
それを対象化し、それから合一し、その本質を知る という
ゲーテ的メソッドを適用できるというものだ

人間の構成について、シュタイナーがしつこく言っている○○体なども
「わたし」の区分があって初めて理解できるのではないだろうか

私は、骨の柱を二本持っていて
その上に胴をのせている
二本の上にしっかり胴が乗っている時に
私の胸はとても安心して開かれるし
四肢も伸びやかに使うことが出来る
それは自由な状態
力みは必要ない

私は、それを知って気持ちよくハッピーだ

おしまい




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